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17.来来亭の梅干し

 世間では憲法改正の議論が盛んになされてる。議論の中心はもちろん第九条についてだ。平和を心から愛する日本国民として、今一度九条の有り様を真剣に議論すべき時が来てると思うが、私としては更にもう一つの議題を皆様に提示させて頂きたい。現在の国民の三大義務、勤労・納税・教育に「完食」を加え、四大義務とする案だ。

 食事を残す行為、いわゆる「お残し」は百害あって一利なし。食べてないものにお金を払う事になるのでお財布に良くない。食品廃棄ロス削減の観点からすれば地球に優しくない。料理を残した気まずさは本人の精神にも良くないし、料理を残された料理人は気分を害するのでマナー的にもアウトだ。お残しは映画「セブン」みたいに救いがたい結末しか生まない。

 お残しと言えば以前、こういう場面に遭遇した事がある。ボリューミーさが売りの某ラーメンチェーンに行った時の事だ。カウンターに座ってラーメンが着丼するのを待っていると、大盛りを注文していた先客がギブアップしたらしく、麺も具も大量に残したまま、こそこそと店を抜け出そうとしていた。それを見た店長がアルバイトに向かって「うちの大盛りは他よりも量が多いって言ったのによぉ、残すくらいなら普通盛り頼めって話だよ、なあ?」と同意を求めるかのように話しかけたのだが、それがなんと店内全ての客に聞こえるくらいの大声だからおったまげだ。店内が一気に凍り付いた。同意を求められたアルバイト君も「はぁ」としか答えようがない。「お残し」に対する制裁をガッツリと受けた客はほうほうの体で逃げ出していった。
 SNSがまだ普及してない頃の話なので、今なら逃走した客が「麺を残したら店長に文句を言われた!」と投稿し、盛大に炎上するような案件だろう。しかし、私は心の中で店長に激しく同意していた。心の中で「ブラボー!!」と叫んでいた。立ち上がってスタンディングオベーションをし、その後で店長に花束を渡してハグしたいくらいだった。
 そう、「お残しはダメ!ゼッタイ!」だ。

 どうやら私の中には「お残し」を許せない生真面目な部分があるらしい。最近、派手な盛り付けの料理を頼み、写真を撮るだけ撮って完食しないとか、挙句の果てには一口も食べない手合いがいるとニュースで見た事がある。まったく、世も末だ。私が独裁国家の総統的ポジションなら全員を脱出難易度SSSのアルカトラズ刑務所かロベン島の監獄にぶち込んでやるのに。そして長期間独房で断食させられて飢えに苦しむやつらの目の前にカツカレーを置き、「ガンガン写真を撮ってくれ。撮り終わったら俺がモリモリ食べるから」と、皮肉たっぷりの拷問で地獄以上の責め苦を味わわせてやりたい。もしくは「お残し」を決して許さない某漫画のアイヌの少女のように、アイヌ伝来のストゥ(※制裁棒。悪い事をしたらこれで殴られる)で直接的な物理攻撃をするのも悪くない。インスタ映え如きで食事を粗末にする手合いに相応しい末路ではないだろうか。 

 
 そんな「完食原理主義者」かつ「反お残し過激派」の私だが、先日来来亭でチャーハンセットを食していた際、食べた背脂がそのまま脂汗となって額から流れ落ちそうなほどの窮地に立たされていた。

 「食べきれる気がしない」

 そんな悲壮感に包まれながら緩慢な動作でレンゲを使い、チャーハンを口にねじ込む。残っているチャーハンは3分の1、ラーメンの麺にいたっては2分の1だ。なのに、すでにお腹はいっぱい。ここでギブアップしたらこの店舗で未来永劫語り継がれそうなほどの記録的な「お残し」になってしまう。

 なぜ、このような特大ブーメランがぶっ刺さるようなザマになってしまったのか、少し説明させて頂きたい。

 まずは来来亭をご存じだろうか?関西のソウルフードの一つに数えられる、滋賀県発祥のラーメンチェーンだ。そんな来来亭の特徴と言えば京都風醤油味の鶏ガラスープ、そしてそのスープに浮かぶ大量の背脂だ。これがコクと甘みをスープにもたらす。更にはそれ自体の滑らかな口当たりも堪らない。
 昔は一部のハードコア系ラーメンだけが使用する邪悪な食材だった背脂。最近は世間に認知されてきたらしく、色んなラーメン屋さんでスープやトッピングに使われているのを見かける。もし、背脂の喜びを知らないのなら、一度来来亭に足を運んで貰いたい。そして背脂の海に飛び込んで欲しい。野蛮なテイストを好む方ならきっとお気に召すはずだし、場合によっては虜になってしまうだろう。
 
 さて、いつもなら背脂目当てでラーメンの単品を頼むのだが、どうしてもその日は追加で炒飯が食べたかった。知り合いと来来亭について話してる際に「来来亭の梅干は炒飯にめっちゃ合います」と聞いていたので、是非とも試してみたかったのだ。
 来来亭の梅干し。「ご自由にお取りください」と卓上に置かれたそれを見る度に「せめて沢庵にしろよ」と、いつも心の中で毒づいていた。どう考えても梅干しには白飯だろう。白飯付きの定食を頼んだお客さんだけが得する不公平なシステムだ。私も梅干しを心から愛する日本国民だが、来来亭のそれだけは認められなかった。認めるどころか憎悪していた。だって食べない私からすると損してるような気分になるじゃないか。
 なので、実際に試した上で「いや、やっぱり炒飯に梅干は合わなかったよ」と否定したかったのだ。炒飯に梅干という組み合わせ、そして来来亭の梅干しの存在そのものを。

 だが、一つだけ問題があった。筆者の胃袋がナイスミドル仕様からシルバー仕様に移行期間中なのだろう、キャパシティーが若干落ちてきた。その日の体調や前回の食事でも変化するが、通常の状態を言葉で表現するなら「単品以上、定食未満」と言ったところだ。単品では物足りないし、定食は完食する自信がない。実に微妙なお年頃だ。
 ゆえに注文時に結構悩んだ。さすがにラーメン&全チャーハンは無理なので、ラーメン&半チャーハンを頼もうとしたがメニューに半チャーハンがない。残すのも嫌だし、諦めてラーメン単品で行こうかと思ったが、どうしても知り合いの「来来亭の梅干し、チャーハンと相性抜群説」を否定したかったので、一縷の望みを込めて店員さんに半チャーハンが頼めるか聞いてみた。店員さん曰く、チャーハンセットはラーメンと半チャーハンの組み合わせとの事。よし、お年頃とは言え、半チャーハン追加くらいならいけるはず。 
 「じゃあ、チャーハンセットをお願いします」

 そして食べ始めてすぐに感じたのだが、どうやらこの日の胃袋の容量は最低ラインの「単品」程度しかない。この見込みの甘さにより、額に背脂が流れ出す状況に陥ったというわけだ。
 
 もう選択肢は二つしかなかった。一つは「店員さんに言い訳をする」、もう一つは「食べきれなかった分をスープに沈めて隠蔽して帰る」だ。 

 「職場から緊急の呼び出しがきた」「身内に不幸があった」そんなベタな嘘をついて現場から逃亡しようと思ったのだが、どう考えてもあまりにもベタ過ぎて不自然だ。そもそも私は素晴らしく善良な人間なので嘘がつけない。週末に彼女と遊ぶ約束をしていたのに、急にパチンコに行きたくなったので「ごめん、休日出勤になった」と口から出まかせを言ったことが何度かあるくらいだし、それだって休みの日に一日中パチンコを打つのは休日出勤と言えなくもないので、厳密には嘘をついてるわけではない。

 何にせよ、言い訳作戦は無理だ。それなら残るは隠蔽作戦しかない。ただ、スープにチャーハンをぶち込んで隠すのは気持ち的にも、そしてビジュアル的にも気が引ける。猫まんまを片付けさせられる店員さんもたまったものじゃないだろう。ラーメンを諦め、胃袋のわずかな空き容量をチャーハンに全振りする事にしたわけだが、ふと小皿に取っておいた梅干しの存在に気が付いた。考えてみればこの梅干しが今回の悲劇の元凶だ。とりあえずこれとチャーハンを一緒に食べて、知り合いにクレームを入れよう。そう思いながら梅干しを食べたのだが・・・

 ここで「言い訳」「隠蔽」に次ぐ第三の選択肢が発見された。「梅干しを食べる」だ。

 梅干しを食べた瞬間、止まっていたエンジンが再び動き出すかのように胃袋が活性化し始めた。急に食欲が湧いてきた。食中酒的な効果なのだろうか良く分からないが、奇跡が起きた事は確かだった。
 その勢いでチャーハンを頬張る。するとどうだろう、脂っこく濃いめの味付けに疲れていた舌が梅干しでリフレッシュしたらしく、一口目の美味しさが蘇っている。その後も梅干しを間に挟みながらモグモグ、ズルズルと食べ進め、見事に完食へと至った。
 こうやって筆者はお残しブーメラン野郎の汚名を着る事を免れた。いやはやまったく、梅農家さんには足を向けて寝られないってやつだ。しかし、来来亭の梅干しにこんな効果があったとは。こういった使い方があるからこそ卓上に置いているのだなと、やっと理解できた。
 梅干しが持つ未知の効能を知り、また一つジャンクフード喰いとして一皮剥けてしまった。この調子でいけば完全にズル剥ける日もそう遠くないだろう。

 「これって本当の話ですか?」と訝しむ読者様もいらっしゃるかと思う。確かに筆者は「話を盛る」事で有名だ。だが、今回の話に限って言えば100%真実だ。是非、来来亭で試して欲しい。もし近場に来来亭がないのなら「小諸そば」でも良い。あそこにも卓上に梅干しが常時セッティングしてある。来来亭のしっとりした梅干しと違い、小諸そばのそれはカリカリ系だが、筆者の予想では同様の食欲増進効果が見込まれる。立ち食い系の蕎麦屋で「カツ丼セット」を頼んだ際、カツ丼のヘヴィネスさに心と胃袋が折れそうになる事があるが、小諸そばなら梅干しがそんな危機的状況を打開してくれるだろう。


 さて、今回は「完食」という深いテーマでお話をさせて頂いたがいかがだったろう。「労働の義務」と「労働不能」の問題が切って切り離せぬように、新しい国民の義務としての「完食」には「お残し」という問題が常に存在する。だが、最初から無理というのではなく、梅干しなんかで食欲をブーストさせたりする完食への仕組み作りも踏まえた、建設的な議論が必要ではないだろうか。
 「一粒のお米には七人の神様がいる」の精神を貴ぶ日本国民として、皆様もこの問題に関して真剣に考えて欲しい。もし、「食べ残しくらい別にいいじゃん」とお考えになる読者様がいるならば・・・

 アルカトラズへ収容します。「カツカレーの刑」と「ストゥの刑」、好きな方を選びな。

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