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ICUC-039(週間033)2020.11.8【さよなら、東京。火の玉ボーイとコモンマン】

I see, You see! Intellectual Curiosity Update Committee【知的好奇心向上委員会 ICUC】今週もゆったり知的好奇心のアップデート&趣味の動画文字起こしメインのメモ。

今日の推薦図書
『火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951-1990』鈴木慶一(新宿書房刊)
『ムーンライダーズ詩集―ドント・トラスト・オーバー・サーティー』ムーンライダーズ (新潮文庫)

ICUC#33「さよなら、東京。火の玉ボーイとコモンマン」
東京から、拠点を移すことにしました。コロナ禍、想い、年齢、理由はいろいろあるのですがが、この回が東京のスタジオから最後の収録になります。
憧れの東京に出て来た19歳の頃からの想いと、ムーンライダーズへの想いを喋りました。よかったらご覧ください。

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note「ICUC知的好奇心向上委員会とは?」

ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

先週はLive配信/修論で緊急事態宣言発令中

 どうも。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。ICUC知的好奇心向上委員会、Intellectual Curiosity Update Committeeでございます。毎週こういう感じで動画を撮りますが、先週はICUCメンバーの皆さんとzoomでミーティングしたものをそのまま LIVE で配信して、そのまま今アップしておりますと。まぁあんな感じです、いつも(笑) 雑談と言いながらもちょっとだけ皆さんの知的好奇心になった方がいいなーみたいなお話をしております。
 こんな感じでやっておりますが。今週11月8日でございまして。さっきね、さっきというか昨日の夜か。Twitter に書いたんですけどね…えーと、なんて書いたんだったっけな。何て書いたんだったっけなって、出しとけよね、はい、すいません。

角田陽一郎の周辺及び関係者の皆様、修士論文の締め切りが迫っておりまして非常にやばい状況になってまいりました。なのでいよいよついに緊急事態宣言発令致します。いろんな仕事のお約束や締め切り等、中々お時間取れないor遅延が発生しそうですが、大変申し訳ありません!何卒ご容赦くださいませ。

 というね。Twitter を書きましたが。そうなんですよ、そういう感じになっておりましてですね(笑)。修士論文がちょうど12月の頭ぐらいが締め切りでございまして、そうすると、あと1ヶ月ちょうど切ったぐらい…今日だ!今日!12月7日締め切りだから、今日でちょうど1ヶ月切ってるんだ。で、たくさん書かなくちゃいけなくて、たくさん書きゃいいってもんじゃなくて、内容もなきゃだめなので。結構、頑張って書いてるんですが。
 本を11冊、12冊ぐらい出してて、書けなくもないのかなと思いながら、なかなか書けないなぁなんて思いながらも。なんか前々回ぐらいに話しましたけど、書き方みたいのがやっとわかってきたなぁなんて思ってるとすると、自分のこの構想を書くためにはもう時間がないや!みたいな感じかな。なので頑張らなきゃいけないんだけど、基本的には社会人でございますから、働きながらやんなきゃいけないわけで。それで四苦八苦おりますと。
 なので新規の、新しいこととかは論文書き終わった12月からやりましょうみたいな風にしてですね。今は本当にちょっと。せっかくだったらいい論文を書きたいなーなんて思いながらですね、頑張っておる次第でございますと。はい。

さよなら、東京/3年と2ヶ月篭って6冊

 そんな中で今日は何話そうかみたいなこと言うと。実はもうね、テーマは決めてまして。タイトルで言うと「さよなら、東京」というタイトルでございます。今日はさよなら東京というお話をしようかなと思っております。
 何かといいますと、私、そんな忙しいのに何やってんだったって話なんですけど。あと数日後に引っ越しを迎えることになりまして。簡単に言うとこの東京から出るので、こちらのスタジオと言いますかは今日の配信、今日の動画が最後なんですね。
 今日の動画が最後なんてことは別に皆さんには関係ないのかも知んないんですけど、僕としてはなかなか。この後ろにある本棚みたいなものに囲まれて。囲まれるような暮らしが、暮らしというかライフスタイルになりたいなーなんて思って、むしろTBSテレビ辞めたようなもんなわけですからね(笑) それは前も言いましたけど、つまりTBSに居たら自分のオフィスはこうならない訳でとか思った時に、自分のオフィスを持つということは…、オフィスはあれですけどスタジオみたいなものを持つと言うことはこういうことなんだなって思って。それまではね、なんとなく段ボールに入れてしまってあった本みたいなものを全部並べたいなと思って並べたのがこれなので。
 だからここに2016年末にTBSを辞めて、2017年の夏ぐらいから居るので、18、19、20、3年と2ヶ月みたいな感じを過ごしました。
 その間に本も結局3、4、5冊、6冊くらい書いておりますから、ここで篭ってやるということは一定の、篭ると書けるんじゃないかって思ってたらね、こういうスタジオ持つと大変かなと思ったけど、やっぱり篭ると書けるんだなってことが分かったので、すごい意味があるなぁなんて思いながら。

場を去る寂しさ/平成元年19歳の下北沢/演劇からテレビ局へ

 そうするとですね、引っ越すって決めて。夏ぐらいかな?に決めて、色々場所を探して、引っ越すと決めた時には、引っ越そうと思ってたんだけど(笑) 何言ってんだ、繰り返しただけですけど(笑)
 でも今考えるとね、なんかここを出てく、別れるのが寂しいなあみたいなね。その場から出てくというのは寂しいなというのは、皆さんもいつも感じるだろうし。例えば乗ってた車を新車に変えるってのがあって、新車買うと嬉しいんだけど、古い車をさよならするってのはまた悲しかったりしますよね?とか。
 何なんでしょうね。人との別れは寂しいみたいなのは何となく分かりますけど、物とか場とかとも別れるって寂しいなってのは、やっぱり死というものの経験とちょっと被るからなんですかね、その場を去るというね。でもまた新しい場所での新しい出会いとか、新しい環境みたいなものとかがあるわけだから、そこは全然後ろ向きではなく、むしろ前向きなんですよね。前向きだから引っ越すんですけど。ただ、寂しなって思う、ただ寂しいという、そんな気持ちですね。

 で、さよなら東京ってどういうことかというと、僕は地元、実家は千葉で、19歳の時に東京に出てきたんですよね。1989年。1988年が高3だから、89年のまさに平成元年か。平成元年に浪人で河合塾の寮に出てきたんですね。それで下北沢に住んでましたね。河合塾の寮が下北沢にあったんですよね、当時。寮だったんで勉強して…、そんなにしたかどうかは置いといて、結構ストレスが溜まるから、近くに今もありますけどディスクユニオンがあったんで、あそこそでCDをばかばか買って。すごい買っちゃったりしてたのが、本もそうなんですけど、つまり知的好奇心が比較的高い時にときに受験生というね、そういう東京というカルチャーを初めて始めてる知ってしまったわけで。で、そこで下北というなんかある意味、田舎にいた自分としては憧れの場所に住むとなった時のカルチャーを知るみたいなね。その感じってのがすごいワクワクしたわけですよ。だからCDとかたくさん買っちゃったし、本とかたくさん買ったしね。
 まだその頃は演劇はそんなに興味がなくて。それから大学に入って、1年生のときに分散劇場って演劇をやって、そこから今は大脚本家になっちゃった森下佳子さんね、大学の元同級生なんですけど、森下佳子の舞台をやるっていうんで、なんか役者として出ないかとか言われて、出て。それぐらいから役者みたいなものが面白いなと思って演劇をやるようになり。と言いながら素人なんですけど。
 そんな演劇みたいなものから、なんか大学出てからもそういうエンタメ、クリエイティブなことやりたいなーなんて思いながら、テレビ局に入ったって意味で言うと、浪人時代に河合塾の寮が下北沢にあったってことは、今の僕を作ってる。結構、場が人を作るという意味では、なんか意味がある場所だったんじゃないかなーなんて思うんですよね。
 あれがもし下北沢じゃなくて、ん〜分かんない、下井草だったら、下井草も文化的だと思いますけど、今、単純に「下」ってくっつけちゃっただけですけど。だったら、果たしてテレビ局入ってたのかなーなんて、ちょっと思ったりもするんですよね。

都内に住んだ意味/30年、2020年で変わった田舎への憧れ

 で、そういう感じでそれ以来は数回引っ越ししてますけど、基本は都内に住んでるわけですよね。その都内に住んでるというのは何かというと、都会に住みたいっていうのが根本的にはあったんだと思うんですよね。都会というのは人と人とがコミュニケーションするし、演劇だろうがライブだろうが美術展だろうが、やっぱり充実してるし。そういうところのその文化、カルチャーのジャンクションっていうか。そういうところに居たいなーと思ってテレビ局に入った意味も含めると、カルチャーのジャンクションの街にずっと住んでいたいなーなんていう思いがあるんでしょうね。
 だから結局19歳、20歳だから、30年、31年東京にずっといるわけですよ。当然その中で僕何回か言ってますけど、ヨーロッパに住みたいなーなんて思いはすごくあって、ロンドンに住みたいとか、ニューヨークに住みたいとか、パリに住みたいとか、ミラノに住みたいとか、そういうのは昔から言ってましたけど、でもそんな中でやっぱり自分も年取ってくると、やっぱりこう自然と言うか、なんか田舎の心地よさみたいなものにも憧れるなーなんてことも思ってたわけです。
 うん、でも思ってたけど、思ってたというのは都会に住んでる僕のアンチな気持ちっていうか。アンチというのはネガティブな意味じゃなくて、反対の意味。自分が普段東京にいるからちょっと東京の喧騒を忘れて田舎に行きたいなーみたいなことだったと思うんですね。だから田舎に行きたいなとか、自然の中に行きたいなというのは、東京にいるということの延長線上でしかやっぱりなかったんだと思うんですよね。で、それが30年ぐらいやってきて、やってきたのに、そこから変わったことが僕ちょっと今回面白いなあと思うんですね。
 だから今回のテーマはさよなら東京なんです。物理的にどうするってこともあるんだけど、それこそ自分の実家の地元の千葉でもなく、19、子供の頃から、まあ青春の頃から憧れてた東京にずっと住んできて、もう東京本当に出たいなって思ったっのって、今回の2020年のコロナパンデミックと言うか、COVID-19と言うか、今回のコロナ禍での篭ってる最中にやっぱり思ったってことなんだと思うんですよね。
 それはまあ何回かこの場では話してるんですけど、簡単に言えば、どうせ篭ってるんなら都会にいる必要ないじゃんっていう。コホンッ…篭ってるというと咳が出るという(笑) なんかアレですけど。篭ってる必要ないじゃんって思った時にね、なんなんでしょうね。篭ってるならば都会にいても都会じゃないところにいても一緒じゃんって思った時に、ああだったら移動してみようかなって思ったっていうのが、東京からのアンチな意味での移動じゃなくて、本当のトランスレーションというか、トランスポーテーションと言うか、本当のムービングというか、そういう気持ちになったんだよなって事が自分の中ではすごく興味深いんですよね。

さよなら東京の3要因/意識が場を変え、場が意識をどう変えるか?

 それってつまり僕の中では多分要因が三つぐらいあって。1つはコロナっていうのがひとつ。
 もう1つは8月で親父が亡くなったっていう意味で、なんか人生みたいなもの振り返ると思った時に、残りの人生みたいなも考えるようになって。それをどういうところで過ごしたいか?って思った時に、もうそろそろカルチャーのジャンクションに居なくてもいいんじゃないかな?と思ったことのような気がするんですよね。これが2つ目の理由じゃないですか。
 3つ目は単純に自分がカルチャーのジャンクションに居ると色んな情報が自分に入ってくる。人含めて、情報と物も含めて、あらゆるものが自分の中に入ってくるとは思うんですけど、それが果たして本当に、本当に、自分が求めたいことなのか?みたいな。追いかけたいのか?みたいな風に思ってる。それは前からこのICUCでは結構言ってるんですけどね。だから知的好奇心向上委員会って意味で言うと、なんか色んなことを知るとか、色んなものに触れるとか、色んなものを体験するというのが知的好奇心なんだってことを思ってきて、それは今も本質的には揺るぎないというか、ブレてはいないと思うんですけど。でもそれをやらなくても知的好奇心が満たされるのではないかなって感じてきた、みたいなことなのかも知んないんですね。
 それを場という意味に落とし込むと、やっぱりもう東京にいる必要がないのかなって思っちゃったっていうことなんだと思うんです。だからそれって僕の人生の中で冷静に考えると、結構な転機なんですよね。それまでは東京に居て、ヨーロッパに住むみたいな、二拠点ならどうしようとかね。つまり東京でバラエティプロデューサーというのやりながらどう生きようみたいな風に、東京というものは僕の中にあって。だから僕Twitterとかでも自分の居場所でTYOって書いたんじゃないかな?つまり東京ね。東京の角田陽一郎ですっていうのは東京が好きか嫌いかというよりも、自分はそこに居るという場がここなんだっていう意味のことが僕の中では結構知的好奇心の源泉であったし、自分の活動の源泉でもあったんですね。
 それが変わるっていうのがすごく面白い。すごく面白い。すごく面白いが7割で3割ぐらいはちょっと寂しい。じゃあ居りゃいいじゃん!って話なんだけど、でも居たとして、東京に居たとして、果たして僕はその知的好奇心で東京という街と一緒にいられるのかな?って思うことは、ちょっとあるんですよね。なんかそんなことを思ってるなぁなんて思うんです。
 だから今回、さよならするのはつらいけど(笑) 星影のワルツみたくなっちゃいましたけど、さよならするのはつらいんだけど、でも自分が決めたので。まあ違う街に暮らしてみようかなと。暮らすというかビジネスの拠点をそこにしてみようかなというのは、僕の中では一大決心なんですね。で、その場が変わることで自分の考え方はどう変わるかみたいなことは、すごくすごく興味があるので、それはまた追ってこういうところの場で、場の話しをたさせていただければ、なんてのは思いますけどね。

東京のムーンライダーズの詩集

 今日のオススメする本、何にしようかなと思ったんで。普通に考えるとちょうどその頃、東京に出てきた時に自分が買った本っていうか、影響を受けた本って何なんだろうなと思って考えてると、あの頃に影響を受けたものを今語るってなると、自分が好きなアーティストとか作家とかの作品になるじゃないですか。それも紹介するのはいいとして、このICUC好奇心向上委員会で僕は本を紹介したとして、その紹介することに何が意味があるかというと、紹介したものが今手に入れば意味ありますよね。うん、そうか、面白いと言ってるんだったら読んでみようとか、思うわけですよね。それはそれでこの意味として正しいんだけど、1989年に紹介したものが今手に入んないんだよね。まあ古本ならあるかもしれないけどみたいなものを果たして紹介することに意味があるのかって考えると、僕がこの動画を喋ってるという意味では意味があるけど、これを見てる人にとっては「ふうん。」ってなっちゃうのかなーなんて思いました。
 で、何を紹介しようかなと思ったんだけど、でもやっぱり僕は東京って考えた時に、何が東京だったのかなと思うと、僕が大好きなミュージシャンのムーンライダーズというバンドがあるんで、まさに紹介するという意味でこのムーンライダーズ詩集。すごいですね、今月の新刊って書いてありますが、これ実は1986年、ムーンラーダーズが10周年記念で出した詩集なんで。新潮文庫のね。
 結構まだ綺麗なんですけど、僕これ死ぬほど読んだ詩集なんですけど。まぁこれで、僕がムーンライダーズが1986年なんで16歳で会って、今年で何年?34年?ファンをやっておりますが。10周年時に知ったんですよね。ムーンライダーズは来年45周年なんで35年かな?うん?計算が分かんないや、35年目の私のムーンライダーズ好きな感じでございますが。
 これを高校生のときとかに読んだ時に、ムーンライダーズというのは東京のバンドと言われてますし、実際そうですから。なおかつそんなにテレビに出ないとかね。別にラジオとかでもそんなにかからないという意味で言うと、すごいサブカルチャーなミュージックっていう意味でいうと、それに出会うためには東京にいないと出会えない。
 東京じゃなくても出会える方はたくさんいらっしゃるけど、僕みたいなまだ高校生の情報源が乏しい人間は、どうやってムーンライダーズのことを知るのかみたいところって、やっぱりネットも無かったから、雑誌のぴあだったりとか、そういうの読んだりとかしてた時に、こういう風に著作が出てくるともう食い入るように読むって言うね。この糸井重里さんとの対談とかね。そういうのをすごい読んで、そういう世界に憧れたんだよなーなんて思いますね。
 帯に書いてありますね。「今月の新刊。糸井重里×松本隆との語りで日本を代表するロックグループの10年集大成」っていう。

慶一さんの火の玉ボーイとコモンマン

 で、もう1個紹介するのが、そのボーカルの鈴木慶一さん、リーダーの。「火の玉ボーイとコモンマン」という。これ慶一さんの本なんですけど、火の玉ボーイとコモンマン、普通の男って意味だと思うんですけど、火の玉ボーイであり、普通の男でもある鈴木慶一さんが、まさに帯に書いてありますが「ロックと都市の記憶を語る」って書いてありますけど。この本をね、見たらちょうど1989年に出た本なんですよ。ってことは多分僕が下北沢で買ったんじゃないかな(笑) と思うんですね。ムーンライダーズ好きで。
 その頃ってムーンライダーズはちょうど活動休止してた頃で、僕が大学に入ってから活動再開するっていう感じなんで、もう活動しないのかなと思って、聞けないじゃん、CDでは聞けるけど生では聞いてないじゃんって思ってることのムラムラ感と、この東京的なバンドということで、ここで慶一さんの対談だったりとか文章だったり、つまり自分の東京の時代がこうだったとか、自分の青春時代がこうだったとかっていうのが書いてあったりね。だから今日は下馬のレストランで取材とかっていう風に書いてあると「下馬ってどこだ?』みたいな。すごいそういうことに憧れたんですよね。
 だから僕の中での、…今、果たしてそんなにサブカル好きかって言うとそんなサブカル好きじゃないような気もします。それは僕の中で次のTBSというところでバラエティ番組を作ったっていう、メインがそっちになっちゃったって意味で、そういう人間になっちゃったっていうところがあるんですけど、もともとサブカル好きだったのはやっぱりこのムーンライダーズが好きだったんじゃないかなーなんてと思うんですけどね。だから僕ん中での東京暮らしっていうのはムーンライダーズと結構イコールなところがありますね。どんだけサブな感じで東京ライフを送るかっていうことが僕の中でのテーマと言うと大げさだけど、何か考え方の主流になってたんじゃないかなあなんて思います。
 で、火の玉ボーイとコモンマン。でもこれって慶一さん1951年生まれだから、39ぐらいの時に書いてる本なんですよね。だからおじさんって言ってるけど、まだ慶一さん白髪だしね。そういう意味でいうと…あ、違う、白髪じゃないしね。今の真っ白な、すごいロマンスグレーのカッコイイ白髪ですけども。そうじゃなくて黒いなーっていう時ですし。おじさんってここに、後ろに書いてあるんですよね。「ロックンロール少年、ロックンロール少女、ロックンロールおじさん、ロックンロールおばさんへ」って書いてあるんだけど。それよりも僕の方がさらにもう10年以上経っちゃってるって言う、年齢的にね。っていうのはまた衝撃的ですけども。

DON’T TRUST ANYONE OVER 30→70

 で、この本ってもう手に入んないんじゃないかな(笑) だからそこが、ここで紹介してる意味があるのか?みたいなことなんだけど。
 なおかつもう1個。これ、このICUCのこの動画は何を意味してるのかみたいなことを考えた時に、紹介するなら徹底的にこの本の中身を紹介すりゃいいんですよね、読めるようにというか。だから普通YouTubeで何か動画をやるっていうのはその本を読みたくなるように、その本のポイントとか、そういうのを伝えることに意味があるんでしょうね。
 あるんでしょうけど、それをやってないやってない。やらないんだからそんなにこの動画も見る人もそんなに増えないっていうことなんだろうなと思うんだけど、なんか僕はさよなら東京というテーマで今日、この場所からの動画を撮るのが最後で、東京に来た時に東京に来るなんとなくのモチベーションの一つだったサブカルチャー好きのきっかけのムーンライダーズっていうミュージックと高一の時に出会って。高1高2高3と当事はね、ブルーハーツとか流行ってたし、なんなら夕にゃんがあって、おニャン子クラブとか流行ってたし。そういうある意味メジャーなところで盛り上がりみたいなものは当然好きだったけども、僕はムーンライダーズにハマっていく高校生って言うね。それってなんか僕の中での、お洒落かと言うとそんなにお洒落じゃないけど、東京ぽい東京みたいなものへの憧れってのはそこだったんじゃないかなーなんて思うんですよね。
 で、期せずしてね、先日ちょうど1週間前ぐらいの10月31日、この前の満月にムーンライダーズ復活のライブが中野サンプラザであってね。中野サンプラザっていうのもある意味僕の中では東京という意味の東京だなぁなんて、中野なんてね、思いながら。そこでこうライブを聞きましたけどね。だからちょうどこのムーンライダーズ詩集が出た年に出た DON'T TRUST OVER THIRTY っていうアルバムの中の DON'T TRUST ANYONE OVER THIRTY っていう、つまり30代以上は信用するなっていうタイトルの歌がありますけど、それを一週間前のライブでは DON'T TRUST ANYONE OVER SEVENTY (笑) 70代以上を信用するなって歌っておりましたけどね。
 まあそんな風になってきて、僕も DON'T TRUST ANYONE OVER THIRTY って16歳の時から30代以上は信用するな、つまり大人なんか信用しちゃ駄目だぞって思いながら生きてきたのに、いつのまにか DON'T TRUST ANYONE OVER FIFTY ぐらいになっちゃうみたいな、自分の中ではみたいなのが、なんかすごい変遷みたいなものを感じるなぁなんて思うですよね。

捨てたもんじゃない/アーカイブは人生

 まあだからこれからね、東京から離れて僕はどうなるのかみたいなのがある意味ちょっと僕の中ではワクワクしますね。なんか考え方が変わるのかとか、あんまり変わんないのかとか。日本はどこでも一緒じゃんなのか。いや別にじゃあヨーロッパに住んでも同じじゃんとか、インドに行っても一緒か?なのか、いや違うかも知れないとか。その辺の違いが分かると、面白いなーなんて思いますね。
 今インドってパッと言って思い出したけど、まさにさっき、大統領候補が勝利したってことでバイデンさんとハリス副大統領候補の演説をやってましたから、さっき見てたんですけど。バイデンさんの演説も良かったけど、ハリス副大統領の演説はすごい素晴らしい演説でしたね。なんか全ての人間が勇気づけられる、で、それがやっぱり女性も勇気づけられるし、もしかしたら人種を超えて勇気づけられる演説みたいなのを見てて、アメリカ捨てたもんじゃないなっていうか。ああいうところがアメリカの凄さだなーって思ったなーなんて言うのをさっき思った訳です。
 で、そんな捨てたもんじゃないなと思うって事って結構大事で。って言うのは、なんか色々あると捨てたくなるじゃないですか(笑) だから多分僕がここから出ようと思った時には、捨てようというか、なんか変えてみようかなって思ったって言うことが…。改名だったりね、ヨウイチロウ(笑) 改々名だったりとかね。なんかそういうところも僕の中ではあるし。ね。だから残りの人生はねどうなるかって事が、それこそアメリカの大統領も変わるって意味で言うと、2020年っていうのは本当にへんてこりんな、へんちくりんな年だったなーと思うと、それが正常に戻る、まあ正常が何かっていう問題もあるから、なんかこう視点が変わる、考え方が変わる、そいういうのが変わって戻るかも知んないし、また違うとこに行くかもしれないしみたいなことのひとつってのは、ね、なんかこう大統領が変わるみたいな大きいすごい世界的な話もあれば、僕レベルで言うと拠点の場所が変わると言うか。そういうことの積み重ねていうか蓄積みたいな、アーカイブみたいなものが、人生なんだろうなぁなんてことを思う訳です。
 うん。そんな感じですかね。ね、だからここで話すのが最後で、来週は新しい場所からお送りできるのかなあなんて思いながらね。で、面白いですね(笑) それで本棚また後ろに並べて、結局風景変わってないじゃんみたいな(笑) そんなに変わってないじゃん動画だったら、みたいなことがあるかも知れないしね。

書ければすげぇ論文になる

 さてと。この動画も撮り終わったんで、えーっと、修士論文を続きをやんなきゃなぁなんて思いながら…。ふぅ〜…、結構…、書ければすげぇ論文になるんだよな〜。これ「おお?!」ってなるような論文になれるような気がすんだよな。…書き終わればね。あるいは、終わらないけど無理くり終わらせるんじゃないですか、多分。そうすると無理くり終わらせるって事は、もっとクオリティ上げられたのにって思いながらみたいなね。でもそういう意味で言うとね、まあ20、それこを何年か前には卒業論文を書いて、一応卒業しておりますけども。それ以来論文なんてものは書いてないわけだから、今回の論文は仮に拙かったとしてもまず書き上げて、それをこうホップ・ステップ・ジャンプのホップにして、なんか自分の論考みたいなものがより進むとね、文化資源学という、文化資源学研究者としてっていうところが広がると面白いなと思うし。今の場の、例えば自分はさようなら東京ってことで場が変わると考え方も変わるよみたいな事ってのは、僕のすごい、単純に個人的な感想だし、個人的な意見として言ってるけども、これを論文で書くならもうちょっとこう色んな文献を引用して色んなことを考えてる方の意見から紐解くみたいなことをやると、実はその場が変わるとって事が一つ、語る事が一つのまた文化になる。これって今回論文を書いてて一つ面白いなと思ったことだったんですね。今では自分の思ったこと自分が言えばいいやっていうオリジナリティーこそに意味があるなぁなんて思いながら 。むしろ出典を隠して自分の中で本を書いていたみたいなところが、むしろさっき言った積もり積もった蓄積みたいなものの上に自分がいるっていうことが、書き物して面白いなーって思ったことが、すごい今自分がワクワクしてる一つのきっかけかなーなんて思っております。
 はい。ということで、知的好奇心向上委員会ICUC from 東京、最後の回でございました。また皆さんよろしくお願いいたします。
さよなら、東京。


文字起こしメモ&感想

 場、空間を去る寂しさ。住居、職場、私の場合は友達と会った場やイベント会場すら寂しい。人間だけじゃなく犬や猫でも場の把握と場に対する感情があると思う。犬は人に、猫は家に付くというのもそうじゃないかな。人という場、家という空間。
 名残り惜しい。名残惜しいというのは思いを馳せる余地がふんだんにある気がする。死みたいな場合は、これが最後というか、寂しいに諦念が混ざって名残惜しいとはちょっと変わる気がする。

 色んなことを知る、触れる、体験することが知的好奇心だとすると、どれも人より少ない私にとっては憧れであり、常に努力不足、出遅れ感を伴う苦手な部分も。角田さんの言う”それをやらなくても知的好奇心が満たされる”というのはどういうことだろう?
 これ、おバカはちょっと想像でものを言っちゃいけないなって気がする。自分でモノを知ろうとしない、知的好奇心希薄、外出不足、人との出会い下手を都合よく”それでも知的好奇心は満たせる”などと言いそうで。
 知的好奇心って自分を基準にした外への興味だから、その気持ちが満たされれば何でもいいとも思うし、満たされる形は人ぞれだから聞いても参考にしかならない気もするけど。私は人の好奇心との向き合い方、向いてる方向を意識して人付き合いしてみたい。

 東京にさよならした3つの要因。情報の取り方にさよならするとも言えるかな。コロナ、死、3つ目は、疑念?今までの知的好奇心への。さっき知的好奇心って外への興味と書いたけど、外じゃなく内へ変わったのかな。色んなことに興味があるということは生涯変わらないだろうけど、東京にいれば職業的にも情報は雪崩れ込むように入るし、またその情報を捌く要領を備えてる。情報を得ることに対して謙虚、勤勉、好き嫌いなし。でももしかしたら大量の情報を捌き選択していたけど、自分の気持ちを基にした選択は少なかったとか?無意識で仕事優先的な。
 最近アウトプットの量と質の違いを口にされること多いし。選択の基準が変わると情報の入れ方も変わるとすると、場を変えようと思った時から既に変化してる。この変化の中に”それをやらなくても知的好奇心が満たされる”があるんだろうな。私は自分でそれをどこから見つけられるだろうか?それにしても、情報を捌く能力自体が羨ましい。

 捨てたもんじゃないって、不思議。東京を捨てというか去る人が言うの。私の脳味噌不足で意味間違えてるかもだけど。
 多いから捨てる、減らす。私は今、引っ越すつもりで片付けしてるから、捨てたもんじゃないと言われるのは不味いんだけど(笑) 多くて捨てたいというのは、多さに圧倒され始めると、見えなくなるものがある、身動きできなくなるってことかな?量、数に圧倒される。数を捌けなくなるのは年のせいとは言いたくないお年頃だけど(笑) 捌けなくなることで捌き方に質と個性がでるということかな?
 攻殻機動隊の好きな台詞思い出した。「私の原型にはもともとなかった端末(効果器)だが失うとなるとまた特殊なモードになる」「総体としての私は順次簡略化されているが私そのものはなぜか変化しないようだ」「わずかな機能に隷属していたが制約を捨てさらなる上部構造(システム)にシフトする時だ」上に移動する時は一度削ぎ落として、自分の本質だけを持って上がる。そう思ってる。

 前にも話題になった時にほんの少し聞いたことはあるんだけど、改めてムーンライダーズを検索。「DON'T TRUST ANYONE OVER THIRTY 」の他、たまたま画面にあった「火の玉ボーイ」「9月の海はクラゲの海」「涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない」を視聴。黒髪の頃の映像もあれば、ロマンスグレーの頃の映像もあったけど、断然ロマンスグレーの方が良かったし、歌詞の意味の柔らかみというか温度というか、なるほど、角田さんが好きだと言う意味、多くのファンがいらっしゃるのが分かる。

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by 角田さん)
[CAMPFIRE]知的好奇心向上委員会 ICUC
ICUC note

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