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本当っぽいことも、正しいっぽいことも、いまこの瞬間は必要ないよ。

インターネットが発達して、SNSが浸透して、なにかを言うことが随分と簡単になった。僕もその恩恵を受けているひとりだ。だけど、誰もが権利を持った結果、すこし厄介なことにもなってきた。

「本当っぽいこと」「正しいっぽいこと」を振りかざして、忘れていることはないだろうか。SNSで議論が巻き起こった時、上手いこと要点をまとめたり、落としどころをみつけたりする人がいる。優しく綺麗で詩的な言葉で誰も傷つかないような言葉を綴る人がいる。きっとあなたは正しい。でも、それはほんとうにあなたが思っていることだったのかな。

たしかに、本音っぽい素振りはしている。言葉選びも文章構成も上手だ。意味がスっと入ってくる。その説得力に大衆は圧倒され、賛同する。共感の声で溢れる。それを拠り所にして自分が正しいと確認して、安堵しているようだ。果たしてそこに実感はあるだろうか。あなたの声である、ざらついた実感はあるだろうか。データでは満たされない空洞に、気づけるだけの余裕があるだろうか。

きっと、自分でも気づいている。間違いだと言われるのをわかっていて、本当のことは言えない。正しいことは他にあっても、こんなところで言ったって誰も理解しようとしないのだから言っても仕方がない。「本当っぽいこと」や「正しいっぽいこと」の方が理解されやすいことを知っているから、コスパがいいよね。狡いことをしているって自覚している。覚えてるかな、コスパなんて言葉は使いたくなかったこと。

あなたが諦めていること、気づいている人はいるよ。なにを諦めているのか、なにが理解されないのかはあなたにしか、いや、あなたにもわからないかもしれない。けれど、どうして諦めたのか、なんとなく気づいている人はいると思う。いつになったらその人と出逢えるのかは、まだわからない。生きている間に出逢えるのかすら定かではない。今はまだ準備期間なのかもしれない。人間と仲良くなりたいのに、その外見から恐れられ避けられている怪物が誰にも理解されないことに嘆き苦しむように、あなたは我慢しないといけないのかもしれない。

正しすぎるあなたは間違うことを恐れすぎている。自分が間違っていることを忘れている。間違ったままでいいってことじゃないよ。でも、どうしても間違っていることがあるでしょう。

背中にある傷は自分ひとりじゃ治療できない。あなたと誰かとの間にあるものだけが、あなたを癒してくれること。思い出して欲しい。

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