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年の差13歳 ウガンダでの子育て

私には2人の娘がいる。
現在、長女は18歳、次女は5歳。

ウガンダ人の夫と日本で結婚して、約半年後に長女を妊娠した。
でも、これと同時に私の昇進がなくなった。

当時、私は銀行で富裕層営業を担当していた。
一般職だったが、総合職の男性銀行員にも負けない成績を上げていて、当時のエリアを統括していた部長に結婚を報告すると、

「あなたをまもなく支店長代理に推薦しようと思っている。だから妊娠はしないように。」

とお達しがあった。

私は、本当に妊娠が私の昇進を左右するのかと半信半疑だった。
妊娠で昇進がなくなるなんて、女性差別も甚だしいと思ったが、後に部長に妊娠を報告したら、

「そうか、じゃぁ支店長代理への推薦の話はなかったことに。」

と言われた。
とても、悔しくて泣きたい気分だった。

この出来事を教訓に、2人目の子どもを望む夫に子作りを散々拒否した生活を送ってきた。
当時、日本で生活して、生活費は全て私の収入で賄っていた。
夫から生活費を一切受け取らず、私が働き、夫に子どもの保育園の送り迎えをしてもらいながらの生活。

夫も日本での生活は私の収入で賄われている事を理解していたため、2人目の妊娠を拒否する私の事を理解してくれていた。
私の心の中では、部長とのやり取りがトラウマとなり、とにかく2人目の妊娠はしないで、子どもの世話は夫に任せて、私は必死に銀行員生活を送った。

しかし、どんなに大きな成績を上げても、それ以降昇進の機会は訪れなかった。

後に、生命保険会社に転職し、やはりそこでも仕事を優先して働き続けた。
2人目の妊娠を機に働けなくなることが怖かった。

長女を出産して10年が過ぎようとしていた時、転職した生命保険会社で地方拠点を全て閉鎖する事が決まった。
名古屋で勤務していた私は、退職か、本社への移動か、グループ会社への転職かの選択を迫られた。

私の夫は、日本にいる間、ウガンダと日本を半年毎に行き来する生活を送っており、ウガンダで仕事をしていた。
ある程度お金が貯まるまでは私はウガンダに移住したくないと言うワガママを夫は聞き入れ、夫は10年間日本とウガンダを往来する日々を続けた。

日本で19年間社会人生活を送った私は、多少の貯金もでき、生命保険会社からの退職金も受け取ったこともあり、夫の念願のウガンダ生活をする事にした。

仕事から解放された私は、ようやく2人目の子作りができる環境を手に入れた。

が、既に40歳を迎えていた私は、2人目の妊娠に3年の年月を費やした。
なかなか2人目が妊娠できなかったので、卵子が老化して妊娠しないんだなと悟った。

まぁ、2人目が妊娠できなくても、幸い子どもは1人いるし、それはそれで仕方ないなと諦めていた。

ウガンダは強盗が多いため、多くの家が鉄製のドアや窓を設置している。
夫はそういった鉄製品を作る仕事をしていた。
だから私は夫は2人目は跡継ぎとなる男の子が欲しいだろうと察し、その事ばかり考えていた。
きっとその事が私にストレスを与えていたのではないかと思う。

夫にそれを確かめようと、ネットで得た知識も交えながら、

「年齢が上がってくると、女の子が生まれる確率が上がるらしいよ。でも、あなたは男の子が欲しいよね?」

と、聞いてみた。
夫は、

「男の子か女の子が、そんな事はどっちでもいい。女の子だって会社を継ぐ事はできるから、そんなの関係ない。」

と答えた。
とても意外な答えが返ってきたと、私は驚いてしまった。
でも、それを聞いた途端、私のストレスが一気になくなり、直ぐに妊娠した。
ストレスがこんなに妊娠に影響するのかと思うぐらい自分でもビックリした。

実際にはたまたまのタイミングで、ストレスの有無は関係なかったのかもしれないが、私にはそれが理由だったのではないかと自分で納得している。

そんな事で、私の娘たちは年の差が13歳あり、娘たちと病院に行っても、
「どっちがお母さんですか?」
と聞かれたりする。

以前、インターネットか何かで、子どもの年齢に年の差があると、やっと上の子が卒業して子育てが終わったと思ったら、また次に下の子の子育てが始まってとても大変だ!という意見を見たことがある。
私もそう感じるだろうか?と思ったがまったくだった。

そう、私は長女の子育てを仕事にかまけてほとんどしてこなかったのだ。
勉強は学校で教えてくれるから、私は教えなくても大丈夫だよね〜と考え、長女に字の読み書きを教えなかった為に、小学校に上がるまでそれができなかった長女。
長女には、机に向かう習慣なんてものも当然ない。
おかげで、学校では授業中に脱走する、机に足を上げて座るなど、放置教育のおかげで、長女は私の想像を超えた娘に成長していた。

そんな長女も私達と一緒にウガンダに移住し、放置教育のおかげで英語も話せない中、激安のインターナショナルスクールに通い始めたが、先生方のご協力で、一ヶ月後には長女は英語をスラスラ話していた。
英語が堪能ではない私は、直ぐに英語が話せるようになった長女に嫉妬しながら、赤ちゃんの時から話し始めるのだけは誰よりも早かった事を思い出した。

が、やはり勉強の習慣がない事が影響したのか不明だが、授業中に脱走こそしないものの、長女はウガンダでも学校の先生方を困らせる生活に変わりはなかった。

そんな長女への放置教育とは一転、無職の私には次女の教育に掛ける時間がたっぷりとある。

ウガンダで生活していても、なんとか日本語の読み書きはできるようになってもらえればという私のエゴもあり、次女は長女がしてこなかったひらがなの練習を4歳から始め、毎日ひらがなで書かれた本を1冊読み、書写をする練習を繰り返している。
次女は、できる喜びや達成感を学んでくれているようだ。

長女にしてあげれなかった事を、次女でやり直すように、もう一度私に与えてもらった子育てのチャンスを今は楽しんでいる。

年の差の子どもの子育てが大変だなんて感じたことは1度もない。

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