見出し画像

「仕事のフィードバックを受けると泣いてしまいます」定期カウンセリングで悩み相談をしました。#わたしのcotree習慣

泣きたくて泣いているわけじゃない。
と、思いながらも涙が溢れてしまう。そんな経験のある人はどれくらいいるだろう。小学生の頃、担任の先生にちょっとした注意をされて号泣した。今思うとなぜそんなことで…と思うけど、当時は自分を全否定された気がして辛かった。

「ちょっとした注意やアドバイスをされただけで、泣いてしまう」

困っているのは、社会人になった今でもたまにそれが出てしまうことだ。毎回じゃないけれど、ふとしたタイミングで涙が溢れてしまう。自分でも理由を上手く説明できず、優しい相手に謝らせてしまう。どうにか対処したいと思い、定期的に受け始めたカウンセリングの時間に相談してみた。

45分間話して分かったのは、「幼少期の生存戦略を理解すること」「今の自分の状態を知ること」の重要性だった。

大人になっても子ども時代の生存戦略は忘れない

子どもという存在は、非常に無力だ。無力だから大人に守ってもらわなければならない。捨てられないために愛されなければならない。お手伝いすることだったり、良い成績を取ることだったり、親の言う通りにすることだったり、子どもは親に捨てられないために自分なりの生存戦略を持っているらしい。

わたしの生存戦略は「心配かけないように1人で頑張る」と「泣いたら親が心配してくれる」だった。働き詰めの親を見て、心配かけない子どもでいようとしていた。しかし、我慢してひとりで頑張りきれなくなったとき、泣くと親は気づいて寄り添ってくれた。そういった繰り返しの経験から、わたしにとって泣く行為は「相手に気づいてもらえる」安心感のある行為になっていた。

いっぱいいっぱいになると、子どもの自分が顔を出す

ちょっとの刺激でなぜ泣いてしまうのか?の答えとしては、余裕がない状態だと子ども時代の生存戦略が発動してしまうからだった。「ここまで頑張った自分に気づいてほしい」「でも、これじゃ足りないんだ。もっと頑張らないと愛されないんだ」そういった感情が全面に出てきてしまい、フィードバックに対して冷静な対応ができなくなる。カウンセラーさんからは「子どもの椅子」と「大人の椅子」のイメージを教えてもらった。

自分の中に「子どもの椅子」と「大人の椅子」2つの椅子があるとしたら、いつもは「大人の椅子」に座った視点から物事を見ています。けどいっぱいいっぱいになると、「子どもの椅子」の目線で物事を解釈してしまうのかもしれませんね。

いっぱいいっぱいになると、子どもの頃から座り慣れた椅子(=慣れた生存戦略)に座ってしまう。振り返ってみると、フィードバックを冷静に受け取れるのは心身ともに余裕のあるとき、感情的になってしまうのは余裕がないときだった。

余裕のある状態に自分を保つこと

カウンセラーさんと話してみて、今の自分は「子どもの椅子」と「大人の椅子」どちらに座っているのか?自分の状態を知ることが対処のポイントだと見えてきた。子どもは他者からの承認が全てで、認められないと自分を否定された気持ちになってしまう。大人は他人の全面的な承認がなくても「わたしはわたしで頑張った」「次からその視点も気をつけよう」と思える。

いつもいつも「頑張らなければ」と緊張の糸を張り詰めていると、ふとしたタイミングで糸が切れ子どもの自分が顔を出す。少し余裕のある状態を保つことが、その登場回数を減らすことに繋がりそうだ。

これまで自分を生かしてきた生存戦略を知り、今の自分の状態を冷静に見ること。そして、意識的に座る椅子を選べるようになること。今回のカウンセリングで、それが持続可能に生きていくために大切なスキルだと学んだ。

余裕がある時だからこそ、話せるテーマや考えられることがあります。普段はスルーする小さな悩みを扱うことや、もう少し先のことについて話してみることだってできます。

今回は定期カウンセリングを利用して、長年気になっていた問題を話した。利用を緊急度の高いときに限定しないことで、実は人生に繰り返し現れている問題を冷静に考えることが出来たと思う。

自分だけでメンタルを保つには限界がある。話を聞いてくれる相手を複数もつこと、その中に仕事のことも生活のことも気にせず話せる専門家がいることは、こころ豊かに生きるための一つの要素なのではないだろうか。


ここまで読んでいただきありがとうございます! いただいたサポートで、自分へご褒美あげたいなと思います。