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096:『闘うフィガロ ボーマルシェ一代記』(鈴木康司)

恥ずかしながら存じ上げなかったが、旧制度下のフランス社会を垣間見る上で格好の「窓」となる人物かもしれない。
時計職人の子から成り上がって宮廷人と親密な関係を築き、フランス革命では九死に一生を得る。驚いたのは、旧制度下においてもこのような「成り上がり」が―当然天井はあるにせよ―可能だったということである。自然、彼は第一身分の差別的言動に憤り(被抑圧者)、召使に対しては理不尽を突き付ける(抑圧者)という二面性を持つことになる。

この「窓」から見える景色で関心をひかれたのは以下の2点。
一つは、科学アカデミーが今日的にいうところの知的財産権を保護する機関として広く認知されていたこと。高等法院と併せて、ボーマルシェの「戦い」の中でもその権威が描き出されている。
今一つは、世論の影響力。
窮地に立たされたボーマルシェは、ペンの力で世論を喚起し、密室での裁決を回避する。これは、18世紀のフランスで出版文化が花開いていたこと、市民に広くリテラシーが備わっていたこと、そして高等法院などの「権威」でさえも、その市民の動向を無視できなかったことの証左だろう。
フランス革命は大事件だけど、その素地は徐々に育まれてきたもの、ということでしょ。1789年7月14日にいきなり世界が変わったわけではない。
…と、いうわけで「フランス革命は歴史的転機だったのか?」という問いも成り立ちますな。

最後に。

アジテーターというのは、事実を論理的かつ説得的に語るのではなく、大衆の感性や情に訴えてその反応を引き出し、出てきた反応を利用しつつさらに大きな効果を狙って、誇張した表現を使い、正義はわれにありと宣伝するのを得意とする。

p264

こういった存在は世論の双生児。

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