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The Beatles 全曲解説 Vol.9 〜Love Me Do 前編

本日はビートルズの記念すべきデビューシングルとなった “Love Me Do” のご紹介。
ただ、この曲はやや成り立ちが複雑なので、ビートルズの下積み時代と絡めて、前後編でお送りしたいと思います。

曲はシンプル、でも歴史はフクザツなデビューナンバー “Love Me Do” ①

…あれ、なんかCDで聴いたやつと違う?
ジョンのハーモニカは勢いがなく途切れ途切れ。
ドラムもリズムが不安定で「パタン、パタン」とどこか頼りない。
そして何より、ポールの声がうわずって震えている。

それもそのはず。
このバージョンは、現在公式に発表されている “Love Me Do” 3バージョンのうち、最も古いバージョンだから。
当時はジョージ・マーティンとも知り合ったばかりで、まだメンバーも彼には遠慮しています。
そして、この曲の3バージョンは、それぞれドラムを叩いている人物が違います。
デビュー当時のゴタゴタがあった訳ですが、これを理解するために、少し時計の針を巻き戻してビートルズのデビュー前を追っていきましょう。

「5人」でハンブルグに乗り込んだビートルズ

時は “Love Me Do” のリリースから2年前。
後にビートルズを名乗ることになる若者たちは、イギリスを離れ、ドイツのハンブルグにいました。
1960年から1962年まで、彼らは一時帰国を挟んで長期に亘ってハンブルグでバンド修行を積んでいます。
バンド名も「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」だの「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」だのころころ変わっていた時期です。
以下では便宜上「ビートルズ」と呼びます。

当時のメンバーは、おなじみのジョン・ポール・ジョージに加え、それぞれベース、ドラムスを担当した2人のメンバーを合わせた「5人」だったのです。
この頃はリーゼントに革ジャンという当時の不良の流行スタイル
写真の両端に、見慣れない2人の男性が写っているのがわかります。

悲運の天才アーティスト Stuart Sutcliffe (1940-1962)

スチュアート・サトクリフ
デビュー前のビートルズでベースを担当していました。
先程の写真の右端、サングラスをしているメンバーです。

美術学校に通っていたジョンの同級生だった人物です。
バンドに入ったのは音楽に興味があったからではなく、ただ単に仲の良かったジョンに誘われたからという、なんとも10代のノリ…。

実際楽器は初心者レベルだったそうで、ライブ中、完璧主義のポールに何度も睨まれていたのだとか。悲しい…。

そもそも彼は音楽よりも美術にその才能を発揮しており、美術学校での成績は常にトップ、在学中から作品が高値で取引されるなど、芸術家としての将来を嘱望されていました

そういった事情もあって、スチュアートは1961年にビートルズを脱退。ベース担当にはポールが収まります。

ところが、改めて芸術家への道を歩み始めた矢先の1962年初め、彼は脳出血で21歳のあまりに短い生涯を閉じます。

メンバーの中で誰よりも仲の良かったジョンはその死に大きなショックを受け、後年こう振り返っています。
「彼はもう一人の自分のようだった。」

音楽で世界を変えたビートルズのように、もしかするとスチュアートは芸術で世界を変えていたかもしれない。
そう考えると現在でもその死が惜しまれます。

「イケメン枠」の元祖人気者 Pete Best (1941-)

ピート・ベスト
活動当初、ドラマーの交替が絶えなかったビートルズの初の正式なドラマーにして、冒頭のバージョンのドラムを担当したメンバーでもあります。

ハンブルグに向かう直前、当時ビートルズが出演していたクラブのオーナーの息子、という縁でビートルズに加入。
レコードデビュー直前までの時期を共に過ごすことになります。

ドラムの腕はそこそこだったようですが、ご覧の通り美形のクール系イケメンで、加入後すぐにナンバー1の人気者に

一方で単独行動が多く、ドラムの練習にもあまり熱心でなかったとの証言もあり、他のメンバーとはあまり馴染めていなかったことが窺えます。

そんなことがありつつも、ジョン・ポール・ジョージとともに活動を続け、デビューシングル候補として “Love Me Do” を録音するまでに至ります。これが1962年6月のこと。

ところが、その2ヶ月後の8月、ピートは突然バンドからの解雇、リンゴとの交替を命じられてしまいます
このことについては、ピートの一匹狼気質やメンバーとの不和、ドラムの力量不足など、様々な説が挙げられていますが、どれも確証のある説ではありません

ただハンブルグでピート不在の際、同じくハンブルグで他のバンドに在籍していたリンゴと演奏する機会があり、その時に大きな手応えを感じていたビートルズが、リンゴを熱心に獲得しようとしていたのは事実のようです。

こちらがハンブルグ時代のリンゴ。
20歳そこそこのはずが、ビートルズ時代よりかなり大人に見えます。
さらに、いち早く芸名を名乗り(本名はリチャード・スターキー)、車も所持するなど、既にプロとして基盤を築いていたリンゴは、当時のジョン・ポール・ジョージには眩しく見えたのでしょうね。

そんな事情からバンドを追われることになったピート。
「俺のドラムがイケてないって分かるまで2年もかかったのかよ!」と捨て台詞を残し、バンドを去ったそうです。

ちなみに、ピートはその後職を転々とした後、改めてバンドを初め、現在も活動中です。

こちらが現在のピート。
あいも変わらずイケメンです。
ビートルズの生き証人として、長くご活躍して欲しいものです。

次回: 満を辞してリンゴ加入!ところが…?

そんなこんなで、ついに僕らが知る4人編成となったビートルズ。
改めてデビューシングルのレコーディングにかかろうとするのですが…??

“Love Me Do” の背景解説はここまで。
後編は本格的に楽曲の解説に移ります。

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