久しぶりにnoteを開いてみる。 思うところがあって、ツイッター、今のXにトライしていて、ついこちらがおろそかになってしまった。 これまでのつたない記事や写真を見てくださった方がおられたら、感謝を申し上げたい。 「ストレージがいっぱいです」とお知らせがくるたびに、無駄に増えていった、二度と見ないような写真や、ダウンロードしていた余計な書類を削除した。 ずっと気になっていたところを整理する時期になった。 実家の本の片付けや、施設にいる母の衣類の整理をした。 その時、思い
本が好きで、本屋に入ると手ぶらで出ることが難しいくらい活字中毒だったのですが、家に帰って、棚の上にチョイ置きを繰り返していたら、ずり落ちそうになってて、さすがにどうしようと思うようになった。 見るとその下の、前に買った本もまだ読了していないのに、図書館からも借りてきていて、おい、どうするんだい、と自分内会議してしまう。 いかんいかん、と「本の処分」をネットで検索して、ずっと考える。 嫁に出す娘のようなというと大げさだけれど、 仕方なく資源ごみの日に出した時、大事に読んだ本
昨日、「荒野に希望の灯をともす」をシネマ・クレールで見た。早めに行ったつもりだったが、小さな映画館の入り口で行列ができていた。 映画は「日本電波ニュース社」が作っていた。これまでの記録映像から選抜して、さらに最近のも加えて編集してあるようだった。 私が最初に中村さんのことを知ったのは、いつだったか覚えていないが、ある時、講演会に行ったことがあった。 招聘したのは九州の医師で、その後原発反対署名運動を展開して、私も少し参加した。 中村哲さんは、静かな人だった。映画のパンフ
p162 解説:インドの「消えた女性たち」 1990年にノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、世界で1億人以上の女性たちが消えていると発表した。2020年には、インドで4.580万人が、中国では7.230万人が消えている、という。 具体的には、胎児の性別判断で女児と分かった段階で堕胎され、誕生しても、たとえば母乳を与える期間が男児より短く、食事も少なく与えられ、無視され、雑に扱われるため、死にやすいのだという。 数十年前の日本と同じように、男児は財産を継承し、
朝、目覚めてみると、何かしらの不安が、自分のどこかを覆っているように感じた。 最近の、普通の人が看取られもしないで、あちこちで行き倒れのように事切れる事件を見聞きするにつれ、いや、私自身は経験してもいないのだが、あまりの事態に怒りや絶望を横に置いても、哀悼の意を表したいと思うようになった。 神道でいえば、お祓いしたい、という気持ちに近いかもしれない。そう言えば、この喪失感はただならないものがある。お盆もお正月も、年末年始も、みんな消滅し、親戚との会食も、友人とのランチも、