「食×ウェルビーイング」を考える
渋谷神山町にある書店「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)」が主催するラボ「『WIRED』編集長・松島倫明さんと考える、新しい“幸福”論『これからのウェルビーイング』」全3回のうちの「食」をテーマとする回に参加してきた。
私は普段、食のフィールドで仕事をしているが、食は一つの手段であって、究極的には人類のウェルビーイングを志す活動だと自分では思っている。なので「食×ウェルビーイング」は自分にとってもドンピシャのテーマであり、ぜひ思考を深めたいという気持ちで参加をした。
モデレーターはWIRED日本版編集長の松島倫明さんで、ゲストは昆虫食を研究するデザイナーの高橋祐亮さん。関連図書『雑食動物のジレンマ』(マイケル・ポーラン著)から議題のヒントを得ながら、話は展開していった。
人口110億人時代の食糧システム
まずこれからの食を考える必須のテーマとして、人口が110億人になる時代が到来するときに、全人類が食べられる食糧のシステムとは?というものがある。
食糧難に備える一つの方向は、食糧生産の生産性をさらに高めるということである。例えば、植物工場しかり、収穫ロボットしかり。また遺伝子操作によって、外部環境に左右されにくい作物自体を作るという方向がある。
それからフェイクミート。動物の細胞から肉を培養し、添加物などを加えてより本物の肉に近い形や食感に成形する培養肉は今多くの注目を集めているようだ。
さらにもう一つの選択肢として現実味を持ちつつある(?)のが、昆虫食である。
昆虫食が文化になるためには?
全人類を賄うだけの、タンパク質源が圧倒的に不足する未来が目に見えている中で、タンパク質が豊富な昆虫を食べるという選択肢が真面目に議論されている。
高橋祐亮さんは虫が苦手な立場から、どうすれば昆虫食が文化になりうるのか、問いを立て、実験し、答えを導き出すという活動を繰り返す。
例えば、「虫は気持ち悪くて食べたくない」というのがあるが、どの部分が具体的に嫌なのかを、虫を解体していくことで明らかにする。美味しくないのはどの部分が美味しくないのか。どうやっても美味しくないのか。どの部分なら大丈夫なのか。
そうして途方もない時間をかけてコオロギの足だけを使ったハンバーガーのパテを作ったり。
虫の素材を活かした美味しさを追求するとともにゲテモノ感を取り除いていくことでニューフードとしての可能性をとことん考えていく。
”理想的”な食と、現実との乖離
松島さんからも多くの本質を突いた問いが発せられた。
例えば、健康的な食事であるとか、環境に配慮した食べ物を選ぶことであるとか、を支持していたとしても、スーパーに行けば現実に選択肢が限られるわけで、「スーパーに行ったけれど買えるものがなかった」と言って帰ってくるというのも辛い。
「今食べているものが美味しければそれでいい」、という考えもあるわけで、”知れば知るほど不幸になる”、”知らない方が幸せ”なのかもしれない。
そもそも環境に適応することが生命のあり方であるとするならば、コンビニ飯を食べることに適応する方が、生命としての「正しさ」かもしれない。
また、上記のような理想的な食事を唱えたところで、じゃあ70億人をそれで賄えますか、といえばNOとなってしまうわけで、賄えないことを「いいよ、いいよ」って言うことは果たして倫理的によいことなのか。
確かにそうだなあとハッとさせられることばかりだ。
個としてのウェルビーイング、集団のウェルビーイング
上の”知れば知るほど不幸になる”は、ウェルビーイングを考える上で重要な問題である。つまり、地球のことや健康のことを気遣うことは明らかに「よいこと」であるように見えるのに、本人は巷での選択肢のなさや時間とのトレードオフなどに悩まなければならないというパラドックスがある。
「地球のサステナビリティを考えれば究極、人類は退場しなければならない」という話も出た。
極端にいえばそうなのだけど、現実にはそうならないし、人類とて過剰に地球を傷つけたいと思っているわけでもない。
人間は取りうる選択肢の中で、地球に対して譲歩し共存できる道を探っていく必要がある。
人間はただ利己的な存在ではなく、利他によって感じる幸福もある。
つまり、個としてのウェルビーイングだけでなく、集団として、地球ひっくるめてのウェルビーイングというものを考えていくべきかもしれないね、という話で締めくくられた。
イベントを終えて
食とウェルビーイングということを考えるときに、美味しいこと、健康によいこと、十分に食べられること、食べ物自体が作られるプロセス、明日も美味しいものが食べられるという安心感、食べ物を選んで買うというプロセス、料理、食べる時間...と因数分解ができる。
自分のことだけを考えたら、今お腹が満たされて美味しいこと、で十分かもしれない。けどそれで何の疑問も持たずにいたら、いつの間にか健康を損なったり、突然食べるものがなくなったり、住みづらい地球になってしまったりするかもしれない。
全体としての幸福に目を向けることで、ブーメラン式に自分にも返ってくるものがきっとある。
昆虫食については自分はできることなら食べたくない。実際、自分が死ぬまでの間に食糧難がどれほどまずい状態になるのか、わかっていないし、自分が生きている間はもしかしたら多少の問題しか顕在化してこないかもしれない。
それでも自分の子供や孫の世代には問題のフェーズが間違いなく変わってくる中で、持続可能な食のあり方についての考えを放棄することはできない。将来世代のことを考えなくても、現代社会において人々が抱える食に対するジレンマを乗り越えていくための議論はし続けなければならない。
その先にウェルビーイングはある。
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近々、フードセキュリティについてのnoteも公開したいと思う。そもそも食糧って本当に足りなくなるの?本質的に何が問題なの?現代の食を取り巻く問題を、(自分も勉強中の身なので)一緒に学んでいけたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。
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