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「とりあえず、生」を理解した春

皆さんは、飲み会の初手に何を注文するでしょうか。

同期との飲み会に行くと多種多様になりますが、それでも最近はハイボールとビールの2種類に収束している感じがあります。
んで地元のおっちゃんの集いに顔を出したときは、ビールか緑茶割りかみたいな感じです。

僕はお酒弱くて、そしてそもそもビールは苦手だったんですね。
ただ苦いだけやんけって感じで。
まあこれは小さい頃にノンアルコールビール飲んでクッソまずかったからその時の思い出を引っ張っているだけなのかもしれませんが。


きっかけは、アルハラ

書いてて無茶苦茶だなあと思うんですが、実際見る人によってはアルハラだと思います。
それは、ちょくちょく記事で出てくる地元のおっちゃんとの集いに初めて参加したときの出来事でした。

「お前、金融行くなら飲めないとやっていけないで」って言われて、ガッツリ飲まされたわけではないですがずーっと断続的に飲まされたんですね。
水割りとか今まで1度も飲んだことないものしか出てきませんでした。
時代も時代ですし人によってはアルハラ認定される光景だったと思います。
(僕はそうは思っていないのでこれはアルハラじゃないです。受け取り手の問題なのでね)

んでなんか意気投合して2軒目に突入。
そこの女将さんにマルエフをなぜか試飲させてもらって、そのときに「ああ水割りとかよりは飲みやすいな」と思ったんです。
そして、よく考えてみればビールってサーバーから出して提供するものだから店によるアレンジが効かないなと。

ああ、だから「とりあえず生」なのか。

店によってクッソ濃いレモンサワーが出てきたり、クッソ薄いカルピスサワーが出てきたりしますよね。
ビールには基本それが無い。
意味の分からん配分にならないんです。

大人になってしまった感じ

それまではカクテル系統で注文したりしていたんですが、最近の初手は「とりあえず生」になってしまいました。

ああ、なんか大人の世界にまた入り込んでしまったなあと思います。

ビールなんて何がうまいねんと思っていたのが、普通に肉と合わせて楽しめるくらいにはなってしまいましたし。
まだまだ黒ラベルみたいな飲みやすいモノのほうが好きな分耐えている感じはありますがね。

こうして自分が持っていた感覚や意見ってのが、さまざまな要因で合理化された行動になっていっちゃうのかなあって。

ただの思考放棄

この「とりあえず生」精神は、やっていることはただの思考放棄です。

何を自分は頼みたいのか。
周りは何を頼んでいるのか。
それに同調するのか。自分の意見を貫くのか。

そして、そもそも飲み会に出席するのか。

この辺りの思考が放棄された結論としての「とりあえず生」発言だと思っています。
ごめんなさい、飲み会の参加有無は盛りましたね。

子どもから大人になって、いろいろなしがらみが増えて、配慮しないといけないものをたくさん抱えて。
いつしか、行動に自分の意思が伴わないようになっている自分がいます。

周りが大学院進学するから自分も残る。
友人が就活始めたから自分も始める。

自分は院進したことに後悔は無いし、就活をして組織に属して賃金を貰うという選択をしたことは全く間違っていないと思っています。
ただこれらは全部後付けの理由・理屈であって、思考を放棄している事実は不変です。

だからといって「とりあえず生」はもう手放さないと思いますがね。
それでも、人生は「とりあえず生」にしたくないなと思う次第です。


「とりあえず生」を通じて、自分の当事者意識の無さを憂う記事でした。
ちょっと悲しくなってきたのでここらで失礼します。

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