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自分を苦しめていた正体は、“思い込み”だった


ずっとモヤモヤしていたことがある。
目の前の人ためにとった行動が受け取ってもらえない。
そんな感覚を社会人になってから味わうことが多くなった。

2022年春、このモヤモヤの正体に出会った。

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物心ついたときから、人の顔色を伺うような子どもだったように感じる。
人の感情に対して、人一倍敏感だったのかもしれない。

ひとりっ子で大人に囲まれる時間が多かったせいか、相手の表情や言葉からどんな感情でいるのかを無意識に分析していた。

この分析は、友人との関係を構築するうえですごく役立ったと思う。

「◯◯ちゃんの口数が昨日より少ないな。何か悲しいことがあったのかな?」
「言葉が鋭い気がする。機嫌があまり良くないのかも」

そっと声を掛けると、自分なりの分析は的中することが多かった。
だからこそ、いつからか相手の感情の予測が予測ではなくなってしまったのかもしれない。

「きっと相手はこんな感情だから、私がこう動けば喜ぶ」と他人を介在せず自己完結で行動を重ねるクセがついていたのだ。

日に日にクセは強くなっていった。

「私と話しているとき笑顔がないな。きっと退屈な気持ちにさせてるのかも。」

自分の世界でぐるぐると思考と行動を重ねるうちに、目の前の相手からどんどん離れていた。

そう気づいたのが、1on1コーチングでのセッション。コーチからの一言だった。

「自分と話すのがつまらないって思っているけれど、話してるときにつまらないって誰かから言われたのですか?」

ん…??あれ……??言われた記憶が全くないぞ……?

ゆっくり思い返してみると、お互い緊張していたり、共通点が見えず手探りになっている状況がぎこちなさを生んでいたように感じる。「話のつまらなさ」はそこにはなかった。

その時、ハッとした。


ずっと思い込みをしていた。目の前の相手に向けた行動は、在り方を肯定するための自己満足でしかなかったのだ。

周囲の人に気を配って行動をしている自分は優しいと、そう思いたかったのかもしれない。

職場でも他の人が忙しそうだったら、率先して残っている仕事をもらった。
悩みを聞いてほしかったけど、その場が違う話題で盛り上がっていたから話すのをやめた。

他の人を介入させず、ずっと自分の判断軸の中でしか生きていなかったんだ。

モヤモヤをつくりだしていたのは、自分自身だった。


モヤモヤの正体に気づいてから、余白をつくるように意識をするようになった。ここでいう余白とは、相手の反応を受け入れること。相手の感情を入れるスペースをつくりはじめた。


ちょっと受けとり方を変えるだけで、目の前の相手とのやりとりがぐんと面白くなったし、楽しめるようになった。

勝手に自分が人を受け入れる扉を閉じていただけだった。

ようやく思い込みを解放できつつある。少しずつ扉を開けて色んな人を招き入れたい。


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