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自分を眠りから覚ますとき

朝、起きてオムロンで血圧を測る。左腕に灰色の帯を巻いて、スイッチを入れると、グイーンと音がして、腕を空気が締めてくる。大して圧を感じない日もあるが、とても強くてやめてくれ、と思う日もある。小さな手帳に数字を記入して一日は始まる。

日頃自分は「普通」だと思って生活しているから、ある時自分が不調に陥ってしまっても、なかなか自分では気づかない。ただ、なんとなくイライラしたり、他人の言葉が気になってそればかりが心を占拠していたりする。どうでもいいことと、大切なことの優先順位がわからなくなっていたりする。

私は長い間そんなトンネルの中で、もがいていたことに最近気づいた。私は私という体を中から操縦しているので、一ミリたりとも外から眺めたことはない。他の人のことはもっとわからないけど、まずもって自分のことがよくわからないのだ。

小学校のとき、私には親しい友達がいなかった。他の女子はいつもくっついて、トイレも一緒に行くようだった。休み時間もなにやら楽しそうに話がはずんで、どこでもいつでも一緒にいた。私はそれを見て、どうしたらあんなふうに、「普通」にできるのだろう?と不思議に思っていた。

中学校も高校もそうだった。私はいつも鼻から出血しては保健室で寝ていたり、貧血を起こして学校を一週間休んだりした。久しぶりに高校に行くと、欠講した授業の先生に、はんこをもらって提出することになっていた。職員室に行ったり、廊下でよその教室の授業が終わるのを待って、はんこをもらった。数学など進みが早い科目は、丸ごと終わっている章もあり、もともと苦手な科目なので、もはややる気も起きなくなった。

中学校の担任は心がタフだったのか、登山付きの修学旅行に参加させてくれた。高校の担任の数学教師は、私を呼んで「足手まといになるから、連れていけない」と言った。正直な人だ。その年の修学旅行は大阪万博だった。私は大して怒りも現さず、修学旅行のない男子と一緒に別メニューに参加した。

私はいつも諦めるのに慣れていた。「いいことは起きない」「うまくいきそうだと思っても、期待は外れる」、私が長い間に学んだことは、残念ながらそういったものだった。

だから何かを誘われて、「いいなあ、やりたいなあ」と一瞬思っても、「いや、無理だろ」という言葉が、飛び跳ねようとする心に覆いかぶさってくる。そうやって幾度あきらめたのだろう。ただ、その時やってみたかったけれど、やろうともしなかったことは、今もくっきりと覚えている。

そんな消極的な自分の心の窓を、はじめに外から叩いたのは、「七宝焼」の化学変化する面白さだった。それから手芸、洋裁、和裁、染色、木工、陶芸などの技術の「基礎の基礎」を短大で学んだことが、自分を表現することへと導いてくれた。そしてものを作る時に求められる「オリジナル」という考えを知り、他のだれでもない「自分らしさ」というものを、自分で意識して育てることになっていった。

朝、散歩する時に小さなカメラバッグにカメラと水筒を入れて、たすき掛けする。毎日の河畔の景色は代り映えはしないけれど、時間や天気、季節や風によって、光が異なる。川の水の量は引き潮時か満潮時かで波立ちが変わり、上流の雨の水量で、波の形も変わる。

草刈りの後に伸びてきた、歩道脇の崖に咲くアザミやオシロイバナ、今にも吹き飛びそうなタンポポの綿毛を見て、なんとなく選んで写真を撮る。今自分が何を感じて撮ろうとしたか、その兆しを捕まえたくて。

後でパソコンに取り込むと、思っていたところがブレブレで、万に一つもいいものは無いけれど、自分の好みや目指しているものは見えてくる。いつも狙いたいもの、撮りたいもの、これだと思っているもの。

そうやって手探りで自分を探っている。「わたしはだれ?」「どうなりたいの?」こうして文章修行して、考える。「普通」は無理なようだけど、何ならいいのだろうか、と。








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