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「女優・夜凪景」を、最後まで見届けたかった。

※本記事は、犯罪・犯罪者を擁護するものではありません。被害に遭われた方に心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い心身のご回復をお祈り致します。
※本記事へのサポートは一切ご遠慮ください。

本日8月10日(月・祝)17時、少年ジャンプ編集部より、公式に『アクタージュ act-age』の連載終了が発表された。

(こんなネットの片隅の記事を読んでいる方々に、経緯を説明する必要はないだろう。)

至極当然な判断だ。
疑問も異論も不満も、何一つ浮かばない。

こんな時期に、対応に奔走されたジャンプ編集部のみなさま。
誰よりも悔しい思いをされているであろう宇佐崎しろ先生。
関係者の中に渦巻く感情は、私のようないち読者には想像もつかない。

だから、以下の駄文は全て、私自身の中にある処理しきれない悔しさを撒き散らすだけの、悲しみに溢れたなんの面白みも無い文字列だ。

遣る瀬無いまま漂う私の感情を、どうにか向こう岸に渡して、ただ事実を呑み込むための整理をしたい。そんなワガママに過ぎない。

それでも。
作品に魅せられたファンが、ただ悲しむこと、ただ悔しく思うことを、どうか、どうか、許してほしい。

これ以上ノイズが入る前に、私自身が『アクタージュ -act age-』という作品そのものと、夜凪景たちと向き合いたいんだ。

ただ、それだけなんだ。



私は『アクタージュ -act age-』を、既刊3巻の時点で単行本で初めて読み、凄まじい衝撃を受けた。
この作品を応援したいがために、暫く読んでいなかった週刊少年ジャンプの定期購読を始めたほどだ。

当時の感想を抜粋。



『アクタージュ -act age-』で描かれた、数ある秀逸な表現の中でも、「天才」と「そうではない者」の描き方が本当に好きだ。

異様で、しかし惹き付けられる芝居を繰り広げる、「天才」主人公とそのライバルたち。
彼女たちは、少年漫画の主人公らしくどこまでもカッコいい「憧れ」

そこに負けじと喰らいつき、自分にしかできない演技を生み出すために足掻く「そうではない者」たち。
彼らには「共感」し、真似できない才能を前にしても、諦めない姿に勇気づけられる。

個性的な人物たちが、稽古と人生の中で得た、様々な経験・感情。
本番の舞台の上で、カメラの向こうで、「それ」を激しくぶつけ合う姿に、私はいつも感動させられっぱなしだった。

稽古から本番に至るまでのドラマの描写も丁寧。
だからこそ、芝居を通して前に進み、立ちはだかる壁を打ち破る瞬間には、得も言われぬカタルシスがある。

もちろん、脇を固める「役者を導く者」「役者の傍にいる者」の活躍だって、その1つ1つが印象的だ。

少年漫画的メソッドを踏襲しながら、これまでに無い設定・新機軸の表現を用いることで、そこに漫画と劇場を、同時に作り出している。
私は、漫画の読者であり、芝居を見る観客であり、夜凪景たちの大ファンでもある。

本当に、素晴らしい物語が、そこにあったのだ。



2022年に予定されていた舞台だって、心から楽しみにしていた。

アニメ化や映画化ではなく、舞台化。
漫画という表現手法で、舞台の可能性を拡げたアクタージュが、どんな新しい体験を観客にもたらしてくれるのか。ワクワクして仕方なかった。

しかも、全国規模のオーディションで、「ホンモノの夜凪景」を見つけ出そうなんて試みまでやって、期待しないわけがない。

当然、アニメや映画も観てみたかった。
きっと困難に違いない。だけど「演劇を題材にした漫画」が映像化されるなんて、こんなにも様々なメディアでの表現を追求できる作品が、他にあるだろうか?

そんな気持ちが、ずっとあった。



「女優・夜凪景」を、我々が生きるこの世界の一員と見立てて行われるプロモーションも私好みだった。

ポートフォリオの配布、TSUTAYA店員、日大や消防庁とのコラボポスター、「プレイボーイ」の裏表紙、JVCのアンバサダー、「羅刹女」の投票企画などなど……。

夜凪景のファンとして、できる限り、追いかける。

1ファンとして、ずっとずっと、応援する。

何よりも、ただ、それだけだった。




明日、8月11日売号に掲載されるscene123.(123話)をもって、『アクタージュ -act age-』の連載は終了となる。

この事実が揺らぐことはない。


私は、


柊雪が撮る映画を観たかった。

星アリサが秘めた過去に触れたかった。

一皮剥けた、星アキラの演技を観たかった。

鳴乃皐月が、蛹から蝶になるその瞬間を見たかった。

環蓮の実力を見せつけられたかった。

黒山墨字が撮る映画が、本当はどんなものか知りたかった。

天知心一の本気のプロデュース手腕を見せてほしかった。

明神阿良也が、次に何を喰うのか気になっていた。

「羅刹女」を経た王賀美陸が、どんな演技を見せてくれるか知りたかった。


百城千世子が、
最後に夜凪景と共演し、舞台に並び立つ時に、どんな表情で私を魅せてくれるのか、見届けたかった。


夜凪景という天才女優が、
これからどんな人生を歩み、どう成長していくのか、
どれだけ素晴らしい演技を重ねていくのか。

そして最後に辿り着いた舞台で、どれほど圧倒的な芝居で、どんなに美しい景色を私に見せてくれるのか。

私はただそれを、観たかった。




「女優・夜凪景」を、最後まで見届けたかった。




夜凪景たちの俳優人生は、これからもずっとずっと続いていく。
彼女たち役者が、芝居をせずに生きていけるわけがない。

私の目線から、それを観測できなくなっただけのこと。


きっとどこかで、彼女たちの物語は、まだまだ終わらずに続いていく。

私にその最後を見届けることが、叶わなくなっただけなのだ。


ただ、それだけのこと、なのに。




あぁ。

本当に、本当に、本当に、本当に、寂しいなぁ。




さようなら、『アクタージュ -act age-』。

私は今も確かに、その物語を愛している。




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