「子育てがつらい」の中身①

こんにちは。わたしは20代後半で常勤ナースとして働きながらおうちでは1児(2歳)の女の子のママをしています。

今回なんとなくここで書こうと思ったのは、日々わたしが感じてきた妊娠から子育てまでのモヤモヤした気持ち。

最近巷では某総理が、育休中のリスキング支援するといって炎上したのも記憶に新しいですよね。この話をきいてモヤモヤした方も多いのでは。
わたしは、どちらかといえばそれは賛成ですが、まあこの話はおいといて…

わたしの子育てのはじまり

わたしの子育ては、24歳の妊娠から始まった。当時わたしは看護師3年目。もうちょいで一人前といった感じで仕事も軌道に乗っていた。
看護学校のころ、母性看護学の授業(産科の内容です)で産婦人科医が、「こどもがほしいならとにかく早く産んだほうがいい」言われ、その言葉が脳裏にあるも、それでも仕事が大好きでまだ妊娠は早いかな…?と思っていたタイミングだった。
それに、日々看護師として働く中で身寄りのない方が亡くなることがあるが、その最後はやはり少し寂しい。どうしても自分のこどもはいつか産みたいと思っていた。

妊娠がわかった時、夫(当時はまだ結婚前)と抱き合って喜んだ。そして、幸せな子育ての日々が続くと…思って…い…た…笑

つわりと休職

妊娠の喜びも束の間、激しいつわりが襲ってきた。水さえも嘔気を誘発して飲めず、イオンウォーターを一日200ml飲むのがやっと。水分摂取量が少なすぎてトイレにも起きず、ずっとベッドで寝たきりの生活を続けたところ、体重7kgも減り夫に病院へ担ぎ込まれて入院した。

そんな状態であったからもちろん病気休暇になった。働いていないから仕方がないけど、こころの何処かで給与が減ったのが悲しくて悔しくて仕方なかった。体調が少し戻って職場に復帰したが、そのころちょうどコロナが猛威をふるい始めており、勤務していた病院はコロナ患者の受け入れを始めていた。正直なところ、当時はワクチンも治療薬もなかったのでとにかく毎日不安だった。あったとしても妊婦は使えないのも分かりきっていたので余計に不安だった。そんな不安を汲んだのか、妊娠20週ころにはお腹が張る日がそこそこあった。

医師のすすめで結局そこから出産まで休職した。お腹のこどもを優先するのは当然のことではあるが、当時のわたしは罪悪感と劣等感でいっぱいだったと思う。これは、産休になるまでぎりぎり最後まで働ききれなかったという気持ちと、そもそも同じ職場のメンバーには関係ない出産ということがらで迷惑をかけてしまうなあというものだった(今思えばお互い様なんだけどね)。

休みに入ってからは、暇との戦いだった。暇で何が悪いかというと、わたしは暇が耐えられないタイプだったのだ。とにかく何かしていないといられない。無で過ごせないタイプなのだ。とりあえず家の片付けとこどもを迎える準備をして過ごしていた。まだ準備の段階ではあったが、この時点から日本の子育てに対する丸投げ感を肌で感じ始める。私が看護師で年の離れた妹を世話した経験があるのも関係しているが、とにかく夫は「俺にはわからないから任せた!」とほとんどの準備を私に託した。主体的だったのはチャイルドシート選びぐらいだったように思う。まあ私はいろいろ知ってるけど、出産直前の身重な状態で動くのはいろいろしんどいし、そういう言い方をされると出産後の状況なんて今から分かり切っているなと思っていた。素直に一緒にやってと言えばよかったかもしれないが、言えないのがわたしの未熟さであった。

…長文お読みいただきありがとうございます次回、出産回です。乞うご期待!!


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