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小説っぽい歌詞ができる条件

   
  見知らぬ家の軒下で
  煙草に火をつけると
  終電車が行ったよ

  今、わたしは
  ひどく酔っぱらっている
  あの人と一緒じゃないからさ

  名前も知らない男の人と
  ならんで歩く
  街の角を曲がった時に
  わたしは訊いたの

  ここはどこですか

「わたしの金曜日」



浅川マキの歌詞はすげぇ

さいごの、
ここはどこですか、とか。すんげぇ。
たんに地図上の位置を訊いてるんじゃなくて、
「わたしはどこに向かっているんだろう」
ていうアイデンティティの喪失感や
「なにがしたいのか自分でも分からない」
ていう無力感の響きがすんげェ。
シンプルな一文に重なり合うペーソスが。文学性が。
これで歌も抜群に上手いから最強やで〜
(でも個人的には角鍋真美のcoverが気に入ってる)


「文学的」ってなんなのか、具体的な説明はむつかしいが、実際文学的な歌詞というのは存在する、と思う。
「小説みたいな歌詞」って表現のほうがしっくり来るか。

1. 登場人物がいる
2. 情景(場面)がある
3. 登場人物間の関係図をより深く掘り下げられる余地がある
という3つが小説っぽさの必要条件かもしんない。

浅川マキの「わたしの金曜日」だと、
1. 登場人物は「わたし」、「あの人」、「名前も知らない男の人」
2. 場面は見知らぬ街。
3. 「わたし」と「あの人」、「男」の関係について歌詞に直接書かれてないのに憶測できる余地がある。
(「わたし」は「あの人」と懇意になれなくて自暴自棄になっている。心の空白を埋めるために行きずりの「男」と歩く。知らない街を歩いていく。角を曲がったところで我に返る自分。でもどうすればいいのか分からない……というふうに)

逆に小説っぽくない歌詞でいうと、たとえばスピッツの「チェリー」。
歌詞には「君」がでてくるけど、これは登場人物というよりは〈変数〉ってかんじだ。受け手が自分の好きなように〈代入〉できる「君」っていうか。
こっちの方がみんな思い思いに自分の好きな人を投影できるから大衆受けしやすい。
スピッツがオルタナのジャンルに括られながらも商業的に成功できたのはそういう要因があったと思う。
どうでしょう?
裏を返せば、大衆受けする歌詞なのに詩性もあるからオルタナでありつづけられたんだろう。
「詩」ではなくただの「ポエム」に成り下がってしまえば、オルタナのジャンルに留まるのはむつかしいだろうから。
うーん、草野マサムネもすんげぇよなあ。




  「あなたのことを深く  愛せるかしら」
  子供みたいな  光で僕を染める
  風に吹かれた君の  冷たい頬に
  ふれてみた  小さな午後

 「冷たい頬」





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