チョイス依存症: SF小姐のディストピアエッセイ 02

Youtubeどのくらい見てる?

ボロボロ保護猫ちゃんがピカピカ元気になっていく動画シリーズとか、森の中でプリミティブな生活をしていて手掘りした粘土を自作の窯で焼く動画シリーズとか、めっちゃ見まくっちゃうわよね。ね?

で、自分はどのくらい見てるんだろう思って累計再生時間を見てみたの。

あ、Youtubeアプリの自分アイコンをタップすると「視聴時間」って出るからそこから見てみて。

週に19時間。

さすがに二度見したね。え、24時間近いって。睡眠7時間入れちゃったら1週間のうち1日はYoutubeに費やしていることになるじゃない。

あ~、その時間バイトして夢を叶えるためのお金を貯めた自分、その時間外国語を勉強して知識を磨いた自分、その時間瞑想してブッダに精神が近づいた自分、Youtube見てしまった時間をまともに過ごしたパラレル世界の私たちが私を蔑む~~~。

Youtubeが意地悪なのは「視聴時間」のページに「休憩を取るように通知する」とかオプション用意していているところ。「は?視聴止める手段用意してるし、俺のせいにしないでくれる?」と言わんばかり。「は?殴らせないこともできたはずなのに、俺のせいにしないでくれる?」というDVヒモ男ばりよね。

なんでこんなに動画を見ちゃうか、って話。

トップ画面の動画のチョイス、もしくは次に再生する動画のチョイス、これが絶妙。視聴時間が増えるのはこれに尽きるわよね。

あ、AIの支配が始まったな。

そんな感覚。コンピューターによる人間の支配、もうディストピアが始まってる感じがする。

ま、AIに学習させたのは私自身なんだけど。もうね、盆栽職人かってぐらいちまちまと、興味ない動画には「このチャンネルは今後表示しない」ってしたり、これ系好き!っていう動画には高評価したいりするのを繰り返してやったわ。

そしたらもう手がつけられない有様。
嫌いじゃない動画ばかりが表示されるようになったのはもちろんのこと。たまにでもめっちゃ個人的にツボな動画があったりしたら、もう辞められない止まらない。DVヒモ男がたまにみせる優しさだけを記憶に残していて別れられず依存しているOLみたいな有様。「彼の暴力には愛があるわ」ってアザを見られた同僚に言っちゃう。

でもね、AIによって何が好きかを当てられることは、AIの支配と言っても恐怖ではないわ。むしろ救いに近い気がする。自分がまだ見たことない自分が好きなものをくれるって、それってもうプレゼントじゃない。「こういうのが好きなんだろ」なんてされたらたまんないでしょ?

そう、これは救いなの。

そもそも動画はTVの時代から福祉よね。

この世は辛すぎる。人間には幸福を追求する権利だけあっても、幸福になる才能がない。社会がどんなに発達しようが、苦しみは進化上の適応だから逃れられない。でも、動画への没頭している間だけ苦しみを開放できる。動画にはそういう救いの機能がある。だから動画は福祉なの。

好みの動画によって何億もの人に無になれる時間を提供している。ブッダが知ったら賛美するのか否定するのか、どちらかしら?

ま、潜在的な購買欲を広告に委ねるという犠牲を払っているけど。そんなの苦しみの解放と比べたら安いものよね。

これからもっとAIが発達していくのは確実。
AIのチョイスに意思決定を委ねるディストピアがどんどん近づいているわ。

私はそのディストピアを心待ちにしている。好きというだけ以上に自分にとって最善の選択が、膨大な計算から算出されるようになるのを。結婚とか就職とか動画以上に大切な選択も、AIのおすすめに賭けたい。最善じゃなくとも、少なくとも自分の直感より良ければそれでいい。

だってそうでしょ、好きなんていう直感だけで結婚みたいな人生に重要な選択をするのはリスクが大きすぎじゃない。好きになったのがDVヒモ男かもしれないのに。

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