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学を修める旅行とは何ぞや

お久しぶりです。
今週ずっと家を開けており、また引っ越しに伴う作業のため家がバカクソ散らかっています。

いつもならPCで記事を書くのですが、PC作業すら出来ないほど散らかっているために仕方なくスマホでこの記事を作成しているところです。

んで家を開けて何をしていたかと言えば、京都に遊びに行ったりしていたわけです。
京都に向かう最中にふと思い出したことについて、この記事でもう少し物思いにふけってみます。


修学旅行の定義を確認

小学6年生のとき。
このタイミングで人生で3回あった修学旅行に初参戦した訳ですがこの時担任の先生に言われた言葉。

「学を修める旅行と書いて修学旅行、ただ楽しむだけの旅行ではない」

この言葉を(一言一句合っているわけではないですが)ふと思い出しまして、そもそも修学旅行の意義って何だろうか、と京都に向かうバスで1人考えていました。

コトバンクで修学旅行の定義を調べれば

学習活動の一環として、教師の引率のもとに学校の学年または級単位で行なう旅行。学校行事の重要なもので、現地での見聞による学習、集団行動、人間関係の育成を目的とする。

コトバンクより(https://kotobank.jp/word/%E4%BF%AE%E5%AD%A6%E6%97%85%E8%A1%8C-76791)

というのが最初に出てきます。

なるほど、確かに現地での見聞という点で史跡が大きく存在感を出すのは間違いありません。
これならば京都や沖縄といった土地が修学旅行先に選ばれるのも納得です。

学を修めた記念なのか、修めるためなのか

自分はこれまでなんとなく「学を修めた記念、思い出としての旅行」のことを修学旅行と名付けていると思っていました。

しかしながら、コトバンクを眺めていると「集団生活や現地での(フィールド)ワークを通じて何かを得るための旅行」こそが修学旅行であるという感じがします。

もちろん学校と観光企業との癒着こそが……という意見もあるでしょうが。
ここでは一旦その議論はよけておきます。

冒頭の言葉を受け取った母校の小学校では、林間学校もあったんですね。
小学4年生から6年生まで毎年2泊3日くらいで開催されていました。

コトバンクから読み取れる修学旅行は、林間学校との区別が難しいです。
何なら林間学校のほうが新しい知識という点で学びが多かったように覚えていますしね。

だから自分の中では「記念」としての修学旅行として解釈しておきます。

もう大人なんだな、って

高校2年生ぶりに、今週清水の舞台に上がりました。

結構覚えているもので、当時清水寺に行ったときどんな感じだったか、誰が周りにいたかとかそんなことを思い出して勝手にノスタルジックな感じになってしまいました。
ああおみくじ吉だったな、とか。
そのときは実家の学習机のマットの中におみくじ入れたんですが、まだ残っているのかな。

あんなに大人数でできる行事はもう無いんだろうな。
京都までの貸切新幹線で馬鹿騒ぎすることも。
3泊4日を睡眠2時間で消化することも。

ああ、大人になってしまったんだなと。
清水の舞台でそんなことを考えていました。

産寧坂の景色は8年経っても変わらないのに。
人間はこんなにも儚いのかと。
どうせこんなこと数百年前の人間も思っていたんだろうななんて考えていました。

しかしながら何故か、悲しいという感覚では無かった気がします。
ちょうどその1ヶ月前に、高校の人間と顔を合わせていたからかもしれません。
絶対その後に続く「あいつら何してんだろうな」のアンサーを持っていたからです。

皆8年の間に自分の答えを出していて、僕も何とか次のステージを用意することができたから。
その記念として、節目としての京都でした。

清水の舞台から飛び降りなくてもいいくらい、人生うまく行くことを願ってこの記事の締めとします。

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