好き嫌いしてはいけません、と彼女は言った
新生活が始まったということで昔々の話、保育所に通っていた頃のことを思い出して書こうと思う。いろいろなことが断片的に思い出せるが、その中でもどうしても忘れられないことがある。それは給食だ。
私の座っているテーブルから一人、また一人と席を離れていく。私はその日のごはん、とりわけそのうちの一つと睨み合っていた。
レバーのケチャップ炒めだ。
私はどうしても肉や魚が好きになれなかった。野菜の好き嫌いはなかったが、この二つ、中でもレバーがどうしても食べられない。いまから思うと子供の好きなケチャップ味で食べやすくしているのだと思うのだが、まあ、不味い。それがよりによって今日出た。たしかその日はイベントがあって食べ終えた子たちは保育所の先生に連れられ、隣の部屋で自分の番を待っていたように思える。私が顔を上げ周りを見まわすと、残っているのは私と、私の目の前に座る男の子だけだった。
二人の目線があった。
相手もきっと同じことを思ったのだろう。とにかく最後に残るのだけは嫌だ。向いの男の子は少しずつ野菜サラダを食べ始めた。私も重いレバーを持ち上げ、その端を少し前歯で噛み、口の中に入れた。
少ししか口に入れなかったのに、この不味さはなんだろう。ケチャップの甘さと酸味がレバーに少しもマッチしない。レバーの鉄臭さを増幅させているようにも感じる。慌てて口から中途半端に咀嚼された肉片を空いた皿に放り出すと、それを先生に見咎められた。
「好き嫌いしないで、残さずしっかり食べなさい」
大人になったら好き嫌いは割と許されている気がするのに、これはどういうことだろう。この保育所では「今日は昨日より頑張ったね」なんて甘い言葉は皆無だ。食べなければ次はない。私の額には脂汗が滲んでいた。胃の拒絶反応が少し落ちついたところで前の相手をちらりと見ると、もうほとんど食べ終えて、皿には人参しか残っていない。
私は意を決して口の中にレバーの塊をすべて押し込み、なるべく噛まないように、そして舌がレバーに当らないように注意しながら先生の元へ急いでトレーを運んだ。私は先生にトレーを渡すと、「全部食べた?」という質問にコクリと頷き、ゆっくりとトイレへ向かった。
トイレには誰もいなかった。和式便所に入り、鍵を閉める。もう限界だった。嫌いなものでも口に入れば唾液がでる。唾液で味がひろがる。私は便所にレバーを吐き出した。水にケチャップが溶けだして、赤い色がひろがっていく。私は口の中の唾も便所に吐き出すと、中途半端な形になったレバーを見下ろしながら、水洗レバーを足で踏んだ。ゆっくりと、レバーが流れてゆく。二三回踏んだところで、ゴボボという音と共にレバーは穴に消えた。私は自分を呪縛していたレバーからの解放、そして作業の完了を喜んだ。しかし次第に新たな問題が私の心に、後ろめたさとともに広がっていった。
先生にばれたらどうしよう――。
レバーを捨てたことよりも、それがバレること、嘘をついたことを知られてしまうのが私は怖かった。
今も給食はあるのだろうか。嫌なこともあったけど美味しい出会いもあった給食。今日も色々な場所で色々な出会いが始まっている。
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