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感情反応と言葉未満のなにか。

RASセッションを経て、私の中で驚くべき変化がいくつかありました。そのうちのひとつは、「頭の中が静かになった」という不思議な現象です。

以前は、頭をからっぽにすることが苦手でした。特に何か生産的なことを考えているわけでもないのに、言葉にならない何かがずっと頭の奥深くに漂っているような感覚がありました。「漂っている」と表現すると、まるで気体のように感じますが、気体というには湿り気や粘り気がある気がします。どんよりした梅雨空の雨が降りそうで降らない日、身体にまとわりつくような重たい湿気。いつの間にか額や頬にぺたんと髪を貼り付けてしまう。

RASセッションで、わたしはどうもその「言葉未満のなにか」の大部分を、手放したようです。

「言葉未満のなにか」を手放して気づいたこと。
この「言葉未満のなにか」は、感情反応が大好きなんだということです。

例えば、わたしたちの感情は周囲のひとの行動や言葉に終始反応します。
感情の粒度はひとによって違いますが、まず最初には「快」「不快」のような、赤ちゃんのような反応があります。

誰かがわたしに向かって、好意的でないように感じられる発言する。
誰かがわたしの好きではない行動をしている。
そうすると、まずネガティブな感情反応が起こります。けれど、この反応そのものにはあまり意味はありません。これは単なる反応です。そのほとんどは、そこに投影された自分自身の姿に反応しているだけです。

けれど「言葉未満のなにか」は、この感情反応を反応のままにせず、意味を持たせようとします。「言葉未満のなにか」は、ネガティブな感情反応が起こった物事を、しっかりと記憶させるという役目があります。そこで、過去の出来事と組み合わせて、瞬時にストーリーを作り上げるのです。

「あの時も、あのひとはそう言った。あの人はわたしのことが嫌いなんだ!」
「いつもいつも、このひとはこのように行動する。わたしをバカにしているんだ!!」

作られたストーリーは感情を刺激し、感情はそのストーリーに反応し続け、その持続する感情反応はエネルギーを増幅し、「言葉未満のなにか」にエネルギーを与え続けます。エネルギーを得た「言葉未満のなにか」はさらにストーリーを拡大・強化し続けるのです。

静かになったアタマは、感情反応に対して触手を伸ばし、ストーリーを作ろうとするチカラが弱くなりました。
感情は、反応します。
天気が悪くても、思ったとおりににいかなくても、眠くても、お腹が空いていても。
けれど感情は波なので、海の波と同様に大きくなったり小さくなったりしながらいつしか消えていくものなのです。

感情は厄介だ。
感情からは距離を置きたい。

時々そういう言葉を聞きますが、ほんとうに厄介なのはストーリーを作って感情を刺激し続けようとする「言葉未満のなにか」なのではないでしょうか?
感情反応のない人生なんて、つまらない。
たぶんわたしたちは、感情を味わうために生まれてきたんだと思うのです。

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