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099:「中世ヨーロッパの展開と文化活動」(佐藤彰一)

7~8世紀に設定されるポスト・ローマ期からの転換(離脱)は、幾つかの指標によって分析される。一つは都市構造(ブリタニア)、一つは租税システム。そして新興貴族層による支配の確立である。
一つ目新しく感じた視点は、7世紀における気候変化の影響が指摘されていること。寒冷多雨から温暖乾燥への気候の推移は、穀物生産ひいては人口の増大をもたらしたという。これは後に交換活動の活性化、銀貨の流通、大所領の形成へと帰結する。

メロヴィング朝からカロリング朝へ

貴族層の形成については、『中世世界とは何か』にも詳しい。メロヴィング朝からの転換を整理すると、
メロヴィング朝…在地勢力を介した間接的支配
カロリング朝…家臣の派遣による直接的支配
であり、カロリング朝下で領域内の制度的・文化的均質化が進み、門閥貴族ネットワークが形成されるに至った。とはいっても、派遣した家臣だけで統治ができるはずもないから、在地勢力の力は無視できなかっただろう。
そしてカール死後のカロリング朝の衰退も、この政治的成熟の一つの表れとして位置づけられる。カロリング・ルネサンスによる君主鑑の形成は、帝国貴族層を始めとする幅広い社会層に、世論ともいうべき言説を形成させた。これによって各地で非カロリング家の王が擁立されていくようになる。
100で地方政権の確立は政治的枠組みの確立あってこそ、ということをメモしたが、通ずるものがあるのかも知れない。

統治とリテラシー

さて、もう一つのキータームがなぜ「文化活動」なのかと思ったが、租税システムの基盤が土地財産の把握であった点を考えるだけでも、リテラシーが統治の在り方と密接にかかわっていたということが明らかになるだろう。
興味深かったのは、そのリテラシーが8世紀に後退を見せた、という指摘。何事も一直線に発展を遂げていくわけではない。8世紀は、徴税の主体が都市共同体から中央宮廷の役人へと移行した時代であり、都市が持っていた文書行政の機能が失われた時代であったという。それでも、財産の所有権を保証する文字記録へのニーズは不変であるから、教会や王権がその役割を担うようになったようだ。初読の際には、ここで書体の変化に触れているのがやや唐突に感じたが、行政用書体と書物(写本)用書体が分化していくと考えれば、やはりここでも政治(統治)と文化の在り方は深くかかわっているといえるのだろう。

カール大帝は何を目指したのか?

カールによる文化活動の保護は、「哲人王」という理想像を志向していたものだと評価されている。ギリシア語を解するともいわれていたようだし、やはりカールの念頭には常に「東」(ギリシア)があったのだろう。そしてこのギリシア的な教養は、カロリング家の宮廷エリート達によって継承されていった。佐藤はこの意義を強調する。
カロリングの皇帝権は常に東ローマを意識したものであったと思うが、文化活動においても、ギリシア的要素をより強く継承した東ローマは、カロリング朝(というか西ヨーロッパ世界)にとって、一つの鑑となる世界だったのだろう。

その他参考文献

佐藤彰一『中世世界とは何か』(岩波書店、2008年)
佐藤彰一『カール大帝』(山川出版社、2013年)



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