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野球におけるコンプライアンスの変化

楽天・安楽投手、チームメートに「アホ」「バカ」などの暴言…食事の誘い断った選手には深夜に電話

正直戦力外通告にまでなるとは、と驚いた。
楽天安楽投手のパワーハラスメントによって事実上の懲戒免職に近い形で自由契約に至った、というのは時代の変化を感じる。恐らく過去このようなことは選手間でよくあったものだろう。それを「イジリ」という言葉でやってきたかもしれない。
しかし昔で言えばマスコミを騒がせてしまった時点で「厳重注意」「一軍出場への機会謹慎」などで済ませるものであると私ですら思っていた。ここまで手厳しく行うとは。

昔の職場でアメリカでの職務を経験した人が言っていた。
「コンプライアンスを日本でも重視する傾向が出てきたけれど、アメリカでは暴言一つでセーバー(ハラスメント対策員のようなもの、ということ)が飛び込んでくるからもっと厳しい」
という話をしていたが、それを彷彿とさせた。なるほど公用語を英語に変えたりキャッシュレス導入にいち早く動いたアメリカ企業への取り組みが速い楽天らしい。

アメリカにおけるハラスメントのあり方はこれがわかりやすい

パワハラに対しアメリカのHRはどう動いてくれるの?|World Voice

日本ではあまり突然のことに驚きを隠せないところではあるがアメリカではなるほどこうなるわけだ。
今年横浜DeNAベイスターズに在籍したトレバー・バウアーがドジャースから放出されたのもこのコンプライアンス社会に引っ張られて、というのも大きいだろう。これが行き過ぎた措置なのかどうなのかは各々に任せるとして、今後この風潮は強くなっていくであろう。

30億円捨てても性的暴行の“汚点”と決別 バウアー放出へ…名門が下した苦渋の決断

北海道日本ハムファイターズの中田(元巨人)、埼玉西武ライオンズの山川(FA中)、プロ野球と世間を取り巻く環境は段々と変わっているのは枚挙にいとまがないだろう。過去のような体育会系の雰囲気は払しょくしようとしている風潮がある。

日本においてこれが強く意識され始めたのはいつからだろうか、と思うと2020年からではないだろうか。
特に阪神タイガースの藤浪晋太郎含む数名、千葉ロッテマリーンズ清田育宏辺りが記憶に深い。

今思えば彼らの行動はお咎めの一つはあったとしてもここまで大問題に発展するような内容ではなかった。事実としてだけ捉えたら飯を食い、酒を飲み、女と遊んだだけだ。良識を問われることは間違いないが、社会的制裁を加えられるほどのことはしていないはずだ。
しかしコロナ禍はそれを許さなかったことは事実だ。全員がコロナウィルスがどういった存在かわからないまま日々に恐怖しながら過ごしている中、今や人としての模範を求められる立場になりつつある有名人の彼らが起こしたことは規則上問題なくても人道的に許されない、と判断したのだ。

歴史は始まりこそ急なことも多いが、そのあとの常識化に至るまでは表立って見えてこない。そうでなくてもコンプライアンスの概念はコロナ後急速に広まっている。
2022年4月1日には中小企業含むすべての企業がパワーハラスメント対策の義務化が決定され、今まで努力義務程度のものであったコンプライアンスに対する意識がこの五年でもかなり変わってきた。
それは人気稼業であるプロ野球選手もその範疇に入っていることを意味する。

特にプロ野球は広島のような市民球団でもない限りは原則的に企業の看板を背負う。都道府県の名前を背負おうとしている球団も多いがほとんど効果を出せていないのが現状だ。スワローズの話をするとき「東京」と言わず「ヤクルト」、ライオンズの話をするとき「埼玉」と言わず「西武」というのはもはや避けられぬ歴史の集積である。
それゆえにそこの選手が何かを起こすとそのチームを持つ親会社に影響が行く仕組みになっている。元々社会人野球の発足に対して食い込むような形で始まった職業野球は、独立採算が主流になった今ですら現在の社会人野球のように企業の名前を冠するクラブチームの印象をいまだぬぐえていない。
その意図がないにしてもどこかの球団の選手が起こしてしまった問題は親会社への責任問題へつながってしまう問題性を孕んでいるのである。

そういう意味では楽天の行った対策はコンプライアンスに厳しくなった今だからこそ適切な対応として考えてもいいのではなかろうか。
まさに松坂大輔の身代わり出頭のような(当時すら許してもらえなかった)ことを今後は許されなくなっていくわけである。言ってしまえば、よい言葉を使えばおおらかな、悪い言葉を使えば無頓着な時代の終焉を迎えたといってもいい。

ともすれば夜の街に繰り出して飲み歩いていた、というのも笑い話で済まなくなる時代が来る可能性もありうる。逆に紙面を喜ばせるのは数人で立ち食い蕎麦を食べていた、などといった素朴なものになっていくのかもしれない。

ある意味で人気稼業も衆目わき目も降らず、という考えも改めていく必要が生まれていくとみてもいい。昔のように豪放に遊び呆け、女の家に朝まで居座り、酒の匂いを残しながら球場に入る、といった平成ですら絶滅危惧種に指定された彼らはいることすら許されない世の中に至るといってもいい。

ある意味社会モラルの醸成が進んでいっているという話でもあり、過去多くあった逸話への別れでもあろう。どちらが正しいとかではなく新しいことが始まることは過去への別れでもあることをきっちりと再認識できる一幕であった、という評価のほうがこの件は正しく思う。

彼の退団は今後高校野球を含む多くのアマチュア野球にも強い影響を残していくだろう。
それを未来への前進と捉えるか、過去への別れと捉えるかは各々の思うところになるだろう。

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