教訓

 電球とチェロの弦は、一か八かで買ってはいけない。
 今の家に引っ越してすぐの頃、玄関の電球を感知センサー付きの、しかもLEDの物に取り替えてやろうと、大方の買い足しを終えた帰りに家電量販店へ寄った。そしていかにも輝かしい新生活に心躍る足取りで、店内でも一際明るく奥に陣取っている照明のコーナーに向かった。
 光輝く輪が何段にも連なったアートスレスレの照明や、よく見る「団地用」みたいな円盤型の照明は、それまでの蛍光灯の"白"がまるっきり色の認識の誤りだったと知らしめるように、煌々と真っ白く発光していた。
 その電気に照らされて目がチカチカしている時に、自分が家からそもそも切れた電球を持参していないことにやっと思い至った。
 今回は帰り際の思いつきという厳然たる事実がそこにあるため、いつものポカではないし、その場でゴロゴロ暴れ回って駄々をこねる必要はなかったが、果たして、おそらくこれかこれであろう、と、最終的に究極の二択を前にし、頭も身体も完全に停止することになった。
 こうなると手も足も出ない。店員さんが「一般的な」と教えてくれた方か、それとも一回り小さいこちらの方か。赤か、青か。幽霊が出る家か、ゴキブリがたくさん出る家か。いくら考えても、選びようがないのである。
 その時僕が手に持っていたのは、同じメーカーの、一つサイズ違いの物であった。このどちらかには、違いない。違いないので、自らがいつもいつも辿る運命みたいなものを薄々感じながらも、ほとんど当てずっぽうで一つを選んで帰ってきた。なぜ両方買わなかったかと言うと、ご承知の通り、LEDのライトは高いのである。そう何個も買えないのである。
 そして当然、サイズが合わないのである。悔しくて、足場に使った椅子はしばらく玄関に置きっぱなしにしてやったのを、今でも昨日のことのように鮮明に憶えている。

 同業の音楽仲間で、自宅や教室でレッスン業を営んでいる者も多い。演奏業の傍らとなると、ちゃんと発表会まで催しているSNSの投稿など見かける度、ただただ畏敬の念を抱かずにいられない。
 僕の周囲のそういう友人たちは口が堅く、気心が知れた仲であってもあまり生徒さんの不平不満めいたことを漏らしてくれない。ところが中にはゲテモノが混じっていたりして、数年に一度突如として出現するその手の生徒さんの信じられないエピソードに戦々恐々とするのが、僕の唯一の趣味である。
 とあるチェリストと、オーケストラの公演直前の休憩時間にコーヒーを飲んだ。六本木一丁目駅の改札口から歩いて意外と結構あるコンサートホールの殿堂、サントリーホールでの公演だったため、そこは森ビルお膝元のドトール・コーヒーだったはずである。
 本番への向かい方は各人様々あるが、その時は楽譜が退屈過ぎてお互いにちょっと危ない予感がしていたので、意識を覚醒させようと必死でくだらない話を羅列していた。広くてひたすら真っ直ぐの高速道路を延々運転しなければならないような独特の緊張感なのだが、我々演奏家が人間であることと、音楽が人間の愉しむものであるので、こういう一見怠惰的な状況に陥りそうになることは、全世界において致し方ない話である。と、言い訳がましいのは承知で、一応付記しておきたい。
 彼がその時に話してくれた中で僕のハートを強烈に射抜いたのは、「いくら忠告しても勝手に弦を買っちゃうおばあさん」の話で、話してくれた当の先生もあくまで”可愛いおばあちゃんの生徒”という視点だったことで、安心して手を叩いて笑わせていただいた。
 先生である彼が勤めている音楽教室で一日レッスンを行う日に、ちょうど半分を終えるくらいのタイミングで、おばあちゃん生徒がレッスンにやってくる。その教室は大きな楽器店が丸ごと入ったビルの上階にあり、おばあちゃん生徒はいつもレッスンの前に階下の販売店に寄って何かしら買ってからレッスンにくるのがお決まりだったそうだ。
 あるレッスン前日の夜、おばあちゃん生徒から問い合わせの電話があった、と、教室の受付のアドレスからメールがきた。
 先生と生徒の個人的な接触を避けるため、個人情報の交換を禁じている教室も多い。というのが理由だったが、生徒思いの彼からすれば、面倒なことになってしまった。
 問い合わせの内容は、「糸が切れてしまったので、明日レッスンの時に交換してほしい。新しい糸がどれかは、今と同じ物を買うことにします」というものだった。
 まず、今時弦のことを糸とは、ヤングは絶対に言わない。それだけで随分タイム感や価値観が違うことが理解できた"よき先生"であった彼は、前のレッスンをきっちり時間通りに終えて、販売店へ先回りすることにした。彼のレッスンに対する清潔なポリシーからはやや逸脱してしまうが、深夜になってからメールに気がついたため、仕方がなかった。
 翌日、やはり数分オーバーしてしまったが、レッスンを終えて販売店へ降りると、おばあちゃん生徒がスピロコアとヤーガー(どちらもベーシックなチェロのスチール弦)を手に取り、睨みつけていた。彼が傍へ寄って話しかけるまで気がつかないほど集中していたらしい。
 おばちゃん生徒のチェロにはそのベーシックな組み合わせを採用し低い音の弦二本にスピロコア、高い二本にヤーガーが張ってあった。しかし、肝心の切れてしまった糸を家に忘れて、どちらだったか、時間も忘れて僕と同じようにやっていたのである。
 加えて弦を守るフェルトの装飾の色は、スピロコアが赤でヤーガーが青。
 ほんとうはその場で背負っている楽器をケースから出してみれば、どの弦が切れているのか判るはずだったが、先生である彼も一瞬そのことを忘れるほど鬼気迫るものがあったらしい。おばあちゃん生徒の方が僕よりもウワテだったのである。

 先生の機転のおかげで悲惨な事態は避けられたが(それらの弦は一本でも、あの日LEDライトを両方買うよりも遥かに値段が高い)、他にも、ヤフーオークションで一万円のチェロを落札したら組み立てキッドのような物が届いて、プラモデルの要領でとりあえずチェロの形を成したそれでレッスンに通ってしまっている、芸術家気質の生徒さんもおられるそうだ。
 こじつけの人生を生き続けている僕は、これだけ運命めいた共通項を見出せたのだから、これでもう、電球と弦を一か八かで買うことはようやくなくなるだろう、と言い切ることができる。ありがとう、おばあちゃん生徒。

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