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愛は回る

引っ越しに向けて部屋を片付けたりモノを捨てたりしているのですが、一向に進みません。映画を観て涙を流したり、久しぶりに本を読みふけったり、そんなこんなしているうちにバイトの時間になって家を出て、のんびり帰ってきて考え事をしたりしている毎日です。


数日前、10日間ぶりに実家に帰りました。気仙沼でのSOKOAGE CAMPインターンを終え、まあ疲れて帰宅して、久しぶりに母の作るご飯を食べました。

インターンの内容は、ざっくりいうと大学生向け合宿のサポート、という感じ。(前にインターンについてはnoteに挙げてるので気になる方はほかの記事でどうぞ!)

インターン中は自分がごはん担当のような形だったので、(あんまり自覚はなかったけど)ほぼ、自分の作ったものを食べていました。

あ、味が違う。黙っていてもごはんが並ぶ。

そう実感して初めて、帰ってきたんだな、と思いました。


SOKOAGE CAMPの参加者に楽しかった時間を聞いたとき「ごはんー!」といってもらえたのが、結構うれしかった。少しでも喜んでくれる顔が見たくて、毎回頑張って作ったり考えたりしていたから。みんなの顔を想像しながら作るのが楽しかったから。睡眠時間を削っても頑張れてしまったから。惜しみなく心を注げたから。

もちろんご飯だけじゃない。参加者と話すこと、メッセージを渡すこと、いろんな行為に愛を持って臨めたと思う。

優しくしたら何かが得られるとか、そういうものはなかったのに、なんでだろう。どうしてそこまでできたんだろう。

母の作るご飯を食べながら考えていました。


私は、愛は回るからなんじゃないかと思いました。


私には、誰かからもらった愛があって、それがあるから他の人に愛を渡せるんじゃないかと思うのです。

ここまで育つ過程で、たくさん人から愛をもらって生きてきたと思います。もちろん家族から、そして友人から、大切にしていた人から、先生から、大学生になって広がった様々なコミュニティの大人から、SOKOAGE CAMPから。もっとかな。私の受け取り方がヘタクソで、ちゃんと受け取り切れなかった愛もあるでしょう。親からの愛は、意外と受け取りが難しい部類だと思っています、、

私が渡している愛は、そこはかとなくあふれてきたものではなくて、たくさんの人からもらった貰い物の愛。たくさんもらったから、みんなにおすそ分けしているだけ。そうなんだと思います。

だから、今まで愛をもらったことのなかった人(今回の参加者も、初めて会った人ばかりだったから該当すると思う)にも、愛は渡せる。渡した分の愛が返ってこなくてもいい、と割り切れる。でもそうなってくると逆のことも言える。今まで愛をもらってきた人に愛を返せないこともあるってこと。

私はちゃんと親に返せてきたのかな、ふと思って、食べていたごはんの味がちょっぴり切なくなりました。ごめんね、ちゃんと返せてないかもしれない。むしろ愛を投げ返していたかも。ごめん。


あっという間にご飯は食べ終えてしまいました。

愛は回るものだと感じたけど、その愛を回せる時と回せない時(優しくできない時)があるのは何故なのか、それはわかりません。忙しい日々や自分が追われている時は回せないことが多いです。その時、私の中にあったはずの愛はどこへ行ってしまうのでしょう。

分からないなぁ、と思いながらミカンを剥いていました。

それが、4日くらい前のこと。