物故

 音楽を仕事にしていると、さまざまな出逢いがある。その巡り合わせの妙は時として感動的ですらあるが、強い結びつきを感じてしまうと、ゆく末はいつか死に別れることになるのであろう。そこに行き着く手前には、悪いことに、関係が疎遠になる機会がいくらでも予見できてしまう。特段悪いことが起こらなくても、お互いネガティブな感情を抱いていなくても、その関係を大切に維持しようとするあまり、カビが生えてくるまで仕舞い込んでしまうことがある。思い出した頃には、第一声にまず何と言って呼びかけていたのか、すっかり忘れてしまっている。意を決して仕事を頼んだ久しぶりの相手に、肩をすかされるような返信をもらうこともある。そういう時には殊更、人はみんな独りなんだな、と、昭和歌謡の御伽噺のような世界に思いきって浸ってしまう。

 父の言った言葉を反芻しているうちに、自分が生き写しのようにそっくりだと思っていた(嫌だった)父の面影は、ほんとうは随分と違うものだったように思えてくる。
 そのどれもが、父が自らが負ってきたよく知る苦労を僕や妹にもたらさんと、決意のダムを維持し続けてくれていたおかげである。短いようで長かった三十四年の父との付き合いのうち、そのダムに幾度かは深刻なお漏らしがあったことも、今では懐かしい。
 人が死ぬということを傷みと共に教えてくれた、と言うと、あまりにきざであるが。
 誰も語ったことのない、死。先を行く人らが、文字で、絵で、音で表現した死は、大抵下地にあるのは誰かが言い始めた御伽の世界である。恐竜の形がトカゲになったり鳥になったりするのと同じで、また、イエローモンキー同士で「これはバッハだ」「これはブラームスになってない」といくら答え合わせをしても、客席との間隔がそこにあると、それはたちまちステージ上との隔たりとなってしまい、全て関係ないのである。
 死について正面から生真面目に考えるのは、元気なうちは退屈である。
 僕たちの生きている時間は死に近づいていってはいるが、死に向かっているわけではない。死ぬために生きているわけではない。
 多様性、差別、思想…その他あらゆる道すじで、人は誰しも漏れなくその時自らの都合のいい理屈を常に携帯して生きていくものであるが、そのどこに属していても、死については、おそらく同じ描写でそのまま多くの共感を生むことができる。多くの国境に触れている大国が、その摩擦で燻っている火種に燃料を注ぎ再びテロルの応酬に突入すれば、国民を抱える〈政府/政治〉が凄惨な犠牲を高らかに謳い、背景にあるストーリーが後押しをするようになる。
 それはそのまま"敵国テロリスト"の決起の発端においてもいくらでも見られる悲しみであり、一応戦争反対である僕たちの日本では、右か左か、国内か国外か、話に耳を傾けても、なんでそんなことでここまでの犠牲を払うことになるのか、と感じる人がほとんどではないか。

 かつての"熱かった日本"、例えば安保闘争の頃について読書を進めていっても、やはり、今と大差はないと思われる。
 主義や思想を持つことは悪いことではないし、社会生活を営む上で当然芽生えてくるものである。しかし当初は身近なところで感じていた憤りや不満を、観念に落とし込んで考えるようになってしまうと、自らみすみす色眼鏡をかけるような、石のように頭をかたくしてしまうような。そこにあるのは石なので、僕たちが主義や思想に求める、実生活と結実した"意思"ではない。
 当時火炎瓶を投げていた人が、そのまま"炎上"の旗を振っていることも多いらしい。最近は親指だけで全共闘できるから、今日では特にFacebook辺りに学生運動の背中を見ていた世代のナンチャッテ闘争の模様を垣間見ることができる。そういう人たちにとっては常に「最近は軟弱」なのだろうが、当時の人々はすぐ傍にあった凄惨な戦争の影に常に覆われていて、"時代"について直接的に関わるような、時代の激流に身を投じる若者が多かったのは、昨今で言う「政治に関心があった」というひと言に尽きるもので、Facebookで見かけるほどその主張が立派に成立していたようには思えない。当時にあっても、とどのつまり自分の思う一つ一つの価値観や倫理観を支持政党の主張に照らし合わせ、そこまでは普通なのだが、一番"楽に"答え合わせに至るイデオロギーに、なぜか全身で溺れていく人が多くいたようだ。そしてその全てを一緒くたに「闘い」と称していたらしい。露悪趣味に傾倒していった当時の大衆の興味に合わせて、今日にまでより強い印象で伝わってきているだけかもしれないが。
 結局"思想に染まってしまうような人たち"という安直さに、現代においても身を投じる者がまだ僅かばかりいて、大半の"物言わぬ人々"は逃避主義であると非難し続けている。

 人の根本を否定するような者に、人の、国の、その他大勢の人が関わる将来について語ってほしくない。
 自らの身勝手な尺度で他方を打ち鳴らした時の反応を見ているのだ。そういう仕組みが昨今の「表現」の中にも堂々居を構えるようになって久しい。それも自由だが、僕は心底下劣だと思う。
 無理をして軍国主義に走る日本男児より、物言わぬ日本人の美徳があるからこそ、それ自体の是非は置いておいても、現代の社会になくてはならない役割をギリギリのところで担っているように僕には見えるのだが。暴力に暴力で抗うことは、そもそもの前提が崩れてしまっているように思う。本物の、現代日本において文字通り取り締まられてしまう"剣"そのものを手に取り他者に向ける時は、全てに絶望した時ではないのか。
 この世界は、特に死を迎えるその瞬間、正に自分とそれ以外に分別されてしまうような創作物・表現が多いのだが、大切な人の死や歴史上引け合いに出される生涯の受難など、歴史の試験の範囲から漏れるほどさまざまな困難を乗り越えてきた先人たちの作品群に見る「死の希望」は、あまりにも鮮烈である。
 人は、感じるために生まれてきたはずである。喜び、怒り、哀しみ、楽しむために生きているはずである。
 時としてその本懐を見失ってしまうこともあろうが、毎朝気持ちを新たに家を出ても、それで毎晩決まって近所のアンちゃんによって吐き捨てられているガムを出掛けに早速踏んでしまっても、人は、生きるために生きているのである。
 判らないことを考えても仕方がない。死について四六時中思想したいのであれば、音楽家になれば容易なことである。楽器を弾いているか、モーツァルトについて妄想しているか、それもそろそろ飽きてくると、三言目には死について考えるような毎日である。絵描きや物書きでもいいはずだ。
 そういう根本的なことを考え、社会的に見れば無駄な時間をたらふく費やし、ステージに上がる。
 「生きよう」「やろう」と思える表現がしたい。そのために、まずは僕自身が健康にならなくちゃ。
 次に会う時、突然健康生活に覚醒した僕は筋肉ムキムキのマッチョマンになっているかもしれない。或いは、本を読みながら腕立て伏せができれば、ね…。


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