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見えなくても選択

ネタが尽きてきたのでコンテストのお題とかと思ったらコンテストが終わっていた(
獏)

私の場合障害があるとかないとか以前にこういう迂闊さがすでに負け感満載なのだ。

でも応募要項に「読んだ人も自分の持つ可能性に気づくことができるような選択にま
つわるエピソード」とあったので、私にはまったく該当しない事が判明。

でも見えなくなってからの自分がいかに消去法で生きてきたかを振り返るいい機会に
なった。


高校生くらいまでは親の敷いてきたレールに何となく乗っかっていたけれど、それ以
降は自分の選択の余地が増えてくる。

特に見えなくなってからはよくわからない中、右往左往のうちにいろいろ選択してい
った。


障碍者手帳を取得すると同時に双六で言えば「高校卒業」まで戻ってしまったわけだ
が、そこからのリスタートはどうしたものか。将来設計は?

「何がやりたいか」より「どうやって生きていくか」が優先の選択をしなければなら
ない人生が始まった。「


とりあえず鉄板の鍼灸コースに進む選択をしたけれど、どこで資格を取るか。その後
の就職先はどうするか。

免許を取るには厚生省管轄の施設と盲学校の二つの選択肢があった。
中途障碍者は厚生省管轄の職業リハビリテーションセンターに行く人が多かったが、
当時そちらは男性の割合が圧倒的に多かった。
そこでは「どんなにブスでも女はモテる」と言われ、私は迷うことなく盲学校を選ん
だ。
それでなくともわけわからん勉強をしなければならないのに無駄な人間関係に煩わさ
れるくらいなら、若い子にバカにされながらもボッチで勉強した方がいいと思ったか
らだ。


そしていよいよ就職という事になった。

世の中には障碍者対象の求人雑誌や就職相談会が結構あるけれど、重度視覚障碍者の
求人はほとんどない。

私はマッサージが下手すぎるので、企業でわずかな固定給をもらいつつ法定雇用率要
員として働く目論見だったけれど、企業内マッサージの求人がなかなか見つからなか
った。

先輩に「治療院も考えようか」と相談したら、「あんたは使いもんにならないから就
職浪人しても企業を狙え」と言われた。

そうこうしているうちに企業マッサージの求人があり、、浪人することなくうまく就
職できた。ありがとう!学校推薦!


最初の会社に入社したのは平成初期。昔気質の会社は今では考えられないほどの男尊
女卑だった。
まず女子の総合職は0。30歳になると肩たたきが始まりどこかに出向させられる。
。総務部の女性はそれぞれ担当のおじさんを付けられ個人秘書みたいなことをやらさ
れていた。今ではもう全部コンプライアンスに引っ掛かるやつだ。

私は障碍者枠だったのでそのようなことはなかったけれど、マッサージは思った以上
に大変だった。

入社二年で親指が曲がらなくなり会えなく玉砕。そして同期で入った総務の女性たち
も同じころに一人を除いて全員辞めた。


もうマッサージは無理だとあきらめ、電話交換手になる。
仕事は楽だが月給は手取り10万ちょい。

同僚は健常者の中年女性。マダムもいたけど、ほとんどがパソコンのキー入力すらで
きず他に働き口がないような人たち。
そこの電話交換は当時パソコンができなくても働ける数少ない職場だったのだ。
そしてそういう人に限って自分より下の障碍者を虐げる。

「給料は安いけれど、60まで働けます」という話だったが、どこに行っても虐げられ
るなら実入りがいい方がいい。


家族には「また指が曲がらなくなるわよ」と嫌味を言われまくったが、再び企業内マ
ッサージに就職した。

その会社、本当は別な人が決まっていたらしいのだが、その人が国家試験に落ちたと
かで突然空きが出た。
急いでいたこともあるらしく、ラッキーにも実技試験もなくどさくさにまぎれてうま
く入り込めた。


そして今、私はお金だけのために働いている。
障碍者枠なので給料は少ないが、私のような役立たずがもらえるだけありがたいと思
っている。固定給万歳!!

以前はひどいパワハラ上司もいた。視覚障碍者の同僚は意地悪だし、派遣の女性は高
圧的。仕事には何のカタルシスもない。当然人間関係も期待できない。

でも全部自分で選択しているので納得はしている。
とにかく「忙しい社員さんたちになるべく迷惑をかけない」が信条だ。

そういえば先輩が「どんなに下手なやつでも10ねんやっていればそこそこできるよう
になる」と言っていたマッサージ、ここ何年かは文句を言われることがほとんどなく
なった。
だらだら続けていただけだけど、「継続は力」を実感する。


ところで障碍者は法定雇用率要員なので大抵大きい企業に就職している。私の会社も
ご多分に漏れず親会社は大企業。だからコロナ禍3年間自宅待機だったがちゃんと給
料を出してくれた。これには本当に感謝している。

「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったもの。盲学校は楽しかったし、仕事も
コロナ禍の生活を支えてくれた。

人生思ってもみないアクシデントに見舞われたりもするけれど、自分にとっての優先
順位さえぶれなければそこまで的外れな選択はないような気がする。


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