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短編小説/ショッピングモール

 目を覚ましたとき、雨はまだ降っていなかった。
 身支度を整えてマンションを出たとき、腕に水滴があたったような気がして、ショッピングモールに到着したときには、どしゃ降りの雨になっていた。
 屋外の平面駐車場に車を停めて、しばらくフロントガラス越しの雨を眺めていた。ショッピングモールの壁に取り付けられた衣料品ブランドの看板が輪郭を失って滲んでいる。黄色い雨合羽を着た子どもが車の前を駆けていく。ワイパーが雨模様の景色を右へ左へ掻き乱す。
 ショッピングモールに到着したときには、すでにその目的を失っていた。大通りの信号を左折したところで着信音がして、メッセージが届いたことには気づいていたが、スマホを手にするタイミングがなく、ショッピングモールに到着してから確認した。
 夏希からメッセージが届いていた。

 ごめん、また今度。

 予定ではコージーコーナーのケーキを買って、今ごろは、夏希が住んでいるマンションのインターフォンを鳴らしているはずだった。
 実際には、まだショッピングモールの駐車場にいて、次々と道筋を変えて流れていくフロントガラスを叩く雨に、思考の行き先を預けている。

 男が来たのだと思う。

 一度だけ顔を合わせたことがある。本屋やゲームセンターをめぐって遊んだあと、夏希を迎えに来たのは、キャップを目深にかぶった貧相な男だった。
 その男と現在も付き合っているのかわからない。たずねないし、夏希も話さないので知らない。どちらにせよ、どんな男と付き合っていようと、夏希が好きで付き合っているのだから、わたしにとやかく言う権利はない。

 マックでも食べて帰ろうと思った。
 後部座席にビニール傘が転がっていると思っていたが、ただの思い込みだった。
 やっぱりこのまま帰ろうか、という気分になる。ため息にもならない鼻息を吐き出してから、SNSに目を通す。フォローしているアカウントのツイートに〈いいね〉して、トレンドの記事のいくつかを流し読みする。アマプラで観た「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の予告編がおもしろかった、とツイートしてから、運転席のドアを開けた。

 llllllliilllllilillliiilllllll

 ショッピングモールは閑散としていた。雨音は聞こえないが、音全体が湿り気を帯びて、小さな地響きが鼓膜の奥で鳴っている。
 耳の穴をほじりながらエスカレーターに乗っていると、ショッピングモールのアナウンスが流れた。

 ——ご来店中のお客様へ迷子のお知らせです。七歳の女の子が迷子になっています。お心当たりの方は、お近くの従業員までお知らせくださいますようお願い致します。

「迷子だって」と男の子がおかしそうに言う。
 エスカレーターの三段上には、父親と男の子の親子が立っていて、くすんだニューバランスの踵がわたしの視界を占領している。
「ケイタが小さいときだって」と父親が言う。「デパートで迷子になって、お母さんとさんざん探したんだが見つからなくて、もう警察に届けるしかないってなったときに枯れたサボテンが……」
 親子はさらに上階にある駐車場を目指すらしく、わたしは三階でエスカレーターを降りたので、迷子になったケイタくんがどのようにして発見されたのか、結局わからずじまいだった。
 枯れたサボテンは、わたしの聞き間違いかもしれない。

 フードコートには、家族連れ、老夫婦、休憩中の従業員——
 テーブル席の境目を歩きながら、この人たちが何を食べているのか横目で確認する。唐揚げ、つけ麺、カレーライス——
 わたしは予定どおりマックのハンバーガーを購入して、できるだけ人から離れたカウンター席に座った。カウンター席の前面はガラス張りになっていて、ショッピングモールの駐車場が一望できた。
 ハンバーガーを食べながら、SNSをチェックする。いつまでも〈いいね〉がつかない自分の投稿を見ながら、どうしてこの人たちは、わたしをフォローしたのだろうと考える。
 しばらく考えていると、同じカウンター席に若い男女が座った。初めは聞いていなかったが、「マジやばいんだよ」のあたりから意識して聞いた。

「AIなんかどうでもよくて、AIが進化したら、人類がやばいんだよ」
「どうなるの?」
「たぶん、みんな同じことしか言わなくなる」
「たとえば?」
「何をたずねても、『AIに訊いてみたら?』としか言わなくなる。会話がなくなるんだ」
「まあ、そう言っちゃうかも。AIのほうが物知りだったら」
「もしも会話しても、AIが作成したセリフかもしれないから、誰と話すとか意味がなくなっちゃう。AIとオート会話すれば、親が言いそうなことを答えてくれるし、子どもと話してる気分にもなれるし、友達のようにも、恋人のようにも」
「なんか映画で観たことがあるような気がする。そのうち、レジスタンスとかできるんでしょ?」
「そう、人間同士の会話がしたいアナログ派が集まって。でも、AIチップを内蔵している人間もいるから、AI狩りがはじまって」
「聞いてると、なんか現在と変わらないみたい」
「そうかな?」
「そうだよ。現在も同じだよ」
「髪、切らないの?」
「髪?」
「短いほうが可愛いと思うけど」

 聞き耳をたてながらハンバーガーを頬張っていると、いやな衝撃が奥歯に走った。掌に吐き出してみると、どうやら鉄の破片らしい。思い当たるふしはあった。ハンバーガーをのせたトレイを受け取るとき、あいつは人の顔を見て笑ったのだ。あいつとは、弥生人顔の女店員だ。
 わたしは立ち上がると、マックのカウンターの前まで歩いていった。
 あいつはレジ担当に変わっていた。三、四人のならんでいた客が捌けると、カウンターから一メートルぐらいの距離に立っているわたしに向かって「どうぞ」と笑顔を向けてきた。
 さっき買ったばかりのわたしの顔を、こいつはどうやら覚えていないらしい。
 三回目の「どうぞ」から、店員の表情が変わりはじめた。笑顔はぎこちなく色褪せて、細い目は動揺した。助けを求めるように視線が泳いだ。
 四回目の「どうぞ」はなかった。
 予備動作なく、さっと設備の裏に隠れたので、あっ、とわたしは声をあげそうになった。追いかけようと思ったが、すぐに代わりの男性店員が出てきたので、舌打ちを残してカウンター席に戻った。
 カウンターには、食べかけのハンバーガーと汗ばんだコーラ。
 歪な形をした鉄の破片が、雨を透かした陽射しのなかで灰色の影を落としている。
 もしかして? と思いはじめたのは、舌先にさわり慣れない感覚があったからだった。
 舌先でほじるようにして、奥歯の一本一本を確かめていく。
 右下の最後から二番目だと思う。ぽっかりと穴がある感じで、噴火口の周囲が舌に引っかかる。鏡を取り出して口のなかを覗きこむと、やはり黒い穴があった。しかし、舌先で感じるよりもずっと小さい。

 いつ治療したんだっけ?

 記憶にはないが、もちろん歯医者にかかっていた時期はあるので、小学生のころに治療したのだろう。
 じっと、わたしは見つめる。誰も知らないが、ヤドカリのような足が出てきて、いまに動き出すのではないか、とわたしは考えている。

 llllllllilllllllilillll

 カウンター席のテーブルに頬をつけて、虫歯の詰め物を指先で転がして遊んでいると、
「何もする気にならないんだよね」
 若い男の声が聞こえて、まだ喋っていたのかと再び聞き耳をたてる。
「ゲームするのも疲れるし、テレビ観るのも疲れるし、食べるのも疲れるし」
 食べるのも? と思わず反応して、からだを起こして視線を向ける。
 見えるのは男の背中。ベージュの大きなシャツ。首のうしろ肉から想像して、おそらく中肉中背——あれ? いまポテトをつまんだ。食べるのに疲れている感じはしない。
 女のほうは、男に隠れてよく見えない。
 声の感じから、小柄だが芯の強そうな、高校時代は化粧気がなく、弁論部に所属していそうなタイプを想像する。
 どちらも二十代前半。わたしより一回りぐらい下。
「何が疲れるの?」と女がたずねる。
「何だろう、選ぶことかな?」と男がこたえる。「自分で探すのって億劫じゃない? ゲームも、テレビ番組も、食事も……時間かけて選んだとしても、ハズレかもしれないし。そんなの時間がもったいないし」
「時間がもったいないと言っても、何もしてないんでしょ?」
「そう、何もしてないのに、何かをする時間がもったいない」
「それ、もう人間としてどうかしてるよ。ゾンビの発想だよ」
「そうかな?」
「とにかく食事は、何かは食べたほうがいいよ」
「ハシちゃんの手料理なら食べれそうだけど」
「ダメダメ、あたし料理できないし」
「ハシちゃんって、家では何してるの?」
「漫画読んでるかな」
「そうなんだ。漫画だったら、オレ、詳しいかも」
 漫画だったら、わたしも詳しかった。三十歳を期に断捨離して、いまは一冊も手元にないが、わたしの部屋はそれまで〈まんだらけ〉の倉庫みたいになっていた。壁にも床にも台所にも浴室にも漫画が積まれて、漫画の上で目覚めて、会社から帰ってくると、漫画をよじ登る作業からはじめた。漫画の上で漫画を読んで、漫画の上で眠った。
「どんな漫画読むの?」と男がたずねる。
「何でも読むよ。少年漫画も、少女漫画も、新しいのも、古いのも」
「推しの漫画家さんとかいるの?」
「子どものころから好きな漫画家さんはいるけど」
「だれ? 鳥山明とか?」
「ちがう。知らないかも。でも同じ集英社系かな」
「大丈夫。オレけっこう詳しいから言ってみて」
「徳弘正也さん」
「ごめん、何描いてる人だっけ?」

 illiilililililililillllllliii

 次の瞬間、わたしは男の後頭部を撃ち抜いていた。
 頭の爆ぜた男のからだがカウンター席に沈みこむ。前面のガラスに飛び散った血が粘度の高い油性塗料のようにゆっくりと垂れていく。
 フードコートの窓ガラスに映る駐車場はまばらで、風が吹くたびに、アスファルトを覆う雨が細かいギザギザになって脈打った。
 雨はしばらく降りやみそうにない。
 女が——(橋本環奈似の可愛らしい子だった)悲鳴をあげて、席を立ち上がった。
 テーブルの下、あちこちから撃鉄を起こす音が響く。従業員は自動小銃の安全装置をはずし、家族連れは64式拳銃を子どもたちに手渡し、老夫婦は——おばあちゃんはリボルバーを両手で構え、おじいちゃんは肩に担いでいたアサルトライフルの照準をわたしに向けた。
 わたしは手にした改造ベレッタで、逃げようとした女の膝を撃ち抜く。前のめりに倒れた女の首に腕をまわして強引に立たせて、後退りしながらフードコートの出口に進む。
 自動小銃を手にした従業員が増えていく。
 わたしは女の左足、太腿のあたりに容赦ないもう一発を加えて威嚇する。
 悲鳴と泣き声が響く。
 干渉しないこと。
 わたしはショッピングモールの掟を破った。
 家族連れの子どもが手榴弾のピンを引き抜くのと同時に、わたしは女を投げ捨てて、駆け出した。両足を撃たれて、関節が壊れた人形のように倒れていく女、従業員の自動小銃が一斉に火を放つのが見えた。手榴弾が爆発したのは、そのもう少しあとだった。

 llililiiillliiiilliiillkilliiillllilliill

 エスカレーターを駆け足で降りていると、夏希からメッセージの着信があった。

 用事終わった。いまからでもよかったら。

 セックスが終わったのだと思う。
 いつだったか、夏希は「散らかってるけど」と言い訳しつつ、彼氏が帰ったばかりの部屋に、わたしを招き入れてくれたことがある。
 部屋は散らかってなかった。テーブルに食べかけのポテトチップスがあるぐらい。しかし部屋には、塩気を含んだ発酵臭が漂っていた。
 本人は気づかないらしい。自分の匂いだから。

 ふいに名前を呼ばれた気がして、現実に意識を戻す。
 ——迷子のお知らせです。
 ショッピングモールのアナウンスが聞こえた。
 ——七歳になる女の子、ミナミチヒロちゃんが迷子になっています。見かけられた方はお近くの従業員までご連絡をお願い致します。

 同姓同名だ、と思う。同時に、まだ見つかっていないのだとも思う。ほんの少し気にかけて、あたりを見渡すが、それらしい女の子は見当たらない。早く見つかればいいな、とは思わない。

 わたしの視界にはフードコートからの刺客らしい男女がいて、エスカレーターの上から歩いてくる男は銀縁メガネの白シャツで、一見、JINSの店内で「今日は視力測定はどうなさいますか?」と話しかけてきそうな風貌だが、その手に握りしめられた片手ハンマーの先端は、黒ずんだ鉄の凶暴そうなやつだ。
 下のフロアでは、古参のレジ係が待っている。いつもは人気のない専門店街で、なぜか偽物に見えるメーカーの運動靴を売っている。
 エスカレーターの上下が交差する地点で、わたしは反対側に飛び移る。男女が追いかけてくる足音を無視して、上階に走る。

「いらっしゃいま……」と声をかけてきた女性店員の喉にナイフを突きたてる。
 穴が開いた喉から口笛を吹きながら倒れた死体をセレクトショップの奥に隠して、自分もそこで息を整える。顔にかかった血を拭いながら、ハンガーにかかった服の隙間から外の様子をうかがう。

 夏希から着信あり。
 どうする? 来れるんだったら手ぶらでね。ユーハイムのケーキあるし。

 ハンマー男が左右を見まわしながら、店の前を通り過ぎていく。
 どうしようか、と考える。
 今日はもう帰りたいような気もする。汗をかいたし、できることなら、歯医者にも行きたい。いまは痛くないが、夜眠るころになって痛みはじめたらと考えると不安でしかない。
 五秒数えて通路に飛び出す。
 ベレッタを構える。
 わたしの視線は瞬時に男の姿を捉えたが、想定していた距離ではない。男のからだはすぐ近くにあって(魅力的な矯正歯を見せて笑った?)なぜか表情がわかる。ハンマーを手にした右腕を高々と振り上げている。
 えっ?
 頭部に衝撃が走る。わたしの頭蓋骨は砕け、鉄鎚に付着した黄ばんだ脳みそ——を想像したが、大丈夫、間一髪よけている。
 男はハンマーを振りかざして、わたしに迫ってくる。
 それでも、と考える。
 夏希に逢わなかったら、と想像してみる。
 わたしは男の腹に二発のベレッタを撃ちこむ。手応えはあったが、しかし、男の前進は止まらない。
 腕をつかまれる。
 力ずくに振りまわされる。
 そのままショーウィンドウに投げつけられた。
 ガラスの雨がわたしの頬を切り裂く。
 何もない部屋が待っているだけだ。近所のコンビニで、今日もコンビニですか? と店員に笑われないように大きなマスクで顔を隠して(コロナでメリットがあったとしたら、夏にマスクをしていても不審に思われないことだ。いまのところ)期間限定のカレーライスを買って、容器の底を削ぐようにプラスチックのスプーンを滑らせる。SNSを開いて、いまだに〈いいね〉されないわたしの断片を見届けて、冬眠するようにベッドに潜りこむ。
 近づいてきた男に飛びかかる。
 わたしは何もない暗闇に、夏希の裸を想像するだろう。
 するなと言われたら、考えないでもないが、するかしないか問われたら、たぶん、する。
 男はわたしのからだを引き剥がそうとする。しかし、わたしは離れない。男の首にしがみつき、男の顔に噛みつく。鼻を喰いちぎる。

 llllllllllllllllllillllllllllllli

 仰向けに倒れて動かなくなった男の、パーツを失った顔を見ながら、口のなかの耳をぺっと吐き出す。
 どうしようか、とタオル地のハンカチで口元を拭きながら、まだ夏希への返信を悩んでいる自分がいる。わたしにはへんに優柔不断なところがある。
 スカートのすそを踏んでいるのは、詰め物のとれた虫歯だ。
 ふと、このショッピングモールにも歯科医院があったのではないかと思い出す。一階の隅のサンマルクの奥の通路をいった先で、看板を見た記憶がある。
 予約してなくても、応急処置ぐらいはしてくれるかもしれない。それで気分が晴れやかになったら、夏希に逢いに行こう。
「ここの焼き菓子、美味しかったよ」
 通りすがりの声が聞こえる。
「どれ?」
「珈琲バターサンドクッキーってやつ」
 わかった。それを買っていこう。
 そう考えをまとめて、ここの歯科医院が何時まで受付してくれるか調べようとしたとき、「お客様」とこめかみに銃口を突きつけられた。

「お客様」とレジ係が言う。「ショッピングモールは、楽しんで買い物をして頂く場所です」
 背中を蹴られる。四つん這いになったわたしの背中を無メーカーの合皮のパンプスが踏んづける。二回三回——完全にうつ伏せになっても蹴られる。
 腰のあたりに銃弾を撃ちこまれる。
 銃弾は貫通し、わたしの下っ腹から飛び出して、ショッピングモールの床にめりこむ。
「お客様」とレジ係の女が言う。「他のお客様に迷惑になる行為は禁じられています」
 わたしは言う。
「えっ? お客様、聞き取れませんが」
 わたしは言う。
「えっ? なんて言われたのでしょう?」
 今日も一日頑張りました。
 わたしは、今日まで頑張りました。
 わたしは頑張りました。

 意識が朦朧として、目覚めたら昨日だったらいいな、と思う。
 わたしを中心にして、表面張力で膨らんだ血溜まりがフロアに広がっていく。
「お客様」とレジ係の女が言う。「いかがなさいました?」
 床に這いつくばったわたしの視界を、さまざまな足が歩き過ぎていく。
 ナイキやアディダスのスニーカー。家族連れの足。中学生グループの足。大人の革靴。クロックスもどきの子供用サンダル。
 閉じかけて上下が狭くなった視界に、女の子の足が見える。健康的な太腿をクロスさせて、華麗なステップを踏む。
「あんた、あれやろ?」
 話好きの老人が話しかけてくる。「あんた、女優さんやろ? ファーストサマーなんちゃらっていう女優さんやろ?」
「……似てるって、よく言われます」
 わたしは息も絶え絶え、ようやくこたえる。
「お客様」とレジ係の女が言う。「もしも具合が悪いのでしたら、医務室に行かれますか?」
 こうしている間にも、わたしの血は流れていく。
 視界の先では、黄色いワンピースを着た女の子がタップダンスを踊っている。女の子の後ろに見えるのは、ZARAの看板——周囲の空間が捻れて見える。白い電飾の看板が稲光りをともなって点滅する。
 ショッピングモールには、迷子の女の子を探すアナウンスが繰り返されている。
 ——七歳の女の子、ミナミチヒロちゃんが迷子になっております。黄色いワンピース、花柄のリュックサックを背負った七歳になる女の子が迷子になっています。
 女の子が鳴らないタップを鳴らす。そのたびに床のパネルが剥がれて、重力を逆らって天井に飛んでいく。店舗の照明が火花を散らし、ショッピングモールの中央にシンボル的に設置された白い塔が崩れていく。
 女の子がスカートのすそを持って、お辞儀する。
 お気に入りだった黄色いワンピース。
 迷子になっているのは、わたしだ。

 llliliiillllllllillllliilll

 KALDIの前までどうにか歩いたが、そこでわたしの足は止まってしまう。制御不能になって、涙がぼろぼろとこぼれた。気づかないふりをしていた何かが壊れた。
 目覚めると、知らない部屋に閉じこめられていた。ベッドが二つ、小さな窓にはポインセチアが飾られている。ベッドから起きて、ドアノブを捻ると鍵はかかっていなかった。わたしはあわてて逃げ出した。
 あともう少し。
 ショッピングモールの出口が、白い光に包まれて見える。
 ここを出れば、夏希に逢える。夏希のマンションまで車で五分、歩いたら二十分。路線バスでは遠まわりになるので、三十分はかかるかもしれない。あいにく地下鉄の最寄駅はない。
 あともう少し。
 外は、殺戮の雨。
 特殊車両の錆びた鉄と油の臭いにまみれ、兵隊たちの無線機がノイズまじりの唸り声をあげる。〈ターゲット、KALDI前を通過〉——屋上や窓には、狙撃手たちの冷酷な視線と人さし指。外に出た瞬間、千の銃弾がわたしの心臓を狙い撃つ。
 わかっている。
 それがショッピングモールだ。

(了)

この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。


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