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お化粧で遊ぶ女の子のブローチ

先日、母の日の数日前に、母と食事をしたとき、私たち兄妹が産まれたときの話をしてくれました。
自分は子供を産みたい欲がとても強く、お産をするために生まれてきたような人間だと、本人は自負しているようなのですが、出産をそれほど苦とは思わなかったそうでございます。

3人の子供を産み、当時は3人も産んだのだから十分だと思っていて、子育てに忙しく明け暮れていたそうなのですが、思ったよりも子供に手がかかる時間は少なく、だんだん時間が経つにつれ、もっと産んでおけばよかったと、年老いた今になって思っていると、言っていました。

よほど子供と子育てが好きで、お産すらも好きと思える母なのですが、実際に安産な方だったらしいのです。

特に真ん中の子の私は、力んだらすぐにポンッと産まれたのよと、軽く言っておりました。
陣痛がきている最中、隣のベッドで同じく産気づいている方がいらっしゃったそうで、あまりの痛さと恐怖で泣き叫んでいたそうなのですが、そんな方もいる一方で、母は2回目ということもあり、ほとんど不安はなかったそうでございます。

未だ独身の私からすると、出産などとても考えられないですが、私もきっとその時になれば、泣き叫ぶ側の人間だろうと思っております。

私の兄と妹は、なかなかお腹から出てこず、産むのも少し時間がかかったらしいのですが、母曰く、赤ちゃんとお母さんがちゃんと協力できれば、スムーズに産まれるのだそうです。
お母さんの体力も必要ですが、赤ちゃんに生命力が足りないと、お母さんばかりが力んでもなかなか出てこれないという感じらしいのです。

兄や妹は、産まれてからも、なかなかご飯を食べれなかったり、ママから離れようとしなかったり、生きる力が弱弱しいと感じる時期もあったそうで、そんな姿を見ていると母は、出産のせいかもとか、自分のせいかもとか、そう思い込んだりしていたけど、今思えば、二人とももういい年になり、何食わぬ顔で普通のおじさんおばさんになっているので、どんな赤ちゃんでも年を取っていくのが、不思議だと思ってしまうようでございます。

自分も高齢になってきていて、もし若返れたら、もう一度子供産んでみたいと言っておりました。

兄や妹とは裏腹に、私はお腹の中にいるときから元気で、「早く外に出してくれ!」って言っているようだったらしいのです。

お産のときも、外に出る力がとても強く、ツルンと産まれまして、食欲がすごく離乳食をいつもたらふく食べていたそうでございます。
赤ちゃんの頃に、食べ過ぎでブクブク太って、女の子なのに別の意味で将来が心配だったと、母はよく言っておりました。

まだ幼稚園くらいのときの暴れん坊であった私が、母のお化粧ポーチから口紅を取り出して、床にお絵描きをしてひどく怒られてしまったことはあったのですが、お化粧をするというのは、実はなかったことでございます。
お化粧道具だと分かっていれば、小さい頃にお化粧してみるのも楽しかったかもしれないという遊び心から絵を描いたのですが、考えてみればそれほど女の子らしい子供ではなかったとも思っております。

お化粧道具にはすぐに飽きてしまった私でしたが、私が目を輝かせたのはそんなことより、母がタンスの奥にしまっていた裁縫道具箱でした。
可愛いマチ針がたくさん刺さってる針山がお気に入りでしたが、初めは危ないからと、触らせてもらえず、タンスの奥にしまわれてしまうたびに、また取り出して、絶対針で遊ばないという約束で、自分の部屋に裁縫道具箱を置くようになりました。

もともと針仕事が苦手な母の裁縫箱は、ほとんど使われた形跡がなく、綺麗に整っていて、それがお気に入りでもあったのですが、実際に裁縫をやってみると、ついずっとやり続けてしまう中毒性が、私にはありました。
母の裁縫箱がきっかけで裁縫を始めましたが、もしかしたら、このまま一生やり続けるのではと、思ったりもいたします。
一生やり続けるかもしれない特別なものが、小さい頃の日常にひっそり落ちていたりすると考えると、見つけたもの勝ちなのかもしれません。

今日もまた楽しく刺繍ができました。
次も見て頂けましたら、幸いでございます。

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