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保健室に流れる時間は

エル・グレコの聖母子像をご存知だろうか。濃い色でざっくりと彩られた女性と子どもを描いた絵だ。私が見たのは、女性だけの立像で、空を見上げるポーズだったように思う。画集で見たことがあるタッチだったので、「あ、エル・グレコだ」と保健室の二段ベッドの上段に横になりながら、斜めに顔を傾けて見た。「なんでここにあるの」と。

保健室は校舎の二階にあって、窓からは校庭で走る生徒が見渡せた。静かな保健室の外では、学校の日常がたんたんと進んでいた。私はそのころよく鼻から出血することがたびたびあって、教科書や制服を血しぶきで染めたり、貧血になったりした。時折授業中に止まらなくなると、席を立って保健室に行くのが日課のようになった。

保健室の先生は、話好きな人ではなかったので、あまりよく知らなかったが、卒業間近のストーブのまわりに、3年生の男子が何人もなんとなくいたりするので、きっとそこは居心地が良かったのだろう。ある時は隣の二段ベッドの下段に、二日酔いの先生の足だけ見える時もあった。

そんなに頻繁にお世話になったのに、保健室の先生がどんな人だったかを、思い出せないし、名前も覚えていないのは、そのころの私がいかに自分の体内のことだけで、いっぱいいっぱいだったかを、つい考えてしまう。

先生は私が保健室に行っても、様子を見て最低限の処置をするだけで、(まあ、綿を詰めるだけなので)あとは放置してくれた。私は自分がいたいだけそこにいることができたし、帰ることもできた。

ある時、国語の独身の若い教師が教室の生徒に自習を言い渡し、プリントか何かを配った。そして教室を出ていくときに、私に「ちょっと」と言い、保健室に向かった。保健室には保健の先生もいたような気がするが、そこの机で、前に提出した何かの「読書感想文」の書き直しをするよう言われた。それを学外のコンクールのようなものに出したいようだった。

私がようやく書き直した原稿用紙を、先生がチェックしている間に、小窓越しに見える隣の教室の中を覗くと、みんな静かにプリントに取り組んでいるようだった。なんだか変な気分だった。「いいのか。わたし」みたいな。どうやら国語の教師も二日酔いだったようで、保健の先生と私が書いている間に、そんな会話をしていたようにおぼろに思う。

保健室のベッドはそんなになかったけれど、私はよくエル・グレコの絵の下で休んだ。その中学校は公立だったので、マリア像を掲げるような学校ではなかったから、保健の先生が掛けたのか、前から掛かっていたのか、いつもフシギだなあと思った。

その頃の私は、ラファエロとかアングルのような、筆跡のない本物のような絵を描く画家に興味があったので、バサバサと服のシワを描いているような、エル・グレコは好みではなかった。

だがなぜか、中学校の情景で思い出すのは、あの、のんびりした避暑地のような保健室の、二段ベッドに登らなければ見えない天井近くの、聖マリアの祈りの絵の赤いスカートと、授業の途中で横たわる私の不安定な心なのだ。






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