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すっぴんの半径

二十歳まで、私の顔面は無敵だった。

もちろんそれは少女時代の私がとびきりの美少女だったという意味でもなければ、多量の紫外線を浴びてもシミ一つシワ一つできないほど強靭な皮膚の持ち主だったという意味でもない。ましてや猪木の平手打ちを喰らってもびくともしないほどの鉄仮面をかぶっていたとかいう意味では断じてない。

「人間、結局素の顔が大事!」
「化粧? 作った顔を見せて、それでどうするの?」
「はやりすたりに顔を会わせていくなんて信じられない!」

以上、十代の私が化粧にいそしむ友人たちを斜め上くらいの角度から眺めながら、心のなかで嘲笑を浮かべつつ呟いていた戯れ言である。
今ドラえもんが現れてくれたなら、タイムマシンを強奪して当時の自分の目の前に馳せ参じ、往復ビンタをかました後に両手で頬をロックし、三十路手前の未来の自分(=私)の顔をじっくりと見つめさせてやりたい。

「お前の顔面は確かに無敵だ。その素顔でしか友人とも恋人(現元恋人)ともクラスメイトたちとも接していないのだからな。だが覚えておくがいい。お前は今年、とある事情から(元恋人にふられそうになった)ファンデーションとマスカラを使い出す。さらに翌年からとある事情で(元恋人にふられる )アイシャドーを使い出す。社会に出る頃にはチークをいれ始め、数年後には目の際にアイラインを引くようになるのだ。ついでに言わせていただくと、基礎化粧品は三種類増えるぞ!! そんな悠長なことをいっていられるのは今のうちだけだ!!」

普段から化粧をしない人間にとって、他人にすっぴんを見られることなど屁でもないのだ。
アトピー性皮膚炎持ちと、生来のめんどくさがりが相まって、二十歳過ぎるまでまともにメイクをしたこともなく、大学にもバイト先の塾にも当時の彼氏のもとにすらすっぴんで通っていた私の顔面は無敵だった。正確にいうと、なんの飾り気もない顔面を見られることに微塵の恥じらいも感じない十代のメンタルが無敵以外の何者でもなかった。スターをとったマリオ状態だ。

だが、スター効果は長く続かない。
ふと気がつくと、ノコノコやクリボーにすら素顔を見られたくないマリオがそこにいる。

当時「こんなめんどくさいことよくできるな」と思っていたアイラインが必需品となってしまった私を見て、二十歳の私は何を思うだろう。

***

すっぴんで出掛けられるのはどこまでか、という問題が、たびたびメディアでとりあげられる。

「コンビニくらいならすっぴん部屋着で余裕ー」
と、ジャージ姿をさらけ出すインタビュイーは大概若者だ。
この手の企画を見るたびに、メディア操作という言葉を思い出す。私がコンビニで出会うもう少し上の層の方々は、大概小綺麗な格好をしているぞ。

とはいえ、コンビニくらいならすっぴんで行ける。ただし、コンディションによってはマスクをつけたい。学生時代、あんなにも「ださい、苦しい」と蔑んでいたマスクの汎用性に、この年になって感動することになるとは思いもよらなかった。余談だが、免疫力低下が著しいアラサー女子にとって、本来の用途においてもマスクは抜群の効果を発揮するのである。

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すっぴんで行けるのはどこまでか。

二十代前半は、会社にもすっぴんで行けた。というか、限りなくブラックに近いグレー企業で働いていたので、テクニックこそ(おそばせながら)習得していたが、する暇がなかった。

だが転職後、逃げ込むように飛び込んだそこは、生まれてはじめての化粧=マナーの世界だったため、会社は現在、すっぴんで行けない場所と化した。

時たま友人との会合に使われるオシャレ都市も、もちろんすっぴんでは行けない場所だ。
新宿銀座、丸の内。裏原に表参道。
歩いている人たちが全身でオシャレを主張していて、化粧をしていても歩くことに気後れする。気軽に待ち合わせ場所に使わないでいただきたいと思うのだが、どうやら友人たちは卒業して数年のうちに、卑屈にならずそこを歩けるスキルを身に付けたらしい。
新卒入社した会社がたまたま母校の近くに社を構えていたため、学生気分(ファッション分野に限る)を捨てきれずアラサーになってしまった自分が恨めしい。

隣駅くらいならどうだろう、と考え、即座に却下する。
自宅の最寄り駅に大型ショッピング施設がないため、時折遠征を余儀なくされるのだが、近年奴ら(駅です)は「もっとも住みたい町」なんぞに指定され続けてきた。
西か東か片方ならわからんこともないが、よりにもよって両側だ。挟まれたこちらの身にもなってほしい。
雑誌やテレビに映される隣町は、イカにもなオシャレタウンだ。こんなキラキラと活気づいた町にすっぴんで行ったら、顔が町に負ける。

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おでかけには化粧がつきものだ。

だがしかし、私にとって唯一化粧をせずに出かけられるユートピアがある。

地元だ。

住みたい町二つに挟まれた狭間の地域。

古くから続く商店街と古本屋。大きくはないが新刊はきちんと入る新刊書店。最低限の食料品が手に入るスーパーマーケットに、できたときは「この町にTSUTAYAが!!!」と地元を出た同級生たちの間に激震が走ったTSUTAYA。スタバはないがドトールは二軒ある。
そして図書館。私の心のオアシス図書館。

たまの遠征は避けられないけれど、たいていのことはこの町でも事足りる。
これらがあれば私は大丈夫。生きていける。

タイヤつきの直方体が連なる乗り物は、私たちを町へと誘う。その乗り物に一歩でも足を踏み込ませれば、それはもうおでかけだ。

おでかけじゃなければ化粧はいらない。
五日間の塗り描きに耐えてきた肌を、じっくり休ませられる……地元、万歳(マンセー)!!

***

そんなことを考えながらすっぴん&多少ましな部屋着で自転車を乗り回していたところ、ふと見回した私のユートピアが、微妙なよそよそしさを醸し出していることに気がついた。

昔からある甘物屋が、ディズニーランドのアトラクションかと思うほどの行列を作っている。
何のへんてつもないと思っていた商店街に、流行りからは外れている不思議なファッションアイテムを、しかしどうしてかオシャレに見えるよう身に付けているカップルが手を繋いで歩いている。

ハッとした。

住みたい町と住みたい町の狭間にある町は、
「住みたくはないがおでかけしやすい町」
なのだ。

おでかけ仕様のカップルが、すっぴん部屋着の私の横を通りすぎる。

私は出掛けたつもりはない。
だが、お出掛けは向こうからじわじわとやってきた。

ユートピアを失いつつある私のすっぴん半径は、音もなくその距離を狭めていき、私を震えさせている。

サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。