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ノーノースリーブ

レギンス、トレンカのブームはいつの間に終わってしまったのだろう。
終わるなら終わると事前通知しておいてほしいのに、ブームの終焉はいつだって唐突だ。

レギンスもトレンカも、登場当時は何がオシャレなのかわからなかったし、最後の最後まで男受けがよくないファッションアイテムランキングで上位にいたことを知っている。
だが、一度身につけたら最後、その「楽さ」にとらわれ、離れられなくなった。

ここで問題です。
レギンス、トレンカは一体何が楽なのでしょうか。

「履き心地!」

ブー!
むしろ締め付けられます。

「コーディネート!」

ブー!
普段の服に一枚重ねるだけなので別に変わりません。

正解を発表する。

「ムダ毛処理の必要頻度」

である。
当たった人はいただろうか?

***

娘は父親に似る、というセオリーを例外なく踏襲し、顔立ちも広い額も父親に似た。
そして、額は広い(婉曲に表現しております)のに体毛は濃いという、男性ホルモン多目の体質も似た。
遺伝子マジック無念なり、と涙ながらに母親に抱きつけば、母親もムダ毛多目、という残念な事実にぶち当たる。
今のところ頭髪ふさふさ(不安は一杯)の弟が母方似で良かったネ! が我が家の共通見解だ。私のムダ毛の多さなんて些細な問題である。

小学校二年生くらいのとき、体育の時間に友達から

「真実ちゃんって毛深いねー!」

と言われたのがトラウマだ。てか友達とか書いてみたけど、明らかに悪口になりかねる「毛深い」を皆の前で発表する女なんて友達じゃないやい!

中学に上がり、思春期を盾に多少高度なおねだりができるようになった際、私は親に頼み込んだ。

「脱毛器買ってください」

きれいなお姉さんは好きですか、と仲間由紀恵がテレビの中で微笑んでいた頃だと思われる。
たしかに、仲間由紀恵の外見でムダ毛ぼうぼうだったら何となくショックだ。
親は私にややあわれみの目を向けながら、きれいなお姉さんになれる脱毛器を買ってくれた。

人生初の脱毛器は、痛かったという記憶しかない。
毛を巻き込んで抜き取るシステムなのだ。
「少ない刺激で、長期間生えてこない」
という謳い文句だったはずだが、刺激はありまくりだったしムダ毛は次々はえてきた。
過大広告なのか私のムダ毛がしぶといのか、未だに判断がつかない。

それでも、十代の終わりに器械が壊れるまで、私は頑張った。
大学時代に流行っていたミニボトムとニーハイソックスがはきたくてはきたくて頑張った。
絶対領域をさらけ出して通学していた事実は、黒歴史と思われがちだが、最近ではむしろ若さっていいねの勲章だと思い始めたくらいだ。

二十代そこそこくらいで、「お風呂で体を洗うついでにカミソリを使って剃った方が早いんじゃ」と思い至った。お風呂でカミソリを使って脇を剃り、出掛ける直前にかろうじて動いていた脱毛器の脇アタッチメント(というのがあったのだ)で最後の処理をする。

完璧だ。

しかし、完璧主義は疲れる、というのが世の常である。
アラサーとなった私は、生えに生えてくるムダ毛との闘いに疲れてしまったのだ。

***

そんなわけで、二十代後半に差し掛かった私は、ミニボトムはもちろんのこと、ノースリーブやちょこっとしかそでのないカットソーを着るのをやめた。

気分は断捨離である。
捨てたのは恥か女子力なのか。

オシャレ偏差値の高い場所に勤めているので、電車の中で流行りの服を着た女性に出会う率が高いのだが、最近よく見かける服に

「ボトルネック(タートルネックよりやや短い)に裾長めのノースリーブカットソー」

がある。

この服がまた、えらく可愛い。
なんなら欲しい。

しかし考えてしまうのだ。
この服を着るために、私はどのくらいの時間を費やしてムダ毛処理をしなくてはならないのだろう――。

そんな私の服は、長袖のシャツを無造作風にうでまくり、七分のパンツに膝下ストッキング、だ。
一見夏ぽい、しかしどこにも隙のない低露出な服装!!
肘より上は見えないから腕の毛の処理は最低限でいいし、ストッキングをはいていれば一見肌に見えるから、近づかれない限りは毛が見えないし!

かわいい<楽さ

になった瞬間、心の老化が始まるのかな、なんて思わないこともない。

が、もうひとつ思うことがある。
私がかわいいと思った服を着ているのは、たいてい私と同じくらいか、少し年上のお姉さまなのである。
これはあれだ。
永久脱毛inサロンなんじゃねえのか。

かわいいときれいなお姉さんは作れる。
お金にものを言わせれば。

永久脱毛できる体力と、レーザーに耐えられる肌がほしいと歯噛みしながら、私は今日も長いシャツと長いズボンで出勤する。

サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。