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入社1年目のミラノサローネ出展

大学を機にデザイン、という領域に身を投じてから、何色でも無かった人生が急に色鮮やかになった気がする。


大学2年次に、一番感性を信頼している友人から、とある企業がミラノサローネに出した作品を見せてもらった。音楽を、旅や団欒、その他いろんな文脈から再解釈した、なんとも人間味に溢れた楽器たち。当時は「バイエルを弾く、真面目なピアノを作る会社」という印象でしかなかったが、詩的で、ビジネスの匂いのしない作品群に、鮮烈な憧れを抱いた。

4年後。無理だと思って応募すらしていなかったその企業に、細い糸に手繰り寄せられるように、就職が決まった。しかも、入社したその年に、11年ぶりにミラノサローネに出展するという。行きたい行きたい、と繰り返し言っていたら、社内コンペに混ぜてもらえて、周りの人のアイデアや助言のおかげもあり、気付けば出展作品4つのうち1つの担当になっていた。アイデアが選ばれたデザイナー1人が、最後まで仕上げる仕組みだ。
ミラノサローネ。訪れることすら夢だったその場所に、出展者として、しかも憧れの会社の一員として参加するなんて。

嬉しさややりがいにふわりと体が浮くような高揚感を味わったのは、実は最初のたった1週間ほど。次から次へと、自分には大きすぎる壁がやってきた。そもそも学生の時から、パソコンの外でリアルな物を作った経験があまりなく、アイデアをどう形にするのかわからない。自分で作るの?誰かが作るの?といった状態。しかも作品を決定するまでの話し合いが長引き、スケジュールは既に傾いていた。たった1ヶ月で、コンセプトから作品の形状、素材、業者全て決めなければいけない中、会社としてこの作品を出して良いのか?と言う根本的な問いを突きつけられた。ギリギリのタイミングでコンセプトを一から練り直さなきゃいけない。まだ会社員として働くことにすら慣れていない私は、たちまちタスクの渦に飲み込まれ、しんどくなっていた。その日をどう乗り切るか考えるので毎日頭がいっぱいになり、今となっては信じられないが、最初の情熱は消えてしまっていた。

作品って難しい。会社を背負ったブランディング活動だから、完全に自由な表現が許される訳ではない。が、プロダクトデザインや広告のように、明確な相手や伝えるべき商品価値があるわけではない。限られた範囲ではあるものの、全てが自分の一存で決まる。己の感性を信じてしっかりディレクションすべきところを、時間がないことを言い訳に、周りの人に流されるままになることもよくあった。

拠り所はすべて、自分の感覚。とはいえ、好き嫌いとは全く異なるんだ、というのが大きな発見だった。作者だからと好きとか嫌いで判断した結果、周囲の経験豊富な人たちから何個も建設的な意見が挙がって、根っこの取れたわかめみたいに思考が停止しちゃう事案が何回か発生した。デザイナーの感性は、決して独りよがりなものではない。世に溢れる美に人より敏感であり、それを自分の美学概念の元に収斂させる。デザイナーはキュレーターだ。

このように作業にまみれるうちに情熱が失われてた状態ではあったが、なんとか制作を終わらせて4月6日、現地へ。最初の3日間は展示ディレクション。必要な意思決定に翻弄され、夢の地にきた感じが1ミリもなかったが、4日目以降自由時間をもらえてからは、世界最高レベルのデザインやアートが次々目に入ってくる美意識のお祭りに、頭がハイになった。

サローネはみんなの夢の場所だった。企業で出してる人がほとんどだと思ってたら、例えばYOYの人は今でも本業は広告代理店の仕事で、YOYは休日活動の一環らしい。自力で資金調達して制作し、継続的にサローネに出展している。バイタリティが半端ない。一緒に行った先輩デザイナーからも、職人的なデザインへの情熱を感じたし、彼らや彼らの作品に触れてるだけでもプロ意識が育っていきそう。大学の同期とも、正直こんな精神状態では会いたくなかったが、刺激をもらえた。留学にデザインコンペにと、人一倍積極的だった人たちだけあって、学生の頃のまま努力を続けていた。私一人、地方へ移住し学生時代の縁が途切れかけて、周囲と同じ社会人という変な枠におさまろうとしていた。けど、好きなことにとにかく集中する、それで人生は事足りるんだな、と。学生と変わらずコンペに応募したり、想像を超えた仕事量を成長のため、と割り切って休日を捧げちゃったり。それが良いとは限らないけど、自分の目指す方向に進むときは言い訳なしの努力をしなければ、職場への不満とかもいう立場にないな、と改めて感じた。

理由を付けてプロジェクトを抜け出そうか、と思う瞬間も訪れた。けど結果的にはこの超未熟な状態で世界の一流の場に身を置いたことで、何年分もの仕事に相当する刺激を受けた。要はプライドがへし折れただけ。一応選ばれた人なのに、作品をどう進めて良いかわからないし、人の意見を取り入れすぎちゃったり、逆にくだらない思い込みに囚われてしまったり。右も左もわからなくてトンチンカンな発言をしちゃったり、気持ち的にも自分の作品に責任を感じられていない状態だったり。情けない姿を嫌と言うほど自覚させられ、やっぱり自分の作品を出展したと言えるには程遠いな、と思ってしまう。しかし少なくとも作品を作るプロセスは頭に入った上、会場で人に届けるシチュエーションまでを自分の目で確かめたことで、お客さんの体験する姿を前より予想できるようになったと思う。今回なんか、暗い海を必死に泳いでる感じで、どんな作品ができるか正直自分でもわからなかった。チェロの音が鳴り出すまで、こんな作品誰かの関心を惹けるのかな、くらいにも思っていた。想像以上の反響を肌で感じてから、この作品が人を惹きつける大きなパワーにただただ驚いて、感激した。今では、作品は私自身が教えを乞う中で自然に湧き出てきたものであり、生まれてきてくれてありがとう、という愛情を抱いている。

最後に、私は普段、デザイナー1人でマーケティングの部署に所属している 。マーケティングの仕事では、色々な思考フレームワークで戦略を議論していくのだけど、展開が早く希薄な議論に違和感を感じることも多かった。意思決定の度にリサーチを出来るはずもないし、そんなときこそ頼れるのは、一人一人の深い内省から生まれる個人的な発見だと感じる。今回の出展では、元々限られていた制作時間を削ってでも、みんなが納得いくまで個々の主観で議論を重ねた。個人の深いところに眠る感性の素晴らしさを、客観的な言葉で説明できるようになりたい。今の仕事に思うことはたくさんあるが、それを変えることこそ今ここにいる理由なのかもしれない。

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