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人に嫌われる勇気が持てない話

よく、人に嫌われる勇気という言葉を聞く。

それについての記事に書いてある内容については、めちゃくちゃ分かる。

たしかに万人に好かれるなんて無理なんだから、それなら嫌われることだってあるよなという気持ちを持って生きた方がストレス無く自分らしく生きられるに決まってる。

そう感じるのは、私が人に嫌われるのを人一倍恐れる人間だからだ。

そのことに気づいたのは、就活で自己分析をした時だ。

こういう時、私はどういう行動をするだろうか、その行動ってどこから来ているんだろうか、と考えた時、ほとんど全ての行動の発端は

人に嫌われたくない

から来ていることに気づいた。

他人と意見が食い違った時は、意見を曲げますか?

はい、当たり前です。嫌われたくないもん。

周りから何か頼まれた時、自分のことより優先して他人のことを手伝いますか?

はい、そうするでしょう。嫌われたくないから。

他人が失敗した時腹が立ちますか?

いいえ、他人が失敗したところで少なくとも私は嫌われないんだから別に腹は立ちません。

不機嫌なことや気持ちが表に出ますか?

いいえ、出すわけないです。出したら嫌われるので。

実際に仕事をしていても、自分が嫌われていないから、嫌われるようなことをしていないか、毎日のように気にしてしまう。

ひどい時はお昼休みの雑談ひとつを反芻し、あの発言は嫌われるような発言だったのではないか、とひとり反省会をしてしまう。

休みの日も、自分がやったことに何かミスがあって、出勤している人たちに迷惑をかけて、挙げ句の果てに嫌われたりしていないだろうかと考えてしまう。

何でここまで、人に嫌われることを恐れているんだろう…

ふと考えた時、思い当たることがあった。

それは過去のトラウマではなく、むしろそれとは真逆の、人に嫌われた経験がほとんどないということだった。

私は幸いなことに(もしかしたら元々人に嫌われないように意識してきたからかもしれないけど)、これまでの人生で誰かに嫌われたり、拒絶されたりしたことがほとんどない。

別にクラスやグループの中心にいたわけでは全くないけど、適度な距離感を保ちながら、ほぼ嫌われることなく生きてきた。

だから、人から嫌われることは私にとって未知の経験に近い。

人は自分の未知のことを恐れると聞いたことがある。

(実際私は台所に出るあの虫をほとんど生で見たことが無いため、たまに夢に出て飛び起きるほど異様に恐れている)

そして未知の期間が長いほど、未知のものに対する恐怖心は大きくなっていく気がする。

私の嫌われることへの恐怖は、ほぼ未知への恐怖に近かったんだと思う。

それじゃあ私はこの先、どうしたらいいんだろう。

嫌われることを一度経験してみれば、ああこんなものかと思えるのかもしれない。

でも今の私は、その嫌われることがかなり大きな恐怖の対象になっていて、それはほとんど全ての私の行動原理になっているほどだ。

嫌われる勇気という言葉があるくらいだから、嫌われるのに勇気がいることや、できるだけ人に嫌われたくないというのは、みんなの共通認識なんだとは思う。

その勇気が、今の私にとってはあまりに大きすぎるし手が届かない(と感じる)ものなんだろう。

正直、今の生き方は、自分でも生きづらいと感じてはいる。

でもその生きづらさの解消のために、人に嫌われることを取ることは、少なくとも今の私にはできない。

できることなら、一生未知のまま、恐怖心が無くなってくれればいいのに、

今日の会話の反省会をしながら、そんなふうに思った。

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