映画の感想「蜜蜂と遠雷」
(ネタバレします)
芝居演技に関して、個人的に3つの持論を持っている。
パターンA:素のままを出してナチュラルでする演技
パターンB:ある程度、役によって声テンションを作ってする演技
パターンC:ABに該当しない特異点
基本的にはAが多いしAが王道
芝居をする本人の普段のテンションや声質・喋り方に特徴がありすぎる場合
Bを選択する方がいいと思ってる。
「A50%B50%」や「A80%B20%」なんてやり方もありだと思う。
Bの割合が多いと失敗する確率が高い
演技歴が浅ければ浅いほど失敗する。
稀にAをしなければならないのに、Bを強調しすぎて失敗する人がいる。
あくまで個人的見解だが、お笑い芸人雨上がり決死隊の宮迫博之さんだ。
彼は演技の力はあれど、役によって力の入れ具合を間違えてるパターンが多く前述したBパターンをやり過ぎて失敗してる。
彼が演技で一番上手いと思ったのは『アットホーム・ダッド』
2004年フジテレビで専業主夫をテーマに阿部寛主演で放送されたドラマ。
Bの要素が強すぎて嘘臭く見えてしまう宮迫博之氏の出演作品の中でも
まぁまぁ見れると思った現在過去唯一の作品。
大河ドラマ「龍馬伝」も所々あるかもれない。
という話も踏まえて、ブルゾンちえみ氏である。
冒頭からガクってくるほど質が落ちる。
演技経験浅い彼女を徹底的に攻める気はないが、周りにすごいのがいると
余計に嘘臭さ目立ってしまい残念な気持ちになる。
彼女はBパターンが強すぎる。
本人はAをやってるつもりだけどBの内容が伝わってくるので無理だ。
感情が入ってなく、ただ一定のテンションで本を読んで喋ってるだけの印象を受ける。
良い演技とは役の感情を伝えるものだと思う。
例えば「あなたが好きです」というセリフでも
喜怒哀楽のどれかで言い方が変わってくる、さらに欺こうとしてるのか別の動機があるのかなどの前後の繋がりも加わってくると千差万別になる。
与えられた役の設定には無くてもバックボーンのない人間は
ただの人形でしかない。
人間はもっと複雑で多種多様な生き物であるし、それだから演技をやる価値があって面白いと思う。
松岡茉優は、知らない内に1つ上のステージへ上がっている。演技のレベルが群を抜いて違った。
落ちた天才という役は言葉で言うよりずっと難しい
特に序盤の表情は素晴らしい。
松岡茉優はどんな役でも自分の元からある
可愛らしさを一個乗っけて演技する癖があると思ってたのだが
序盤の演技にはそれらしいのを完全に排除していた。
彼女の演技プランは知らないけど面白い
エディレッドメインが『ファンタティックビースト」で1人とんでもない繊細なレベルの演技をしているのだが(エンタメ作品としては異常だとおもう
エディを思い出した。
作品の内容としては情報量が多いので
『のだめ』のようにドラマでやった方が良かったと思うネトフリに持ち込めば資金面でもクリアできそう
名前は知らないけど撮影監督カメラマンが良き。
森崎ウィンはもっと評価されていい。
ピアノの撮影シーンは今後のためにも
工夫とアイデアが必要な気がする。
動きが無い分
・演奏者
・観客と関係者のリアクション
・情景カットか外観?の絵
・演奏者に付随する人間の現在進行描写もしくわ回想
・突飛なサブリミナルカット
思いつく限りのカット割
どれも効果的とは言えないけど。
考えたのは
撮影する際にピアノと演奏者を舞台ごと動かすということ
※劇中でそういう動きにするのではなく
あくまでカット割の演出
嵐がコンサートでやってるムービングステージのような動く舞台に載せて演奏してもらい
カメラもキャストも動く中で撮影したら
動きのある面白いカット割ができるかもしれない。
劇中の松岡茉優と天才少年のコラボは
禁断のベッドシーンを思わせたけど
考えすぎかなぁ
写真撮影加工を行ってます。交通費の援助していただければ助かります。