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『金閣寺』三島由紀夫

 ちゃんと自分の思っていることを文章にできるか甚だ不安だが、とりあえず書いてみることとする。
『金閣寺』は実際の事件をもとに製作されたニュース・ストーリーであり、三島の作品では『親切な機械』、『青の時代』、『宴のあと』などがそれにあたる。実際に金閣寺を放火した青年(人間)が存在したということだ。常識的にとも、普通に考えて、という言い方はあまり使いたくないが、あえて使うなら、異常だ。ただ、彼をそうさせるだけの背景があったと考えられる。それをフィクションとして抒情的に描いたのが、『金閣寺』だ。
 私は戦争を体験したことがない。だから、敗戦の日本の背景をこういったことをきっかけに勉強したりなどして、想像することしかできない。そこは非常に難しいところで、なんとなく理解して、なるほど、火を付けたくなるよね、とはならない。
 本書を読み進めるうえで、ひとつの大切なポイントととして「美」があげられる。主人公の溝口は自身の美に対してかなりの劣等感を感じており、美というものに固執してる印象がある。それは私でも想像できることで、自身の容姿にはかなりのコンプレックスがあり、整形したいくらいである。コンプレックスがあることは、それをもっている人やものに対して憧れを抱く半面、嫉妬や憎悪を抱くこともある。実際に金閣寺にもそれと同じものを抱きながら、自分のなかにも「心象の金閣寺」を育てていく。実際に存在する金閣寺は自身でコントロールできない反面、「心象の金閣寺」は思った通りになると思いきや、金閣寺はその想像をはるかに凌駕し、自己をも飛び越え、絶対的なものとして君臨する。

 そろそろ、自分がなにが言いたいかわからなくなってきた……。
がんばる。

 もうひとつの大切なポイントは、世界を変えるのは行為か?認識か?ということである。『南泉斬猫(なんせんざんみょう)』のくだりを読んで理解するまでに時間はかかったが、理想は行為も、認識もすることなのだが、自分の人生を振り返ると、比率的には「行為」が多めで、結果後悔しているなと。柏木のいうように物事をとらえるうえで「認識」ももちろん大事なのだが、それだけでこんな厳しい世の中生きていけるかなと。(私の場合はたんに我慢ができないだけのような……汗)平和な時代に生きている私が、理不尽なことに憤りを感じ、我慢ができないなら、敗戦後ならもっと我慢できなかっただろうなと。そりゃ、絶望して、金閣寺を、絶対的なものを自分のこの手で壊したくもなるよね。と勝手に共感しております。(危険な思想です)

 また、最後、ラストについて。(ネタバレが入りますので注意してください)金閣寺と一緒に自身も焼け死んだ方が、物語としては綺麗でより美しさが増し、絶対的なものとの共滅という意味ではスッキリとしたのでは?と個人的には思いますが、一番最後の「生きようと私は思った」と一文を読むと、三島自身の本音がそこに反映されて、どうしても主人公を死なせたくなかったのかな?とも思いました。(どっちにしろ、大作であることに変わりはない)

 一度読んだだけでは、まだまだ未熟な私(読書歴約5年)にはよくわからない作品でした。また、人間として大きく成長した時などに、改めてトライできたらと思います。(難解すぎる作品)
※なおこの考察にはNHKの100分de名著の意見も含まれます。

『金閣寺』三島由紀夫


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