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13.豚骨ラーメンと上司のメガネ

 猫が私の足でスリスリやってるので、ナデナデしようとしたらいきなり猫パンチを喰らった。普通の人なら「そっちから近づいてきて、甘えた態度からの猫パンチかよ」と怒り心頭になる状況だろうが、そんな時でさえ、「罪を憎んで肉球を憎まず」の寛容な精神で許してやれるほど私は心が広い。むしろ、「右の手を猫パンチされたら、左の手で『ちゅ~る』を差し出しなさい」の心意気でご褒美を上げてしまうくらいだ。

 そんな心の広い私だが、許せないものも多少はある。まずは上司のしょうもないミスだ。「何でそんなことになったんです?」と言いたくなるような訳の分からないミスの尻拭いをするため、花の金曜日に残業させられるはめになったら怒り心頭。そんな時は「上司憎けりゃメガネまで憎い」なドス黒い気持ちになって、「なんだあのメガネ、くそダサいデザインだな」と、心の中で上司のメガネをディスってしまう始末だ。
 
 もう一つ許せないのは、豚骨ラーメンに最初から紅ショウガを入れて提供する行為だ。「豚骨臭さを消すために紅ショウガをどうぞ」的な店主の優しさかもしれないが、こちらとしては有難迷惑甚だしい。紅ショウガを入れるかどうか、入れるとすればそのタイミングは私に決めさせて欲しい。
 もちろん、そうなったら店主のメガネをディスる。「すぐ湯気で曇りやがって。手入れが行き届いてないメガネだな」と。但し、ジェントルマンなので心の中でだ。

 「紅ショウガごときで騒ぐなんて、とんでもないカスタマーハラスメント野郎だな」と、読者諸兄は思われるかもしれない。しかし、これは私にとってどうしても譲れないものなのだ。

  私の豚骨道は大学時代に始まった。大学時代の先輩後輩の関係は海兵隊の教官と訓練生の関係に近いので、黒いものも先輩が白いと言えば、「白です!それも驚くほどの白さです!」と答えなければならない。豚骨ラーメン好きのサークルの先輩に夜中電話で叩き起こされ、「ラーメン喰いに行くぞ」と言われても、「サー・イエッ・サー!」以外の返答は存在しない。突如始まる緊急イベント、片道一時間、往復二時間、目的地は隣の県にある濃厚な豚骨ラーメン屋への小旅行だ。しかもこれが頻繁に起こるのだから普通は困りそうなものだが、私には豚骨への適性があったらしい、召集の電話が待ち遠しいほどだった。こうしてベスト・キッドで例えるなら先輩が導師的存在のミスター・ミヤギ、私がダニエル少年という師弟関係の元、豚骨道の研鑽に明け暮れた大学生活を送った。

 そして社会人となり東京で働き始めるのだが、新生活を迎えるにあたって期待してたのはラーメンだ。「東京はお金さえ払えば何でも食べられるよ」と聞いていたので、「色んなラーメンを食べるチャンス!」と、期待に胸を膨らませたものだ。
 早速、一足早く東京に引っ越していたミヤギ先輩と合流だ。私よりも一年早く社畜になり、忙しくて豚骨ラーメンどころではなかった先輩。すっかり豚骨の牙が抜け落ちていたかのように思えた彼だが、私という一番弟子と再会したことで、彼の中の豚骨への情熱が再び燃え上がった。さすがは私の師匠だ。「さあ、美味い豚骨に会いに行くか」と、未開の地、東京へのフロンティアスピリッツを滾らせた二人。先輩の家の近所に堂々と掲げられた「豚骨ラーメン」の看板を発見したので即突撃だ。
 「濃ゆめのスープだと良いな」「替え玉出来たら熱いっすよね」と、久しぶりの豚骨に胸高鳴らせ、鼻息荒く店に入ったのだが、メニューを見ると「当店は魚介ベースの豚骨です」との謎フレーズが書かれていた。さっぱり意味が分からない。ベースが魚介なら魚介系のラーメンではないか。噓、大袈裟、紛らわしいのJARO案件としか言いようがない。
 しょうがないので、その魚介ベースの豚骨とやらを食べたのだが、正直味は覚えていない。だが、「これは求めているものと違う」と思ったことは鮮明に記憶している。堂々とした豚骨ラーメンの看板なのに魚介。「東京ではこんな事もまかり通るのか」と、田舎から出て来た純朴な青年たちの心胆を寒からしめた出来事だった。

 いきなり出鼻を挫かれたわけだが、今思い返してみると2,000年代の関東はそういう時代だったかもしれない。世間一般的に「豚骨ラーメンは臭い」と忌避されていた気がする。シュールストレミングやドリアン、くさやほどではないが、納豆程度かそれ以上の拒否感を感じる事があった。勿論、すでに「一蘭」や「一風堂」と言った豚骨の本場・福岡の有名店が東京に進出していたし、替え玉2玉無料でお馴染みの「博多風龍」も存在していたが、それらは概ね「臭みが少なく、割と食べやすい豚骨ラーメン」だ。パワフルな豚骨ラーメンを提供する店は少なかった。いや、ほとんど無かった。
 臭さ控えめの系の豚骨も悪くない。私も一蘭は足繁く通っている。だが、時には圧倒的濃厚さと臭さを兼ね備えた、本場で提供されてる様なゴリゴリにハードコアな豚骨ラーメンと、がっぷり四つの勝負をしたいと思うのが豚骨喰いに宿る闘争本能だ。

 スタンド使いとスタンド使いが惹かれ合うように、豚骨喰いと豚骨喰いは惹かれ合う。東京ではミヤギ先輩とは別の豚骨喰いの同胞に巡り合えた。博多生まれ、博多育ちの会社の先輩だ。博多出身なので母乳代わりに豚骨スープを吸って育った、「年齢=豚骨歴」の大ベテランだ。彼こそが豚骨における「ザ・マン」、本物の男。当時の彼は東京砂漠で豚骨に飢えていた、一匹の餓狼だった。
 意気投合した我々はガツンと来る豚骨を出してくれるラーメン屋を探し求め、仕事帰りに様々な店を巡った。何せ時代が時代。ネットや雑誌にもほとんど豚骨ラーメンの情報がなかったので、足を使っての地道な捜査だ。
 我々が豚骨捜査網を展開するにあたり、重要視したのは「臭い」だ。経験上、豚骨の「臭さ」と「濃厚さ」は正比例することが多い。そして濃厚であればあるほど美味い。つまり、豚骨臭が激しければ激しいほど、そのお店は当たりの可能性が高くなる。理想は入る前から豚骨臭がするお店だが、果たして東京にそんな店が存在するのだろうか?

 仕事へ対する以上の情熱をかけて捜査を進めた2人だったが、ほとんどの店が「看板に偽りあり」だった。ミヤギ先輩と私の出鼻を挫いた魚介ベースの店と同様の、豚骨の名前を使いたいだけのフェイカー、我々が「お洒落豚骨」や「ファッション豚骨」と揶揄していた紛い物ばかりだった。
 メニューや張り紙に「当店名物、濃厚豚骨!」なんてものが書いてあっても、過去に強烈なトンコツ・エクスペリエンスを経験している我々にとっては薄い、軽いとしか言いようがないラーメンばかりだった。食べ終わってお会計をしてからの去り際に「ごちそうさまでした。とても『あっさり』としたスープで美味しかったです」と、皮肉の一つでも言ってやりたくなる事が多々あったが、私も先輩も外面だけはジェントルマンなので、にこやかに「ごちそうさまでした」と言って店を出て、ある程度距離が離れたら「薄かったですね」「シャバシャバだったな」と痛烈にディスったものだ。

 新しい店を訪れ、食べて失望。また新しい店を訪れて失望。そうやってトライ・アンド・エラーを繰り返し続けた私達捜査チームだが、遂に本格的な豚骨ラーメンを提供するお店を発見した。場所はJR高田馬場駅付近。店名は「博多長浜らーめん ぼたん」。
 先にも述べたように、2,000年代の関東では世間一般的に「豚骨は臭い」との認識があった。にも拘らず、牡丹からは強烈な豚骨臭が店舗周辺に拡散されていた。それは道路の反対側まで漂う、半径100mを覆う広範囲だ。「良し!これは期待出来る!」と歓喜したのと同時に、「この臭い、近所からクレームが来ないのかな?」と、私たちが心配したほどだった。

 そこには俺たちが豚骨に求めていた全てがあった。スープは「博多長浜」の看板に偽りなしの濃厚なスープ。博多のラーメンらしく麺の固さも選べ、替玉も出来た。そして入る前から分かっていたが、ものすごい豚骨臭だった。こちらの胃袋を荒々しく刺激する圧倒的芳香。そして東京で働く豚骨難民たちを泣かせに来てるのだろうか、卓上には「紅ショウガ」だけでなく、本場の豚骨の相棒と呼べる「辛子高菜」「にんにく」が置いてあった。この心憎い配慮に全高田馬場が泣くというものだ。

 
 豚骨に限らず、ラーメンの食べ方は各人が積み上げてきた歴史だ。ラーメン喰いも一種のアスリートなので、ルーティンを大事にする。考え抜かれ、磨き抜かれたルーティンは輝かしい成果を生み出すために必要不可欠なものだ。
 まずはそのまま食し、最初の替玉と同時に味変の辛子高菜を投入。これが豚骨における私の基本ルーティンだ。質の高い豚骨ラーメンなら、これにより充分な満足感を間違いなく得られる。
 更に上の満足感を得たいのなら、にんにくを投入だ。気持ちと胃袋が荒ぶっている時におススメだが、あくまでもこれは週末限定の裏技。紳士たるもの、平日のにんにくは避けるべきだろう。

 対し、先輩は最初の替玉のタイミングで紅ショウガを入れる。勿論、それは味の変化を楽しむための積極的投入だ。決して臭みを消すための消極的投入ではない。うちの先輩を舐めてもらっては困る。
 しかし、入れ方が半端ない。白濁したスープがピンクになるほど入れるのだから粋と言うか、伊達と言うか、常軌を逸してると言うか。だが、これが先輩のルーティンだ。他人がとやかく言う事ではないだろう。

 ぼたんからの帰り道、やっと二人の口からこの言葉が出た。「美味かった」と。食べている時にスープが跳ねてスーツに付いたのだろう、帰りの電車の中が豚骨臭くなって大変だった記憶がある。今となっては良い思い出だ。臭いと思った乗客の皆様にとっては不愉快な思い出かもしれないが。 

 
 何故、私が紅ショウガを勝手に入れられると怒るのか、分かって頂けたと思う。人生をかけて豚骨ラーメンを食べ続け、己のルーティンを磨き上げてきたのだ。そのルーティンで食べさせて欲しい。そんなちっぽけな願いを叶えたいだけなのだ。
 それに本場・博多で食べ歩きしたこともあるが、提供時に紅ショウガが入ってる事は一度もなかった。そもそも紅ショウガを使ってないお客さんも多く見受けられた。「豚骨には紅ショウガを入れなければならない」との固定観念に囚われている方が多いが、決して紅ショウガは豚骨における義務ではないのだ。
 
 この何十年かで日本における豚骨文化の浸透は確実に進んだ。今では「豚骨 濃厚」で検索したら多くのサイトや記事が引っかかる。それも本場福岡だけでなく、日本各地でだ。「豚骨の選球眼」とでも呼べばいいのだろうか、長い研鑽の末、見ただけでおおよその濃厚さが分かるようになったが、それらのサイトや記事に掲載されている写真には明らかに一流と呼べるブツが多々見受けられる。きっと、日本人の豚骨耐性や豚骨リテラシーが上がったのだろう。このペースでいけば激しい系の豚骨ラーメン屋が日本中に増え、22世紀初頭までには日本博多化計画が完了するだろう。これこそ、豚骨喰いが望んでいた未来だ。
 
 だが、現時点では本場福岡並みの豚骨リテラシーを全てのラーメン屋さんに求められるまでには至っていない。故にいきなり紅ショウガを入れられ、怒り心頭になる事もあるかもしれない。どれだけ温厚な性格だったとしても、豚骨に関しては沸点が低くなるのは致し方ない。何故なら、私たちは豚骨喰い。長い人生において真剣に豚骨と向かい合い、研鑽を続けてきたアスリートなのだから。だからそんな時は店主のメガネ、Tシャツ、ハチマキ、何でもいいのでディスって怒りを鎮めようではないか。

 勿論、ジェントルマンなので心の中でだ。
 

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