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祝・藤川理論を始めて1年:これまでのふり返り(9)栄養不足の症状④2度目の入院

時期ははっきり覚えていないが、2度目の入院は1度目からかなり間が空いている。今から10年くらい前のことではないだろうか。

その頃私は福祉作業所に週に3回ほど通っていた。午前中はほぼ布団から起き上がれないので、午後からの作業に間に合うようになんとか起きて出かける。起きられず作業所のスタッフから電話がかかってくることもたびたびあった。
当時は減薬もしておらず、眠気やだるさが強く感覚も鈍麻だった。作業所の仕事はがんばっていたが、単純作業が多いため集中することが難しい。すぐに疲れるし、とにかく横になっていたかった。

パートナーとはこの時も関係が続いており、作業所のある日は夕方待ち合わせてファミレスなどで食事をしていた。彼は引き続きボーダーの私と距離を取ることを意識していたため、家で食事をすることはなく、常に外食だった。休みの日も彼の家で仕事を手伝ったりすることはあったが、一緒にいる時間はそんなには多くなく、この人と一緒に暮らすことは今後もないのだろうなとこの頃からぼんやり考え始めていた。

ある時から、原因不明の焦燥感に悩まされることが多くなった。今思えば一種のパニック症状で、電車が来るまでの数分の時間を待つことができず、ホームでひたすら焦って不安になったり、作業所が終わったあとの彼との夕食までの1時間半を埋めることができず、居場所がなくひたすら不安発作のようなものを起こしていた。
また、彼と会って食事をし終えると、猛烈な眠気とだるさが襲ってきて、椅子にしっかり座っていられない。会話をしたくても意識が朦朧としてくるので、彼はそんなわたしの状態が理解できず、「僕の話を聞きたくないんだろう」と冷たい言葉を突きつけられたこともあった。

当然ながら精神科でこの不快な症状について相談したが、主治医から納得できる回答はなかった。
また、かかりつけの内科でも相談したところ、食後に血糖値を測る機械を貸してもらえたのだが、病気を表すほどの数値は出なかったため病名がつかない。

ただひたすらに具合が悪い。
その具合の悪さにも波があるため、症状が出る時のことを考えると平常時でも精神的につらくなる。「またあれが来るかもしれない」という予期不安が常にあった。
出かけた先で焦燥感とだるさに襲われ、駅の医務室で休ませてもらったことも何度かあった。自宅の最寄り駅まで帰ってきたのに、家までの距離を歩けず、最寄り駅の医務室で休ませてもらったり、ホテルのレストランで食事した後に同じ症状が出て、スペアの客室を借りて休ませてもらったこともあった。

切り離して考えるべきではないのだけれど、メンタルというよりは、これは体調が悪いなとはっきり自覚できていたのだが、精神科の持病があると医師も本人もその範囲での解釈になってしまうため、「原因不明の何か」に最終的に落ち着いてしまう。
しばらくこの症状の波は続き、とうとう耐えられなくなった私は再び精神科に入院することとなった。

作業所の担当スタッフに電話で入院を報告した時のガッカリした声が忘れられない。
この不調は日々しっかり体調管理をしていけば、自力で乗り切れるタイプのものだと担当は考えていたので、ある意味入院に逃げてしまった私を残念に思ったのだろう。ガッカリさせてしまったことを申し訳なく思ったと同時に、本当に体調が悪いのになあ、と悲しくなったことも覚えている。
週5で作業所に通所できるようにならなければ、社会復帰はできないと考えられていた時代だったので、作業所はスパルタな部分もあり大変だった。

2度目の入院は閉鎖病棟に2週間、開放病棟に2週間だったが、その発作のような症状は最初のみでだんだん落ち着いたため、特に薬が増えるようなこともなく、いわゆる休息入院のようなものだった。体調が安定しない中で一人暮らしをしている不安もあったから、精神的に少し楽になり症状が抑えられたのかもしれない。
しかしやはり精神科の入院は自由がなく、疾患を持った人たちとのコミュニケーションはうまくいかないことも多く、とてもストレスフルだった。

退院後に作業所のスタッフに対し、「同じような症状がまた出たら、精神科ではなく内科など別の科に入院したい。精神科にはもう入院したくない」と伝えた。
これは精神科領域の問題ではない、という考えに至ることができたその時の自分を褒めたい。その時は何の答えも出なかったけれど、その時の「ここじゃない感」は、体感に基づいたとても大事な感覚だったからだ。

その時の違和感にはっきりと答えが出たのは、2019年に初めて参加した、メガビタミンのグループコンサルだった。
グルコンは同じ悩みを持っていたり、その悩みをメガビタで改善することができた人たちで話し合うのだが、まさに私と同じような症状に悩み、改善した方に出会った。
その方は専門の病院に入院し、24時間血糖値を測定し、低血糖を起こしていることにより症状が出たことが分かったそうだ。

私が経験した症状は食後に起きることが多く、食後以外でもパニックのような焦燥感が出た際は、菓子パンや健康志向っぽいブラン系のお菓子を食べて紛らわせていた。
作業所が終わった後に来る不快感も、「1時間半後には夕食なのに…」と思いながらも、お菓子を食べると気が紛れるのでつい食べてしまう。
甘いものを食べると落ち着く、のではなく、食べるから落ち着かなくなるのが答えで、その時は因果関係が分かっていなかった。

今はもう栄養の知識が頭に入っているため、あの時の症状はまんま低血糖だとはっきり分かるし、今まで悩まされてきたいろんな症状や不定愁訴が、たんぱく質と各種ビタミン・ミネラルの不足からきていると断言できる。
入院時の「ここじゃない感」を突き詰め、その頃いろんな病院を訪ねていたとしても、たらい回しになる可能性が高かっただろうと思う。または悪徳なクリニックに出会い、高額なサプリを買う羽目になっていたかもしれない。

藤川理論は、病院に行かなくても出会える。
体の不調が起きた際に、自分で考えることをせずにすぐ病院に行ってしまうのは、これも洗脳されていることのひとつな気がする。
医者に行った方が薬が安く手に入るからいいなあと思っていたこともあったし、病院に行って医師と話すだけで、何となくよくなるような錯覚さえある。不調がある人に対して「病院に行った方がいいよ」と親切心で声をかける人も多いと思う。
医師の存在が必要な場合ももちろんある。しかし、自分の体のことを自分で考えずに医者に丸投げするのは危険だ。診断されて薬を出されることが治療ではないのだから。

実は、1度目の入院の際に不思議な経験をした。
病棟にリネン類の交換の際にシーツなどを持ってきてくれる看護師の女性がいた。落ち着いた雰囲気の方で、ときどき言葉を交わすのが楽しみだった。
最初の入院の時の私は気持ちがやさぐれていて、閉鎖病棟に自分がいることにもどこか満足して楽しんでいたこともあったが、そんな私を見て、彼女がある日言った言葉が忘れられない。

「あなたはここにいるべき人じゃない。早く帰りなさい」

医師の診断で入院しているのだから、私は「ここにいるべき人」で勝手に帰ることもできないのに、彼女は何か確信を持って言っているようだった。
その時は、どうしてそんなことを言うのだろう?と不思議に思うばかりだったが、私が他の患者さんに比べ軽症に見えただけではなく、彼女は何か根本的なものを見抜いていたのかもしれない。
自分の体と心の主導権を取り戻した今、この言葉がとても心に響く。

春は体調が揺れる要素が多く、なかなか健康自主管理がうまく行かないことも多いが、自分の体調の変化を経験していかないと、自分自身の臨床医としての経験値が上がらない。
季節の変わり目に起こる急性の不調にも、実践することは常にシンプルなこと。落ち着いて対処できるようになりたい。

Thanks for reading.
yama


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