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つれづれ…なるままに。135。

不謹慎かも知れませんが、昨日、ふと思ってしまったことを書きます。

今の状況って「東日本大震災」の原発事故の時と似てないか?
同じような事になってきていないか?

あの震災のあと、原発事故が発覚して放射能の問題で、いろいろな事が起きました。

目には見えない「放射能」に怯え、数値ばかりを気にする日々が続き、みんながピリピリと正しい情報を追い求めていました。

結局、ちゃんとわからないまま、今度は…原発で働いていた人たち、会社、住民に非難や酷い言葉が投げつけられました。

目には見えないモノに対して、どうすればいいのか、防ぐにはどうしたら、自分のところは安全なのか…不安を抱えて生活をしていた人たちも多かったでしょう。

ある時、東京に住む私に、名古屋に住んでいる友人が「放射能が怖いから九州に引っ越す」と連絡があり、電話で大喧嘩をしました。
私からすると「なにを言っているの?」でした。その後、友人はどうしたか?
私は、今でも東京にいます。

似てませんか?
この、人の気持ちの流れ方の怖さ。

今現在、外出自粛や、営業が出来ない店の人たちの絶望感。相手は、目には見えないウイルス。
気持ちが荒みはじめて「自粛警察」だとか、相手を攻撃することで、憂さ晴らしのようなことをしている人たちが出てきました。

今回は、標的がハッキリしないだけに、自分のストレスを吐き出す先が無茶苦茶になりそうです。なんでもよくなりそうです。

気に入らなければ何をやってもアリ。となったらどうなってしまうのでしょう。
そこまで、人間は愚かになれるのでしょうか?




原発事故で、または違う理由でも、辛い思いをした人たち、今でも続く、先の見えない闇のような世界にいる人もいます。

今は、コロナウイルスによって、全国的に、世界的に先の見えない闇の中にいます。

だから、自分のストレス発散のような行為や、絶望して間違った選択をしないようにするには、どうしたらいいのか…私には、まだわかりません。

思い返せば、震災の時、原発事故の時、テレビでは
『絆』
と繰り返していました。
当時から、私は違和感を持っていました。
曖昧な言葉で、結局、なにをどうしたら助けになるのか?義援金や寄付金の使われ方の一覧は?見たことがありません。
(どこか検索すればあるのでしょうが)

私たちは、あの時、何を学んだのでしょう?

何か学ぶことがあったのでしょうか?

結局、何も学ばなかったのでしょうか?

それとも、人間は未知なものに対して、初めは怯え、次は攻撃的になるのが普通のことなのでしょうか?

酷い世界にならないことを、思っています。

文庫本にカバーをつけました。
私は、ほとんどカバーはかけないのですが、私が買った本を、パートナー氏が先に読み(オチまで言うというミスをしでかし)表紙に反りグセがついてしまい、今回は仕方なくですが…。
かなり前に買ったカバーをやっと使うことができました。

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