高校演劇の神様

演劇集団キャラメルボックスが、活動休止に入った。

世間的には、上川隆也を輩出した劇団という印象が強いだろうか。
そもそも、「演劇なんて見たこともないよ」という人が多いかもしれない。

けれど私にとって――そしておそらく多くの、本当に多くの、演劇という活動に足を踏み込んだ(かつての)高校生たちにとって――キャラメルボックスは神様のような存在だったのだ。
たぶん。きっと。

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ひと口に演劇といっても、蜷川ハムレットからテニスの王子様ミュージカルまで、そのジャンルは多岐に渡る。
プロによる劇団のみならず、地域の演劇ワークショップや学校の部活やサークル、社会人の小劇団のように、アマチュア俳優が集う場所も無数に存在しており、もしかしたら付き合いなどで、こちらのほうは見たことがあるよという人も多いかもしれない。

キャラメルボックスは、言うまでもなくプロ劇団。
その作風は、スタンダードで軽快。
難しい議論や小うるさい説教をすることもなく、老若男女が見たときに「楽しい」と思える。
言葉で説明するならば、そんな風になる。

私とキャラメルボックスとの出会いは、高校生の時のことだ。
学校の演劇部に所属していた私は、ある日先輩たちに「プロのお芝居を見に行こう」と誘われた。


それまでの観劇経験と言えば、自分達のような学生の芝居か、小・中学校での行事による子ども向けの劇団(それはそれでプロによる公演だったと思うが、体育館などで演じられる舞台はどうしても劇場としての臨場感に欠けてしまう)くらい。
演劇部に所属していても経験値が「そんなもの」なのは、お金の影響もあったと思う。
一番安い席でも3000円は下らない演劇のチケットは、お小遣いというもので生活している学生たちにとって、映画や音楽よりもハードルが高い存在だった。

そのときも不安は自分の懐具合だったのだが、先輩たちは「1000円あれば大丈夫」と言う。
キャラメルボックスというその劇団が、私たち演劇部宛てに、自分たちの芝居が1000円でみられるチケットを送ってきてくれたのだという。

なんだそりゃ! 映画より安いじゃん!
ものすごく親切な劇団なんだなー!

そんなことを考えながらのこのこついていった劇場は、池袋にあるサンシャイン劇場。
自分がこれまで見た中で、一番大きな舞台だった記憶がある。

開演時間が訪れて、愉快な前説(キャラメルボックスの前説は、制作の加藤さんが登場する名物なのだけれど、語り始めると長くなるので、ここでは割愛)が終わり、客席のライトがフェードアウトしていく。
かかっていたBGMが徐々に大きくなって、爆音寸前のところでふっと消え、真っ暗になった舞台にスポットライトがまぶしく差し込んだ。
役者の姿が浮かび上がった時、サーッと体中に鳥肌が立ったことを、10年以上経った今でも覚えている。

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派手な殺陣に、OPダンス。
客席をも巻き込む色とりどりのライト。
時にファンタジー、時に時代劇。
最後はほろりとハッピーエンド。

キャラメルボックスの舞台には、演劇をしている高校生ならば誰もが憧れるものが詰め込まれていた。

初めて見る「プロ」の「本物」の芝居に、声に、動きに圧倒される。

そして気づくのだ。
今、私たちが一生懸命取り組んでいるものは、こういうところにつながっているんだ、と。


――成井豊の芝居を世界中の人が見れば、戦争がなくなるんじゃないか、と思った。

制作の加藤さんがそう言っているのを聞いたことがある。

本物の舞台には、力があるのだ。
生身の体全部を使って、人を笑わせたり、涙させたり、優しい気持ちにさせたりできるのだ。

それってなんだか、神様の持つ力みたいだな。

そんな人がいるかどうかは知らないけれど、キャラメルボックスの舞台は、そういう願いと力が込められたものなのだと、私は思う。

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文化を廃らせないためには、誰かが育てなければならない。
世界を広げていきたいなら、入りやすい入り口を作らなくてはならない。

キャラメルボックスは、積極的に「入り口」となってくれていた。

高校の演劇部……つまり、演劇に興味がある若者であり、今後の文化を担っていく子どもたちに、本物の世界を教えようと尽力してくれていたのだ。

実際、ここを入り口として、世界の奥深くまで入っていく高校生は多かった。私の周りにもたくさんいる。

演技こそやめてしまったものの、私が今でも自ら芝居のチケットをとるのは、そして芝居を見たことがないと言う友人たちを誘って劇場に行くのは、キャラメルボックスがその大きな腕で私たちを受け止めてくれていたからだ。

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活動休止のニュースを聞いて一番に思ったのは、

「あの舞台が次にみられるのはいつになるだろう」

ということ。そして、

「一体、これからは誰が、私たちみたいな子どもたちの入り口となってくれるのだろう?」

ということだ。

破産、という言葉に、胸がちくりと痛んだ。
就職、結婚、妊娠を経て、どうしても劇場に足を運びづらくなっていたことを悔やむ。大人になった私にできることは、自分のお金で劇場に通い続けることだけだったのに。


***

戻ってきてくれる、という言葉を信じている。
そうしたら、あの頃の私のような演劇少年・少女たちのために、今度は私も小さいけれど力を寄せさせてもらいたい。

彼らがまたその神様のような力を存分に発揮して、多くの人たちを魅力するときが来ますように。

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