余計な一言
どえらいマンガ
小説であれ映画であれ、もちろんマンガであれ。人によって好みが分かれるのは当然です。クレヨンしんちゃんを苦手に思う人はいるだろうし、スターウォーズはエピソード9が最高傑作だと思う人もいるはずです。仲良くはなりたくないけれど。
このマンガはとても好みが分かれる作品だと思う。正直、人に薦めたいマンガではない。けれども「すげぇものを見せられた」と驚嘆したのは事実で、だからこそSNSで話題になっているのだろうな、と思いました。
僕は物語のあらすじすら「ネタバレやん」と思ってしまう人間なので、これで文章を終えていいような気もしましたが、さすがに味気ないかな、と思ったのでもう少し言葉を足してみます。
読み終えるのに体力がいります。
(作品自体は読み切りで短いです)
読み終えたあと、誰かの感想を知りたくなります。
しかし、誰かと感想を交換したくはないマンガです。
自分のいる世界
さらにもう少し付け加えてみます。
フィクションは多くの場合、その物語の世界を楽しむものだと思います。
物語はひとつの装置みたいなものです。その世界で語られるモノを通じて現実世界のなにかを考えることもあれば、物語の世界を通過する体験そのものが、自分自身のなにかを更新するスイッチになったりします。とても抽象的ですが。
ところがこの作品は、少し違っています。
読者の視点が常に外を向く、おもしろいマンガだなと思いました。
主人公に共感したり嫌悪したり、いまの社会の空気感を捉えた作品だと分析したり、数多の物語と同様に、ネット上でさまざまな感想が述べられています。しかし、その視点の多くは、通常のフィクションに見られる「物語の中から外へ向かう視点」というよりも、「自分のいる現実から周辺の現実へ向かう視点」のように感じました。
このマンガは、物語に登場する人物たちの言動を通じて、僕らのいる現実世界をリアルタイム中継のように見せているのかもしれません。しかも強烈に。
それは、とてもよく磨き上げられた鋭利なナイフに似ているのかもしれません。鏡のように磨かれたこのナイフは、常に自分の顔を映します。しかし、よく見ようと顔を近づけると自らを深く傷つけることになります。僕らは本作を読み始めた瞬間から、この鋭利なナイフを手渡されます。ひとつ間違えば、自分や他の誰かを傷つけてしまうと予感しながら。
読み終えた後になって気付くことも多々あります。本作では一つひとつのできごとが必ずしも詳細に語られているわけではありません。もしかすると作者は、意図的に詳細を省いているのかもしれません。省略することでより一層、僕らは自分たちの世界との対比を余儀なくされます。なぜなら、物語を読み進めるためには僕らが経験してきた現実世界を補完する必要があり、それが、人によって見え方が変わる本作のおもしろさを生み出しているからです。
最後のセリフ
とても抽象的な話ばかりになりましたが、このマンガはそういう作品だと思いました。えげつないナイフを渡された気分です。正直しんどかった。
さて、「誰かの感想を知りたくなるマンガ」と書いた以上、物語の内容に関して、最後に少しだけ僕の感想も書いておきます。
本作を未読の方は、読んでからの方が良いかもしれません。たいしたことは書いていませんが。
僕はタイトルの「普通の人でいいのに!」は、最終コマにおける主人公のセリフだったのかもしれないな、と思いました。と同時に、これはとても残酷な結末だなと感じました。ひとつの恋愛(のようなもの)を通して、主人公は自分の過去を思い返し、周りの人々や環境に嫌気がさして(たぶんそうだと思う)、思い切った行動に出ます。しかし、その末に手にしたものが「普通の人でいいのに」という言葉だったとすれば。
一見、主人公は自分を変えるための選択をしたようで、実は何一つ変わらなかったんじゃないでしょうか。だって、普通なんて誰も持っていないのに。
これは僕の解釈です。現代文の試験でもない限り、物語の捉え方は好き勝手でいいと思っています。もし仮に、作者が本作を解説することになったとしても、それは作者の捉え方です。作者と異なるからといって不正解ではないし、ましてや僕の解釈が正解ではありません。
ただ、これだけは確実に正解と言える解釈があります。
僕は主人公の女性がとても嫌いです。
(最後にそれかい)
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