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往復書簡|心動かすコミュニケーション。

さてさて。
突然ですが、これからしばらく、おりょうさんと往復書簡形式で記事を書くことになりました。

今回、往復書簡をするにあたって、改めておりょうさんの記事を最初から読んでみたのですが、noteの記事なのに3D映画を観ているような大迫力。わたしももっと太字使ったほうがいいのではないか?と今さらながらハラハラしながらこの文章を書いています。

ちなみにおりょうさんとは「ゴールデンライフプロジェクト」というグループコンサルのチーム仲間で、実はまだ一度もお会いしたことがありません。
だけど、そういう場で出会った相手だからこそ、案外自分の奥深くにあることをスムーズに打ち明けられたりします。コロナ禍以降、わたしにはそんなふうにしてできた大事な友人が何人もいます。

おりょうさんとはそんな感じでお互いの黒歴史(?)を見せあった仲なので、このnoteという場を借りてお互いの自己認識を深める旅に出てみたいと思います。

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というわけで最初の書き出しを仰せつかったわけですが、
まずは、わたしが最近考えているコミュニケーションの目的について少し書いてみたいと思います。

わたしが何回か演劇WSを受け、その都度、人とのコミュニケーションに関する思い込みがガラガラと瓦解したことは何度か記事に書きましたが、直近で受けたWSでとても心に残ったことがあります。
それはシーン課題の時のこと。シーン課題では、まず台本(といってもA4の紙1枚)を読んで、「事実」と「わからないこと」を整理します。
そしてそれを踏まえて「自分が担当する役は相手に何をさせたがっている・してほしいと思っているのか」をそれぞれが決めるのです。

今回のシーン課題は男女のシーンで、二人の関係性は不明。女性の子どもの話から、男性は自身の子どもの頃に負った心の傷を思い出して、それを女性に話します。女性の方はその時指につけていた指ぬきを男性に渡し、なぐさめようとする、というほんとうに短いシーンです。

わたしはその男性役だったので「女性に何をさせたがっている・してほしいと思っているのか」を決めなければいけませんでした。どう決めたかは前回記事に書きましたが、これを決めるのに実はとても時間がかかったのです。
なぜなら、わたしの中でこの類の会話は「相手の心を動かそうという意図はなく、たんなる自己満足的自己開示だ」という認識があったからです。

そこには「自己開示をすることで相手に何かさせたいなんてワガママだ」という、わたしなりの“謙虚さ“がありました。けれど、講師には「相手の心を動かしたいと思ってこそ、人の心は動くのだ」と言われ、やっと絞り出した解釈が「癒されたい」だったのです。

WSが終わり、改めて落ち着いてみると「コミュニケーションにおいて相手の心を動かそうなんて思っていない」というわたしの認識は、どうも嘘のような気がしてきました。
「理解してほしい」「なぐさめてほしい」「愛されたい」「共感されたい」「悔い改めてほしい」「すごいと思ってほしい」
そんな動機をまるっと隠してないものにして「言いたいから言ってるだけ」って、裏を返せば受け取る気もゼロなわけなんですよね。だから、勝手にシラケてるんです。コミュニケーションを自らつまらないものにしているんですよ。

言い訳だけど、たぶんそうするしかなかったんです。だってみんな傷つけてくるんだもん。子どもの頃のあのサバイバルな世界で生き抜くためには、この方法しかなかった。

でも、もういいかな、と思いました。
わたしもう自分で誰とつきあって、誰と距離を置くか選択できるんです。そして傷ついたとしても、癒してくれる仲間がたくさんいる。
これからは、きちんと心を開いて自分の全てを使って、本来のコミュニケーションをしていきたいと思っています。

というわけで、今回のおりょうさんへのバトンは「コミュニケーションについて」です。
お返事楽しみにしています!

すがこ




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