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興福寺五重塔と私

夜風が気持ちいい。
奈良のアパートを出たときは「(山添と比べて)町の夜はこんなに暑いのか」と思ったが、小一時間歩いたあと、回廊跡の隅っこに腰掛けている今は、とても心地の良い風が流れている。

今日、2023年8月20日は、興福寺五重塔ライトアップの最終日。正確に言えば、「修理前最終日」といったところか。
120年ぶりに始められる興福寺五重塔の大修理事業。コロナ禍等の影響で延びに延びていたものの、いよいよ今年から始まることになった。
私が山添と奈良を忙しく往復している間も着々と準備は進んでいたようで、こうして久しぶりに来てみると、五重塔、東金堂周辺はすっかり様子を変え、要塞のようになっていた。

東金堂が見えない

今日は日中、山添村観光協会の仕事で地元の小学生とワークショップをしていた。10歳の女子小学生6名に振り回され、元気をもらいつつも、同時にエネルギーを吸い取られた一日だった。
夜は特に予定がなかったためそのまま村にいても良かったのだが、どうもソワソワして落ち着かない。なんならワークショップの最中から「夜はどうしよう」と気が気じゃなかった。
迷ったら行動ということで、19時には下山。
もちろん、興福寺五重塔ライトアップ最後の日を見届けるためである。

せっかくならその姿が見られなくなる瞬間に立ち会いたい。消灯は22時。それまで時間がある。奈良のアパートでゴロゴロするも、やはり落ち着かない。
消灯時間より随分前の20時半前に家を出る。あえて遠回りをしながら興福寺へ向かう。途中、数年前から始まった「ならまち遊歩」の灯りを楽しみつつ、徐々に本丸へと近づく。

ならまち遊歩の灯りと五重塔

40分程度だろうか。散歩しながら常に目線の先には五重塔。どの角度からみても美しい。そしてどこにいても目に入る。
やっぱり私はこの塔が好きだ。

ならまち、猿沢池、大御堂の横を抜け、いよいよ興福寺である。猿沢池の周辺は数十人いたはずなのに、夜の三条通りはこんなにも静かなものなのか。しばらくぶりに歩く夜の奈良は色々と新鮮である。

誰もいない三条通り

約一年半ほど前、私は大きな決断をした。山添村に家を買ったのだ。
2ヶ月ほど悩み、その間、様々なことを考えた。決断に至った要因はいくつかあるが、その一つがこの五重塔だった。

そもそも私が奈良に引っ越すことになったのも、この興福寺の存在が大きい。興福寺に縁ができ、奈良に縁ができ、「この町ならやっていける」そう思って移住を決意した。
引越し先も、徒歩で興福寺に通える場所にしたかった。その結果、興福寺の鐘の音が聞こえるところに住むことになり、今も変わらずそのアパートを借り続けている。
奈良生活が始まり、夜、一人で興福寺を訪れることも増えた。誰もいない境内で、今のように回廊跡の隅っこに座り、ただただ五重塔を眺めていた。何があるわけでもない、それがすごく幸せだったし大切な時間だった。
ライトアップされた五重塔も美しいし、消灯後、真っ暗な夜空に浮かび上がる五重塔のシルエットも好きだ。
大きな大きな五重塔と一人対峙する時間、本当に贅沢で涙が出てくる。

足元を固められつつあっても美しい五重塔

そんな五重塔が修理に入ることになった。聞くところによると10年以上、その姿が見られなくなるそうだ。
奈良に来てから心の支えのように思っていた五重塔が見られなくなる――。

そこへ来て、山添村家購入の話である。
興福寺から通える場所に住めたことに最大の喜びを感じていたはずの人間が、そうやすやすと奈良を離れるわけにはいかない。私は鐘の音が聞こえ、五重塔に会いに行ける奈良が好きなのだ。

それでも、五重塔が修理に入るという。10年以上見られなくなるという。

家を買うならこのタイミングなのかもしれない。

照らされた軒先のエッジが美しい

2023年8月20日22時09分、興福寺五重塔は暗闇に包まれた。

消灯は22時、けれども22時ちょうどではない。夜、幾度と対峙してきてそのことは知っていたが、実際に何分のズレがあるか忘れていた。
21時59分からスマホを構え、いつ消えるかわからないその時を待つ。

ライトに照らされる塔は堂々として気高く、それでも目を凝らすと軒の稜線は妙な歪みを見せていた。
なんとも言い難い9分間だった。

次にその姿に会えるのは10年後?
その時私はどこで何をしているのだろう。

2023年8月20日22時09分

アパートを出てからの2時間は、五重塔と自分を振り返る2時間だった。
最初は観光客として眺めた。そういえば興福寺の御方と初めて出会ったのも五重塔前だった。その後、奈良へ移住してから車を持ち、奈良公園から随分離れた場所からも五重塔が良く見えることを知った。遠くにすっくとそびえるその姿を見つけると、いつも幸せな気分になった。中金堂落慶では五重塔から散華が舞った。

回廊の隅っこに腰を据えて約1時間。行き交う人の会話もよかった。
「毎日来てるから特別にも思わなかったけど、ライトアップがなくなると思うと寂しいね」

興福寺五重塔は、もはや奈良にとっての日常なのである。視界にあるのが当たり前。それが1300年間(なかった時期もあるけど)続いてきた。
ライトアップされ始めたのはここ数十年なのかもしれない。しばしの間、それより前の暗かったころの興福寺の夜に戻る。興福寺の長い長い歴史にとってはライトアップされている時間の方が短いわけで、ある意味、かつての暗かった興福寺五重塔を追体験できるいい機会なのかもしれない。

東金堂とのコンビ感

五重塔。
お釈迦様の舎利が納入され、塔自体が信仰の対象でもある。
今やそんな信仰は随分と薄れてしまったのかもしれないが、ろうそくの灯のように暗い奈良の夜に大きな灯を点し続けていた興福寺五重塔は、奈良の人たちの日常となり、心の一部となっている。五重塔は、多くの人々の思いを背負い、人間にとっては少し長い期間その姿を隠すことになる。正直なところ、とても寂しいのは事実である。

すでに要塞に囲まれつつある五重塔。灯りが消えても、その姿が見られなくても、奈良の象徴であることに変わりはない。
この大事業が無事に終わり、奈良の町に穏やかな灯を向けてくれる日を心待ちにしている。欲を言えば、そのときに自分が奈良にいられることを密かに願っている。

興福寺五重塔と私

https://www.kohfukuji.com/news/2065/


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