懇望

 僕はものすごく利口に思われたい。
 頭の回転が早く、広い分野に対応できる深い見識を持ち、さまざまな文化や芸術への造詣も深い。そんな風に思われたい。
 髪を金色に脱色し結べるほど伸ばして、オーバーサイズの服にナイキのハイカットスニーカーを履いて、J.S.バッハを毎日さらっていた。その頃に比べれば、今はほとんどそういう虚栄や理想のために、自分の美徳や道を曲げるようなことはしなくなったと思う。しかし常に喉元に潜んでいて、いつでも顔を出す。ヒョコヒョコ出す。
 言ったそばから我に返って取り返しのつかないような気になって、"軽口"ということにして先に進んでしまうので、根本的な解決へは一向に転じない。
 父から教わった一つに、人のお家で出されたお茶は残さず飲みなさい、という、元々は祖母からの言いつけがあった。
 祖母は山梨の出で、当時お家柄がいいわけでもなかったので、僕まで回ってきたその言いつけが世の中で正当な意味をなすのか眉唾であるが、苦労した祖母が何かで導き出し、長男である僕の父にわざわざ渡したのであれば、きっと重宝がっておけば間違いないであろう。それが合理的かどうかは、関係ないと思う。

 周りのお母さんたちに、お母さん論を聞かせてもらうのが、僕の唯一の趣味である。
 子どもに対してどんな母親であろうとするか、また、何を施すか。時には突き放すこともあるだろうし、つい感情的になってしまうことも、どんなお母さんにだってあるはずだと思う。
 子どものために完璧な母親であろうとする女性は、岩より重くなる。僕の母も僕にとって完璧な母親である。僕の母はかなりおふざけがすぎる方だが、人前ではそれは上手に巧みに隠してしまう。そして、母の生き写しのように粗相を重ねる僕を、横から嗜める。同じようにおふざけの父の、調子乗りなところがそのまんま遺伝してしまったため、僕はほとんどサラブレッドと言って差し支えない。
 僕の母もそうだが、母の母である亡くなった祖母も、父方の祖母も完璧であったから、亡くなった時の猛烈な喪失感が、身体に感覚として遺っている。母方の祖母の時は僕も小学校二年生で、家の中がどの部屋も暗く感じられ、手足が冷たくなって、布団の中に潜り込んでもしばらく寒いままだった。
 そういう時に思い浮かべるのは、案外素直に母のことが多かった。安心感がある。
 仕方がないが、政治家は今躍起になってお金の話で人の気を釣り、自らの特殊性を宣伝していて、投票には行くが、僕自身への見返りはどの候補者にも期待できない。
 税金はしっかりとられているし、世界から取り残されているわけではないが、今僕を案じてくれているのは、まず間違いなく母である。

 さまざまなお母さんと子どもたちの話を聞いていると、それぞれに〈理不尽/親の理想〉と〈合理性/子どもの実利〉との絶妙なバランスがあるのだと感じる。言葉を正しく選べているか定かではないが、急所の近くをかすめているような気はする。
 そう、僕はものすごく利口に思われたいのである。忘れず、そのつもりで読んでほしい。歌で言ったら、この辺がサビである。
 表現に関する技術や精神についても、もしかすると目指している矛先の傾向は〈プロ/次代〉と〈アマ/当代〉にざっくりとだが分けられる。
 界隈でほんとうに離れ離れに分かれてしまうと、話が真っ直ぐに通じなかったり、何か言われた方は「事情があって…」と口を濁すような姿勢になってしまう。事情は師弟にも、母子にも、アーティストとファンの関係の中にもあるだろう。
 師匠の出してくださったお茶がまずかったことは未だかつてあろうはずもないが、罰ゲーム並みに渋いものもたくさんあった。まだ身体のどこかに滞留して、消化しきれていないお茶もあるが、それも最近は血中に染み出し始めているようなのだ。気持ちの悪い例えだ。

 僕は利口に思われたいと思っているくらいだから、街ですれ違うどの人とも、生き物として勝っているものがおそらく身長の他にないのだろう。そういう自負があるのだろう。毎日の暮らしの中でそれをひしひしと感じている。一番恐ろしいのは、一歩一歩街を闊歩する肝心の僕の方は、やはり"幾らかは利口に見えているつもり"なのである。

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