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ICUC#025(篭って週間#019)2020.8.2【8月の自省と想い出:世界の歴史と高松駅とペヤングソース焼きそば】

今週ものんびりと知的好奇心のアップデート【 ICUC 知的好奇心向上委員会】に参加したので、復習用の参加メモを作成しています。

今日の推薦図書 
『告白』アウグスティヌス著・山田晶訳(中公文庫) 

動画 (ICUC先行公開後に一般公開)
ICUC#19「8月の自省と想い出:世界の歴史と高松駅とペヤングソース焼きそば」
8月になりました。僕は8月になるととても自省的になります。そんな気持ちを8月の想い出とともに振り返ってみました。 もしよかったら、ご覧ください。

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

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ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

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動画の内容
・8月というのは自省する月
・中学3年、プールと高校野球と日航機墜落事故
・高校2年、クーラーの幸せと中公新書
・高校2年、ガンダムとフランス革命
・高2の僕は世界の歴史を一回頭に入れたという自信
・全体を把握することは大事でお得
・全てのものは歴史、全体から個別へ焦点を合わせる
・自分を思索する期間はあっという間
・大学2年、阿波踊りと待ち合わせ
・角田陽一郎の人生のピーク
・20代、上高地散策とペヤングソース焼きそば
・面白いヒト・モノ・コトと面白いストーリー、どちらも面白い
・8月というのは歴史の月
・8月と告白
メモという名の私の感想

8月というのは自省する月

 おはようございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。知的好奇心向上委員会の8月2日分でございます。
 8月になりました。8月になりましたね〜。8月というのはですね、文章に書いたことあるんですけど僕の中では結構色々考えさせられる月だと毎年思います。それって何でなんだろう?なんて思ったときに、やっぱり8月って子供の頃から夏休みで、夏休みって小学校のときは小学校、中学校のときは中学校、高校、大学と…なんて言うか独特の、普段の生活を省みて、あるいは退屈だーみたいなこともあり、あるいはどこか遊びに行き、そういうなんか自省する月なんだよなぁと思ってますね。

中学3年、プールと高校野球と日航機墜落事故

 僕は子供の頃の事とかもうだんだんね忘れて来てるけど…覚えてることは覚えてますけど。例えば中学校のとき、日航機ジャンボが墜落したのをテレビでずっと見てたのも8月だった。
 確か昼間はプールに行き、その時に高校野球で千葉県代表(僕は千葉出身なので)が負け、負けたんだと思い夕方テレビを見ているとニュース速報が流れ、そこからはずーっと飛行機が墜落したというニュースを見続けた記憶がある。

高校2年、クーラーの幸せと中公新書

 高校2年生の時はなんかすごい覚えてるんですが、昼間、なんかもう退屈で退屈でなんだけど暑いなぁなんて思い布団で寝でた。クーラーをガンガンにかけて寒いから夏なのに毛布じゃないけど結構厚い布団をかけて「クーラーがガンガンに効いた部屋で昼間から寝てるの幸せ」って思ったのが確か高2の夏。あの光景、あのとき住んでいた家のことも思い出すし、そういうふうに思ったことを覚えてる。その時にああ退屈だ、なんかやんなきゃって思った。その頃は部活もやってないしバイトとかもやってないし。何もやってなかったのかな。
 それでせっかくだから何か本を読んでみようと思い、たまたま中古だったか新刊だったかもう忘れたけど、本屋さんに行ったら中公文庫で全巻箱に入ってる「世界の歴史」があり、7500円だったイメージが…そうかあの頃文庫一冊が500円ぐらいだったとしたらそれくらいで合ってるのか、十数冊…分かんない!分かんないけど箱詰めの世界の歴史があり、それを買った。学校の帰りかなんかに。何もやることないから1巻から読んでみようと思った。僕は高2の夏は世界の歴史を1巻から読む、人類のあけぼのみたいなところずーっと読むということを確かずっとやってた。結局夏休みも超えちゃって、秋口にぐらいに読み終わったと思う。

高校2年、ガンダムとフランス革命

 これもどこかで書いてるけど、1巻から読み進めて半ば苦痛なところあったと思う。アケメネス朝ペルシャとか面白かったかどうか分かんないけど読み進める。そうしたら十何巻かにフランス革命あり、フランス革命が凄まじく面白かった。つまりそれまでは歴史の教科書を読んでいるのと同じような感じで続けてきてたけど、フランス革命のところだけ読み物として面白かった。こんなことが次々と起こるワケ?!と。
 当時だったら例えばガンダムとか流行ってて。ガンダムって地球連邦軍 対 ジオン公国の戦いで、僕ら若い子たちはみんな熱狂してる。大人もそうだったかもしれないけど。やれジオンがどうだ、ジャブローがどうだ、ア・バオア・クーがどうだと色々話してた中で、フランス革命のフランスとフランスを囲む連合軍みたいな、イギリスとかオーストリアとかロシアとか、そういうとこが絡んできてナポレオンまで行く過程でこんな戦いがあり、どこでルイ16世が処刑され、革命の中でロベスピエールが力を持ったかと思ったら処刑されというふうに、権謀術数でどんどんどんどん話が変わっていく感じというのは、たまらなく面白かった。

高2の僕は世界の歴史を一回頭に入れたという自信

 全巻を読み終わり、フランス革命が面白いと思い、そこから世界史とかの点数が良くなった。読んだことを覚えてるかどうかは別にどうでもよく「僕はこの世界の歴史を高校2年生のときに読み切ったんだ」をいう思いが、教科書で新しい事実がでてきたとしてもあぁ知ってる知ってるみたいな、本当は知ってるかどうかわからなくとも、俺一回読んでるもんみたいな。「全部の世界史を僕は一回頭に入れたんだ」という固定観念というか思い込みというか催眠みたいなものがあると、すごく無意識に自信が持てるんだとことをそこで覚えた。

全体を把握することは大事でお得

 それ以降、自分としては全体を把握することは結構大事だと思っていて、その全体を把握することとは個別に詳しいところを見る。ジェネラルとスペシャルみたいな。よくスペシャリストかジェネラリストかみたいな話をお仕事でも学問でもするけど、僕はやっぱりジェネラリストでありたいと、たぶんその時に思ったのかも知れない。
 だからこれもよく自分の本で書いてるけど、自分が世界史か日本史かを選択するとき…今は公民とかも選択なんだっけ?世界史はむしろマストなんだっけ?ちょっと分かんないんけど、僕は世界史か日本史かを選択となったとき、迷わず世界史だった。それはなぜかというと、覚える情報量が世界史はすごく多そうだから苦手と言ってる人がいるけど、僕としては日本史ってのは世界史に内包されるわけで、ということは世界史だけやれば日本史も学べるじゃん、お得(笑) みたいな。 お得って言うとまた語弊があるんだけど。

全てのものは歴史、全体から個別へ焦点を合わせる

 だから全体を知ってた上で、俯瞰からピューっと焦点を合わせると日本史になるし、アメリカ史になるし、アフリカ史になると考えると、世界史って焦点を大きく小さく見るだけで何でもできるし、一方で世界史の史って歴史なわけだから、ピューっと絞る焦点をこっちにずらすと哲学史になるし、ガンダムの歴史にもなるし、例えばローリングストーンズの歴史にもなる。つまり自分が興味を持ったもののところに焦点を合わせるだけで見える。だから最初からそれだけに絞ってしまうとすごい狭くなる。例えばローリングスーンズばかり聞いて、好きで、急にプリンスが好きになっちゃったとき、狭い世界から狭い世界に行くより、全体の中で移動した方がなんか楽しいんじゃないかと。
 高校生のガキの頃の僕にはそんな言語化しているところはなかったんだけど、なんかそんなことを思ったのがたぶん1987年の夏、高2のね。

自分を思索する期間はあっという間

 夏休みというものが自分を思索するひとつの期間なんだという意味で、7月は夏休みなんだけどまだまだ始まったばかりで、8月になるともう終わり、長いと思ってた日もいつのまにか夕方で、6時でもうこんなに暗くなるんだっけ?と思ったりするのが8月だし、特に甲子園が終わった日ぐらいが27日で、ちょうど小中学校の登校日だったりする。そうするとあと1週間しかない。夏の終わりみたいなものがすごくあるんじゃないかと思う。

大学2年、阿波踊りと待ち合わせ

 大学の夏休みってそんなに覚えてない。秋休みがあったから夏休みってすごい混んでるイメージがあったから夏にどこか行く必要ないと思ってて。秋休みにどこか行けばいいと思ってた記憶があるからそんなに夏休み…あぁそんなことない!徳島の阿波踊りに行った。大学2年生と3年生のとき、行ったなぁ。楽しかったなぁ。
 遠い目をしてしまいましたが、徳島に行った。大学に阿波踊りサークルがあるんです。後で聞いた話だと僕より後輩のチームラボの猪子さんはそのサークルに入ってた、徳島の方だから。
 僕はそのサークルに2年生から入った。みんなで連を作って踊る。鈍行で大垣行きだったか?夜行が走っててそれが一番安い。今はあるのかな?分からないけど、当時はそれで大垣まで行き、在来線で神戸へ行き、そこから船で徳島に渡る。すっげぇ疲れた。そしてみんなで民宿に泊まって踊る。足袋で踊っていると足袋とアスファルトって足が痛くなるだよなぁとか思いながら。あと女踊り男踊りがあるから2日目は女装して踊るとか、すごい楽しかった。僕の出身地の千葉は良く言えば比較的新しい町、悪く言えば文化がそんなに無い街だから、お祭りと言っても昭和、戦後にできたような祭りばかりで、昔から祭りがあるというのはすごく楽しいなーと思ったことが記憶にある。

 あのとき阿波おどりを踊って、大学2年生だから19…?19になるのが浪人なんだから二十歳か。僕は8月17日が誕生日なので誕生日の直前、阿波踊りは12〜15日ぐらいだからちょうど20歳の夏。そのサークルには高校から仲良いやつが一人いて、サークルが現地解散したあとそのまま一緒に四国を一周しようという話になった。もう1人、別の大学へ行った高校時代からの友達も一緒に、そいつの車で行こうと。
 そいつは東京から車で来ると言う。当時は携帯はない。阿波踊りサークルが終わった日に朝ごはん食べて解散して、ちょうど12時ぐらいまでに行けるから、12時ぐらいに、行ったこともないからどこで待ち合わせと言っても分からない香川の高松の駅集合といった具合に、決めたのはそんな雑な集合だけ。だけどそいつはいい加減なヤツで本当に来るのかということもちょっとあった。だって車で高松までって大変だし、なおかつ、どうやって来るのか?(確か下道できたとか言ってた、高速は金かかるからとか言いって。学生ですからね。)なんて思ってた。

 徳島から高松に行く電車の中で僕らは「あいつくるかなぁ?」「来ねぇんじゃねぇの?だってあいついい加減じゃん。絶対来ないよ!」「来なかったらどうする俺たち。だって宿も全然取ってないしさ。」「そうしたらどうしようか、高松から電車乗って…」
 ちなみにそいつは電車オタクですごく詳しく、僕は全然段取りを段取らない男だから、車で来た奴の車に乗るか、そいつがいなければ電車オタク君に全部スケジュール任せればなんとかなると思いながら、もし車のそいつと会えなければ高知まで行って、当時盛んではなかったけどまだユースホステルがあったから「高知のユースホステルに安く泊まって、鰹のたたきでも食べよう!」「いいね!」と、そんな話をしながら高松駅に向かった。

こんな話すると思わなかったな今日?!

 高松駅に向かい、あいつ来るかなーと待っていると、急に後ろから「よっ」て声をかけられ、ぱっと振り返るとそいつがいた。「おおぉーっ!!!」と3人で超盛り上がった!駅の広場で、三人で、超盛り上がった!「うわ!すげぇ!俺たち出会った!!」
 何で僕が嬉しかったかというと、その「よっ」て言い方が、例えば学校終わりにそいつと遊ぶときに「津田沼駅で5時ね」とか、千葉の津田沼駅にパルコがあって、そのパルコ前とか反対側の代ゼミとかで待ち合わせしてそいつと会ったときに「よっ」て、その軽い「よっ」という感じ。さっきまで学校で一緒に居たじゃんみたいなものも含めての「よっ」という軽い感じで会うあの感覚が、それが高松の駅前で行われたというこの空間の長さみたいな感じが。
 まだ大学生でそんな旅慣れてないからかもしれないけど、まるで自分の地元で会ったときの「よっ」という雰囲気で、そいつと高松で「よっ」て会った時の感動がすごく嬉しくてすごく三人で盛り上がってた。

 そこは農家の方とかが野菜とか売ってる広場で、一人のおばちゃんが僕らが喜んでいる姿を見て大笑いしる。なんかすごいハッピーだった。すっごい大笑いしてて、大笑いしてるおばあちゃんに僕らは一生懸命説明する「いやこいつね、いい加減なやつだから車で来るとか言って来るわけないと思ってたんですよ!そしたらねぇ、来たんですよ!会えたんですよ!」と。意味分かんない、大したことじゃないんだけど、それでわぁーっと盛り上がってたら、その盛り上がってるのを見ておばちゃんがお笑いして。

角田陽一郎の人生のピーク

 それが20歳、21歳になる直前の夏だった。それから大学が終わり社会人になり30代40代になり。それから何年も言ってました。僕、角田陽一郎の人生のピークは20歳の夏に高松駅でイシガミ君と出会った瞬間、あの瞬間が僕の人生で一番ハッピーだったんじゃないかなんてね。当時からずっと言ってました。だからTBSに入ってADとかやってて辛い辛い日々を送っていた時に「あぁ大学時代楽しかったなぁ」なんて、みんな思ってるのかもしれないけど、大変な時、あの大学2年生の二十歳の夏、イシガミ君と出会った…イシガミ君って名前言っちゃってるけど(笑)、イシガミ君と出会ったあの瞬間は、何かかけがえのないものだというか人生のピークだなって。あそこからむしろどんどん下って行ってるんじゃないかな。イメージで言うとぐいーっと上がって行ってイシガミ君と高松で出会う。もう一人電車オタクはミツカ君って言うんだけど、ミツカ君とイシガミ君と出会う。そこからピューっと落ちていく。そのピークがちょうどそこだったんじゃないかなと思ってる。

 実は今でも思ってる。明石家さんまさんが番組をやってた当時に仰ってたんだけど「なに言うてんねん、俺の面白さのピークは奈良商業高校時代の体育祭の徒競走で用意スタートで自分だけ逆に走り、それで全校生徒が大笑いして、先生が追いかけて。多分1000人以上いた全校生徒が大ウケした。それが俺のお笑いのピークや。」って。なんか分かる。あの時ほどウケた俺はないみたいなことを仰ってました。それって面白いなぁと思う。

20代、上高地散策とペヤングソース焼きそば

 昨日はお茶の水女子大学で行われた生活哲学学会とで講義させていただいて、フードコーディネーター・料理研究家の是友(これとも)さんと一緒に対談させていただいて、なかなか楽しかった。食をエンターテインメントにするにはどうすればいいでしょうという話でクロストークや参加者の方から質問を受けたりしたけど、その中でストーリーは大事だという話をした時に僕も思い出した。
 僕が今まで食べた物で一番美味しかったものは何か?それは夏の暑い日に長野と岐阜の県境にある上高地を登山ってほどじゃないけど何時間か散策し、駐車場まで降りてきて一息つき、そこのお土産やさんで「ペヤングソース焼きそば」を食べた。あのペヤングソース焼きそばが僕の人生の中で一番おいしい食べ物だったのではないかと思う、という話をした。

面白いヒト・モノ・コトと面白いストーリー、どちらも面白い

 つまりその面白さ楽しさのピークって、僕の人生の中では1991年8月の14日か15日ぐらいの高松駅前でイシガミ君とミツカ君と僕で盛り上がったのが人生のピークな気がするし、今まで一番美味しいかった食事と言われれば1995年?6年?7年?8年?分かんない、もう分かんないけど、20代の時に夏の上高地に行って降りてきて、山登りとかしたことないからすごい体力なくてハァハァ言って、その時にあのお土産屋さんでお湯借りて食べたペヤングソース焼きそば、うまかったなぁみたいな。

 それって「駅で待ち合わせたこと」と「ペヤングソース焼きそば」ということ。そのもの、その行為、そのヒト・モノ・コトが本当に良いものだから良い、悪いものだから悪いみたいな話にいつも行くけど、実はそこに行くそこまでのプロセスとか、それを行って受容する僕あるいは友人といったストーリーの面白さというか、ピークがむしろそっちに寄ってると思う。
 先日ネットで見つけた記事に「本当に面白いトピック、ネタとして、面白いものがないと文章はも面白くならないのか?」と書かれている方がいて、これは結論から言うと、結論といってもあくまで僕のですけど、どっちでもいいんじゃないかなと。すげー壮絶な体験をしたものを書かれていて面白いものもたくさんある。面白いと言うか素晴らしいというか。だからその体験がすごい素晴らしくて、様々なことやり、映画というか作り話のような作り話じゃないことを体験したことも面白いし、日常の本当に些細な、駅で友人と待ち合わせして会えたとか、山登りした後の即席カップ麺が美味しいとか、そういうこともすごく面白いし幸せなんだなぁと思います。

8月というのは歴史の月

 そんなことに立ち返ってしまうのがやっぱり僕の中では8月だって事を思う。なんか僕の8月の思い出話が多くなっちゃったけど。8月6日の広島に原爆が落ちた日、8月9日の長崎に原爆が落ちた日、8月15日の終戦、負けた敗戦の日、終戦の日ということをいつもいつも僕は考えちゃいます。そして17日は僕の誕生日でね。僕の大事な尊敬する恩師の方が亡くなったのも8月ですし、そもそもお盆ですし、やっぱり死というものをすごく考えさせられる。夏休みで話しましたけど、子供の頃はおばあちゃんちに行ったりとかして、そうするとお墓参り行ったしみたいな意味で言うと、先祖、歴史、先人っていう意味も振り返るのは8月なんだろうなと思う。だから8月というのはすごくそういう月。
 僕の個人的な気持ちで言う今はコロナで、この8月はなんかすごい寂しいなと思ったりもしてて、来なきゃいいのになと思いながら、もう8月2日ですけど、8月来ちゃったかとそんなことを考えている8月でございました。

8月と告白

 今読んでる本なんですけど。「告白」アウグスティヌス。アウグスティヌスの話はちょっとしたと思うんですけど、読み始めたばっかりなんですけど、いやぁ〜アウグスティヌス先生にはですね、すっごい色々教わりますね。これは難しいのかなと思ったら難しくなくスラスラ読める。訳が超良いって言われてますけど、訳が良いですね。なんかいろいろ本当に考えさせらた。
 アウグスティヌスってアウグスト、Augustと関係あるのかな?皇帝アウグストゥスからAugustって取ってるから。アウグスティヌスとアウグストゥスっていうのは、なんとなく多分、語源が一緒という意味で言うと、8月の頭に参考図書で言うには丁度いいかな。

 告白。全3巻でいま1巻を読んでるところですけど、いろいろ、色々思います。ルソーも告白っていうのを書いてますけど、告白することってすごい大事だと思います。結局僕がここで喋ってるのもどこまで告白してるかはともかく告白であるし、何か文章を書くということは告白なんだと思ったときに、その告白に至るこう思ったとか、こういう風に起こったとか、それで私はこうなったみたいなことって、さっきのペヤングソース焼きそばなのか高松市の待ち合わせなのかってことも含めて、あるいはもっともっと大きいことで言えば、コロナでこうなった、地震でこうなった、戦争でこうなったみたいなことが様々なパースペクティブで縦横にあるり、そんな中でも自分がそこで経験したことがあり、それを言葉にして喋る、あるいは文章にして記すみたいなことが告白なんだろうなと思う。

 いつもにもまして今回のこの動画は自省的ではございますが、まあ8月がそういう月なんだと思いながら、ん?今日やってあと4回ぐらいあるから、毎回自省的な話でいいのかみたいなことを考えるんだけど、毎回自省的なんだよなどうせ、とか思いながら。それが少しでも知的好奇心向上に繋がると…繋がんねぇか(笑)! とか思うけど、まあそんなことを考えながら今日も動画は朝に撮っておりますが、終わりにしたいと思います。
 なんか聴いてくれくださってる方が音が小さいみたいなことを言われて。それもすいません。いつもテレビのプロだとか言っておきながら自分が喋る時はつい恥ずかしくなって声が小さくなっちゃったりするんですけど、そういうときはですね、すいませんって半ば思ってるけど、それは聞けるように頑張って聴いてくれよみたいなことを思ったりしております。よろしくお願い致します。角田陽一郎でございました。


メモという名の私のいらん告白と感想

今回はぜひ動画を!
夏の思い出話にセミの声がずーっと入ってる。
すごく雰囲気がいいので。

 動画を見た人みんなが思ってるだろうことは、自分のピークはいつの何だったろうか?ということでは?
 私は今だと思う。角田さんを中心にICUCで、発展途上人学で、それぞれの場所で出会えた人たちと繋がれている今がピークとしか思えない。腹筋が千切れそうなほど笑ったことは何度もある。でもどれも思い出せなかった。

 一昨年「彩さんが成功できないのは幸せだから」と言われた。何か始めるのは勇気がいるけど、そうか私には気合いも覚悟も一歩を踏み出すロジックを組む能力もないから成功できないんだと、正直今でもふて腐れた気持ちではあるけど、あぁそうか、そんなふて腐れるようなことも含めて”私という人は幸せです”という結論になってしまうのかも知れないと思った。
 一定の幸せをキープするのは悪くないけど、山も谷もなく色がくっきりしないから思い出せないんだろう。そうだよな、癌で他界寸前の父が入院する病院で、失明率の高い不治の病ですと宣告されても実感が沸かず、沸かなすぎて発作もストレスもなく、20年もずーっと寛解しちゃう人だから、もはや不治ではない(笑)
 凹みがあっても自然と埋めてしまう、1日やひと月などの短期間である程度均してしまう能力なのかな?そうだとするとすごいけど、それを色が薄いなんて言ったらバチがあたるのかな。でも角田さんの様に20代のあの時がと思える日があることをすごく羨ましく思う。宝物を持ってる気がするから。

 気になったのは人生のピークの高松駅の出会いの話。遠い地での非日常に当然の顔をして現れた日常の唐突さに笑ってしまう。大学の夏の思い出話に差し掛かったとき、角田さんはすぐにこの思い出を思い出せなかった。話始めてから「あぁそんなことない!」と思い出してる。これは何故なんだろう?
 仕事が辛くて会社から脱走したとき、きっとこの思い出を繰り返し眺めたんじゃないかと思うけど、フリーになって、バラエティプロデューサーになって、もしかして日常の幸せの平均値が上がって、もしくは下がって、少しだけ埃を被ったのかも知れないなんて思う。縋らなくても大丈夫というか、今まで通り沢山の出来事が起こるけど振り回されなくなったというか。

 最近よく考えるのは、自分は多くのことを知りたいのに情報量に対応できない性質だった気がするとうこと。情報に飲まれてパニックになる自分を守るために、自然と興味を持つことを少なくする本能的な自衛策。その制限した情報量で20年30年かけて少しづつ対応できる量を増やした。もちろんそれでもICUCのメンバーにも角田さんの足元にも及ばないけど、だから今ごろ知的好奇心の向上に愛着が湧くんじゃないかと、どうしてもそれが合ってるように思えて仕方ない。誰しもピークが20代ではないはずだ。私はこれからドタバタするのか?スマートな40代を送りたいんだけど…

 12ヶ月が3ヶ月づつで春夏秋冬。それが1日なら冬(12/1/2)は夜、春(3/4/5)は朝、夏(6/7/8)は昼、秋(9/10/11)は夕。日が暮れ始めるのがやっぱり8月に当たる。楽しかった今日も終わってしまうと惜しみながら、風呂に入り歯を磨き、自分を清めて明日を楽しみに目を閉じる時間が来る。
 人生では?と考えると、人生80年を春夏秋冬をそれぞれ20年とすると、春(〜20)、夏(〜40)、秋(〜60)、冬(〜80)、40代は夏の終わりで、私や角田さんくらいの年代は人生的にも自省色が強いのかも知れない。自省 on 自省の自省祭り?!

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by 角田さん)

[CAMPFIRE]知的好奇心向上委員会 ICUC

ICUC note

そうだそうだ、忘れてた。
想い出じゃない普通の味のペヤング載せようと思って食べたんだった!

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