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どうして私はリモートワークの夫をごはんで支えることになったのか?2020その1

はじめに


今まで2年ほど完全リモートワークで働き続けた夫が、4月からは月の半分出勤になる(かもしれない)事が確定しました。
ここまで、必死にごはん作りに取り組んできましたが、少し状況が変わっていくかもしれません。
毎日ごはん作りとは言っても、作るのがイヤになってしまったり、毎日夫婦が顔を合わせることで、心の中が平穏ではない時期もありました。
ほぼ25年間の結婚生活の中でこんなに言い合いとか、あったかな〜?なんて、これからだったら失敗談的な感じに話せるかもしれません。

noteで自分の思っていることを投稿したら、色んな反応をしてくださる皆さんがいてくれて、ずっと報われないな〜なんて思いながらやってきた事にも、自分らしさがあって良かったのかな、と前よりも自分を受け入れられる気持ちに変わってきたような気がします。

みなさん、ありがとうございます😊


序章 1〜3月

2020年1月は、長女の成人式でした。私の母の着物をとても気に入ったので、その2年ほど前から着物のサイズを調整してもらっていました。準備万全!あとは着付けてもらうだけ、でした。

地域の成人式に出た後は、着物のまま参加するという華やかな高校の同窓会に出席し、同級生と楽しい時間を過ごしたのでした。

そんなささやかなしあわせな日々が、世界中を巻き込む出来事によって、変わり果ててしまうとは、まだ考えもしませんでした。

2020年2月、前半は実家の父の手術が決まっていたので、入院する父に付き添い、手術の日を迎えました。
手術は成功し、しばらくの間集中治療室で過ごすことになりました。
管がいっぱい繋がった、身動きが全然取れない父の姿は忘れられません。

父が寂しがらないかと、母が毎日訪ねに行こうとするので、私も一緒に付き添いサポートし続けました。

そうしている内に、毎日ニュースで「感染者」という言葉が連続して聞かれるようになっていったのです。

父が入院している病院も早くから感染者病床を確保している病院だったので、何かあったらどうしようというよくわからない不安を感じて過ごしていました。
日が経つにつれ、父も「見舞いは、母だけでいい」と言ってくれたので、送り迎えだけ、手伝うことにしました。

また、娘たちの高校や大学も授業を中断して休校になり始めた時期でもありました。

2020年3月は、10年ぶりに知人の演奏会で演奏できる機会があったのですが、ある日母に
「今あなたが演奏会に出演して、感染者になってしまったら病気のお父さんを支えきれなくなってしまって困るから出演を辞退してほしい。」と言われました。

どれだけ出演することを楽しみにしていたのか、どれだけ練習を積んできたのか…。
この機会を逃すと、次にいつ演奏会に誘ってもらえるのかわからないのに…。
心の整理もつかないままに、辞退することを決めたのです。

力の入らない宙ぶらりんな毎日を過ごしていました。


現実 4月〜

2020年4月、夫の会社は出社する人数を制限するなど、感染対策の決まりが厳しくなっていきました。とうとう夫の会社もリモート勤務に切り替えとなりました。会社のノートパソコン2台、会社のスマホ・私用のスマホ、新しく支給されたディスプレイなどなど…あっという間に夫の部屋は「オフィス」に変化していきました。「モノタロウ」で購入した事務用品までもが自宅に配送されるんです。

もともと、夫も音楽が大好きで、ギターにベース、キーボードに電子ドラムが収まっている趣味部屋を持っていたのでその場所がさらに充実したというわけです。
「通勤時間がなくなるから、楽やな。」夫がリモートワークを前向きに捉えることができて良かったです。


でも、でも…


『お昼ごはんどうするの〜〜?』



                         つづく…





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