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ピュンマ(008)と「水」の心理学

はじめに


ピュンマ(008)とは、石ノ森章太郎原作のSFマンガ『サイボーグ009』に登場するキャラクターである。本作はたびたびアニメ化されており、筆者は昭和版アニメを秋田書店刊行のコミックスと共に親しんだほか、平成版アニメも視聴した。今回はピュンマの能力の特色に注目し、石ノ森がなぜ彼にそういった能力を持たせたのか考察したい。あくまで仮説であるが、ひとつ目は石ノ森が意識的に行ったであろう設定に関してであり、もうひとつは大げさに言えば深層心理的な理由である。

ピュンマの立ち位置

主人公は009と呼ばれる日本人の島村ジョーであるが、彼とともに戦うサイボーグ仲間(ジョーを含めて9人)はそれぞれサイボーグならではの特殊能力を持っている。昭和版アニメで本作を知ったころ(筆者がまだ子供だったからということもあるが)、ピュンマの能力だけが解せなかった。彼は深海活動用サイボーグで、「水中でも呼吸ができる」「水中では9人のなかで最も速く泳げる」などの特徴を持つが、なにしろ地味なのだ。他のサイボーグたちは赤ん坊でありながら超能力を使うとか、空中飛行や探査用視聴覚、武器や怪力、変身など派手である。いわゆる「陰キャ」だった筆者はいかにも内向的なピュンマに肩入れしていたが、それだけにアクションシーンでも活躍してほしかったのだ。彼の能力は水中や水辺でなければ使えず、必然的に使い所が限られてしまう。石ノ森が彼にこうした能力を与えた理由が解せないのは、筆者だけではなかったのではないだろうか。

①意識的な理由:アフリカという立場を考慮したのでは

理由のひとつはキャラクター設定にあるだろう。ピュンマはアフリカ某国の黒人で、もと奴隷である。他のサイボーグたち(「ゼロゼロナンバー」と呼ばれる、味方サイボーグを指す)の出身は順にロシア、アメリカ、フランス、ドイツ、アメリカ(現地人)、中国、イギリス、日本だ。石ノ森は、「アフリカ大陸は大国の犠牲になった地域である」という認識を念頭に置いていただろう。そう考えれば、直接敵を攻撃できる能力は似合わない、という判断があってもおかしくない。必然的に、アクションシーンではあまり使えない能力になるということだ。では、なぜ「水」に関係する能力としたのか。これを次に述べたい。

②無意識的な理由:「黒人」「水」の象徴的意味

もうひとつの理由として、「水」の象徴的な意味が考えられる。「黒人」と「水」には両方とも、「無意識」という共通の象徴的意味があるのだ。アト・ド・フリース著『イメージ・シンボル事典』(大修館書店・1984)を参照してみよう。ちなみに象徴は多義性を持つのが特徴なので、象徴の意味は必ず複数ある。そのうちの一つが一致したということだ。以下に同事典より、該当する二箇所を抜粋する。

negro 黒人 2〚心理学〛b 集団的無意識. (PP.456)

water 水  19〚心理学〛a 水は無意識を表し……(後略) (pp.678-679)

「黒人」の象徴について。石田おさむ画『コミック ユング 深層心理学入門』(理想社・1989)では、ユングがハインリッヒという中年の白人エンジニア(ゼロゼロナンバーサイボーグとは無関係である)の夢に現れた黒人像について分析している。ハインリッヒは精神的自立が不十分で、婚約者との結婚をためらううちに抑うつ状態になったのだが、ユングに分析を受けることで回復した。分析のなかで最後に報告された夢のなかで、ハインリッヒは黒人と肩を組みパリ(婚約者の出身地)から歩み出すのだ (同書 pp.143-167) 。この夢についてのユングの分析が以下のように記されている。

「黒人は無意識の堂々たる出現だ /  しかも黒人は全裸だからね /
 暗黒で原始的なものが /  今や輝かしい肉体に結集され /
 ありのままの真実として /  ハインリッヒと歩みを ともにしたのだよ」
 (同書pp.166)

このユングの解釈は、彼が分析したハインリッヒという中年エンジニア個人のものではある。だがユングの心理学においては集合的無意識と呼ばれる、人類に普遍的な無意識の層を想定する。つまり夢における象徴はその本人の個人的なものと、誰にでも共通する普遍的なものの両方を考慮して考えるべきものなのだ。また人類のルーツがアフリカにあるだろうことは、生物学や人類学の知見でも明らかにされてきている。われわれの無意識、そして心理的ルーツがアフリカにおける人間(黒人)像と結びついても不自然ではない。

「水」と無意識の結びつきについては、単純ながら水が下へ下へと流れることが関係しているように思う。「上善は水のごとし」という言葉がある。「最善の状態では人は低所をめざすもの」という逆説だが、水は下に流れるものだという古来よりの表現があるということだ。人間にとって水はそもそも雨として空から降り、池や川を形作り海へ流れてゆくのが自然である。人間は意識を持ち自然に反するところがあるが、無意識は動物などより自然な存在に共通している可能性がある。また心理学で心を図で示すことがあるが、例外なく無意識は下に描く。水が流れる方向だ。

以上を考えれば、石ノ森が「黒人にふさわしい能力を」と考えた際、無意識的に水の象徴性にたどり着いたと仮定しても、それほど的外れではないように思われる。

おわりに

推しのキャラクターであるピュンマが、これといった活躍をしないのは昔から少し残念であった。だがそういうことにも、何らかの理由があるだろうと思ってきた。本稿はそんな筆者なりに、これまでの学びから導いた仮説である。おそらくアクションシーンではあまり活躍しない(できない)ところに、このキャラクターの意味があるのだろう。みなさんは、どのように考えられるだろうか。





私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。