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『トランス』(鴻上尚史/白水社):蔵書録1

自宅にそこそこ本がある、ので目録代わりに本の感想と思い出をぽつぽつ記していく。1冊目。

『トランス』(鴻上尚史/白水社)は私が上京したい、と思うきっかけになったいくつかの本のうちの1冊だ。

最初に触れたのはたぶん16歳、高校1年生の春休み。南九州で、校則ぎりぎりの半端なルーズソックスを履いて、細いクリアベルトで制服のスカートを微妙に短くして、みんなと同じポケベルを持っていた。一部の友人を除いて、読書が好きなことはクラスメイトにはあまり話さないようにしていた。

※可愛いアクスタはモーニング娘。石田亜佑美さんです

春休み中の3月、習っていたバレエの用事があり路面電車に乗りこむと、中学生の時から延々片思いし続けているKと偶然鉢合わせた。
うわー休みの日までお前に会うんかよ、最悪だわーとお互い憎まれ口をたたきながら、まあ内心浮かれていそいそ隣に座った。昼前で、電車はすいていた。

Kは演劇部に入っていて、部活に行くという。
演劇部の部活って普段何やってるの? と尋ねると「今度これを演るから、いま練習してる」と言いながら鞄から出してくれたのが『トランス』だった。

作者は鴻上尚史という人で、知らない人だな、と思った(今は著作の大半を持っている)。
面白いから読んでみ、とは言われたものの1秒でも長くKと喋りたかった私はとりあえず冒頭だけ……と思って表紙を開き、そしてそのまま約30分話を追い続けた。私の感情が書かれている本だと感じた。

『トランス』は精神科医の紅谷、ゲイバーで働く後藤、フリーライターの立谷、と紹介される3人のみが登場する戯曲だ。高校時代、特別に親密だった3人が10年以上ぶりに再会する。
再読すると、当時の私は話の大半を理解していなかったような気もするが、とにかくうまく言語化できずに溜まり続ける醜い自意識や嫉妬、意気地のなさやずるさが書かれている、と16歳なりに思った。

現代の普通の大人が、自分の弱さに普通に向き合い、克服しようとしてうまく乗り越えられないような作品に、それまであまり触れていなかった。弱さは克服できるのがベストかもしれないが、乗り越えられなくても挑み続ける姿にも希望は宿る。登場人物は愚かで少し気恥ずかしいが、私にはそのみっともなさが誠実に映った。

そして、読み進めるうちに、なぜか唐突に、東京にはこんな話を書く人がいたり、これを「面白い」と思う人がもしかして沢山いたりするのか……? と感じ始めて、目の前が明るくなっていったのを覚えている。ここからちょっと東に移動しただけで違う世界があるのかもしれない、と。

『トランス』を読み終わる前に、自分が降りる駅に着いてしまった。これから使うという物を借りるわけにもいかず、名残惜しく本を返す。「面白かった!」と前のめりに感動する私を見て、「ビデオもあるから今度見るが」と笑うKは少し得意げだ。

席を立ちつつ、なにも考えずに「誰の役やるん?」と聞くと「いや、女の役1人しかないし」と苦笑いで返され、そりゃそうだな、と思った。「ばいばーい」とぞんざいに手を振るKは春のやわらかい光にいい感じに照らされていて、私は今さらだけど全然喋れなかったなーと浅ましいことを思った。


#読書感想文 #鴻上尚史 #白水社

※思い出は無意識に美化と誇張が入ったフィクションです。


●好きなところ

後藤「噂話って不思議よね。面と向かって言われたらけっこう平気なのに、噂で聞くと物凄く傷つくの。どうしてだろ?」
紅谷「たぶん、想像力が入ってくるからよ」
後藤「そうね、噂話ってどんどん大きくなるものね」
紅谷「違うよ。私の噂を聞く時の、私の想像力よ」
後藤「えっ?」
紅谷「私の想像力が、私の噂を完璧にするのよ」

『トランス』(鴻上尚史/白水社)

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