素敵な人を見るとつらくなるよねって話
最近、「あ、この人は自分の一番好きなことを見つけて、それに向かって一生懸命努力して夢を叶えて、今すごく人生を楽しんでるんだろうな」って人がとにかく羨ましくてたまんないんですよね。「とにかく大好きなものがあって、そのことに向かって夢中に生きてる人」が眩しくてならないんです。この前紹介したムンディ先生もその一人。
他にはたとえばきんに君とかかな。あとたまたま読んだ『北欧こじらせ日記』の方も「おぉお……すごい……行動力の化身……」って震えました。
私、ここ何年かずっと、たまらない焦りと後悔が続いてるんです。自分には何もない、何かしなきゃ、人に自慢出来るような人間にならなきゃ、人からちやほやされるような人間にならなきゃ、見返さなきゃ、みたいな思考で頭がいっぱいで。それでも一応、自分なりに必死なつもり、頑張ってるつもり、前に進もうとしてるつもりだったんです。
でもムンディ先生やきんに君の動画を見たり『北欧こじらせ日記』を読んだりしてると、「あ、この人たちは本当にこれが好きで好きでしょうがないからやってるんだ。だから努力も楽しめるんだ。しんどかったりつらかったりはもちろんあるんだろうけど、それも含めて“楽しい”んだ。迷いがないんだ」って伝わってきて。
あー、私がやろうとしてたこととは全然違う。私の姿勢や生き方とは全然違う。「自分がかろうじて出来そうな気がする範囲内でなんか他人を見返せそうなこと」を必死に探してた私とはもう根本から違う。あー。
この人たち、なんて素敵な生き方をしてるんだろう。こんな風に生きられたらどんなに幸せで楽しいんだろう。すごいなあ、羨ましいなあ、かっこいいなあ……。……そんな風にしみじみすると同時に、もうガックリきちゃいました。キレイダナア……ナンデワレハアアジャナイ……(あ、藤田和日郎先生もそうだわ。同系列の陽の者の気配しかしない。あと島本和彦先生とか)
素敵な人たち、自分のやりたいことを見つけて、それに向かってただただ夢中で進んで行ってる人たち、ってほんと、パワーがすごいんですよね。もう陽のパワーがすごい。「正しい光パワー」みたいなのが炸裂してる。
だからこう……私のような陰の者の……よこしまな性質の……道を外れきった……他人からどう思われるか基準で生きてるような人間には、それが眩しくて眩しくて……羨ましくて……自分を顧みて……すごくつらくなってしまったりするんですよね……ナンデワレハアアジャナイ……
「あ、私なんか違うな、多分この道間違ってんだな」って、こういう人たちを見てとりあえずは気付きました。
この記事に書いた「なんかとりあえず小説を書かなきゃいけないかも」っていう焦りも一旦ストップさせました。オッケー一回立ち止まろう、ってなりました。どう考えてみても、それは私が「本当にやりたいこと」だとは思えなかったから。でもそこから先がなかなか続かないんですよ。
今からでも新しい何かを見つけられるかな、今から何かに挑戦出来るかな、と思うと必ず、「もう43歳なのに」「今更何をやってもムダ」「もっと早くから始めてればね」「もう手遅れ」みたいな言葉がどんどん出てきます。無限に湧いてきます。そのたびに落ち込みます。「今が人生で一番若い」って言葉にももう半笑いです。でもな~~。でもな~~~~!
この「でもな~~~~!」が私の最後の砦なんじゃないかと思ってます。「これさえあればもうそれでいい」みたいなものが私にはまだないけど、「私はこうやって生きていけばいい」って納得もまだ全然出来てないけど、「今更」とか「手遅れ」とか「失敗」とか「リセットしてえ」とか常に思ってしまうけど、それでも自分が「でもな~~~~」って思える内は、まだ「少しはマシになれる芽」はあるんじゃないかなって思いたいです。
もうね、もう、キラキラしてる人を見るのしんどいです。自分がヘドロまみれだから。これまでの43年、完全に失敗しちゃったから。人生のあらゆる転換点で迷いなく「ダメな方」にしか進んでこなかったから。羨ましい通り越して妬ましいって思うことも多いです。
それでも、ただただ他人に嫉妬してるだけじゃ自分の人生変わんないので。「少なくとも今よりはマシな自分」にはなれると思いたいので。「全く何もしなかった10年」と「少しでも何かをした、しようとした10年」だと、たどり着く先は全然別のところだと思いたいので。
少しずつでも意識を変えてって。最終的に、あの人たちみたいに夢中になれることが見つけられなくても「まあそれでも頑張ったよね」って言えるようになりたいです。
まだまだ人生の迷子です。
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