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noteほぼ毎日書いて、3か月の変化

初の試み。一旦、自分で下書きを書いて、だいたい同じ内容を2回書いて、それを公開してみます。

書くのは、楽しいです。
noteも一つの社会なので、自分も社会に参画している気分が味わえます。
思考の整理と、感情の吐露により、書くことで気分がだいぶ楽になります。
そして、考えが発展します。
言語化すると、
言葉にすることで、自分が思っていた願いや祈りが強くなることを感じます。そして、実生活で感じたことを文字にすることで、学びの定着率が高まる気がします。
2か月なので、このくらいの変化ですが、もっとやると、もっと変化が起きそうな予感があります。

音楽技術の向上に繋がればと思って書き始めましたが、
音楽家のあるべき姿とは、や、働き方について、考えが及んだり、書いてみたりするきっかけにもなりましたし、日々を過ごしていく中で、自分が何を感じているのか、を可視化することができるので、それが次の行動に繋がる感じがするので、良かったです。

と、ここまでです。
まあ1000文字書いていた分量が、約半分の量になるということですね。
読みやすくはなりますが、自分の高揚感にも繋がるのは、ただ、つらつらと書くことになるのかな、と思います。
以上、実験終わり。

以下、つらつらと書きます。

自分にとっての楽しさを優先するのか、人様にとっての読みやすさを優先するのか、ということもありますよね。
ここまで書けば、更に発展できるのですが、
気づいたら、遠くに来たもんだ、という感覚もあります。
人生も含めて、旅のようとはよくいったもので、音楽の話でも、人生の話でも通じるのですが、もちろんnoteでもそうですが、
そういう感覚です。

仕事にしたい、けど、遊びながらそのようなことをやりたい。という気持ちがありましたが、これは結構、難しいことを言っているんだろうな、という感覚を覚えました。
だからこそ、やりがいはあるんだろうし、苦しい中にも楽しさを見出すと、輝きが生まれるんだな、と思います。

夕日に向かって、みんな走っていこうぜ、みたいな時代感では、ないものの、そういう熱血感は嫌いじゃないですね。
熱中、白熱、気迫みたいなのは、感じていたい所です。
夕焼けをなんて、ニュアンスをとるかですよね。暑さなのか、切なさなのか、夜の前触れなのか、といった切り取り方。
自分で、自分を苦しめていたのは、こうすべき、というある程度のフォーマットの中で、あるならば、自由にやってもいいんだよ。という自由と規律のバランスですよね。昨今、この規律と表現すべきか、バランスが強くなっている印象がありますね。
社会的にも、叩かれることが多くなったのでしょうから、そういう文化、時代なんでしょうね。
ということは、冒険しにくくなっているということですよね。
今、気づいたんですが、人様を愛するということが難しくなっている時代という感覚があります。誰だかわからない、や資本主義が蔓延しているから、見返りを求めがちなど、様々な要因があると思います。
そういう中でも、真摯に向き合える、あるいは実時間はほんの少しかもしれないですけど、少し楽しい交流ができる。など、そういう文化や、土壌はあってもいいんじゃないかと思いました。

夕日に向かって走る、ということが青春とするのであれば、
僕は、まさに今、青春です。
愚直に、誠実に、かつほどよく休みつつ、できることをやろうとする中で、
生まれてくる何かが楽しみになっている状況。
毎日の生活の変化はそう大きくはないかもしれないけれども、少しずつ何かが確実に変わっていってる。そんな印象を浮かべます。

ということは、社会に対してどう接していくかを考えていくとともに、自分がどうあるべきかを常に内省をしていく。そのルーティンをまさに今、自分で確率しようとしている状況なんだろうな。
現実は現実できちんと、地に足をつけつつ、できることをやっていって、このような電脳世界では、考えている事を社会に向けて書くことで、自分という人間を社会と接合させようと、産声をあげている。そんな感覚です。

夢や希望をもって生まれた人間が、現実の苦悩や、辛さを知り、ここまでかと思ったが、やはりもう一度チャレンジするという物語なのですが、これで40年近くかかっています。紆余曲折ですよね。
人生どうなるか、わかりません。いづれそういうお話もするかもしれません。
掴めてきました。自己を統一しようと心がけているけれど、本質的には、そんなに変わっていなくて、性格的な面では、そんなに変わっていないけれど、技術的な面や、年齢的な面で、成長したと思っている。そんなふしもありつつ、できることは確実に増えていっている。という感じですかね。
老いに向かっているという現実もありつつ、やりたいことは成長曲線を描いていっているストーリーの方が好みです。
自分が、天下一武道会に向けて、修行している感覚が未だ抜け切れていないかもしれないですし、これは一生抜けないかもしれないです。

掴めてきました。
自分という人間をここまで、明らかにするということの怖さ。一方で、社会的には、こんな感じか、という立ち位置がわかり、その中で、現実に即しながら自分ができることを模索していこうという気持ちになった。
それを通して、かいつまんでいうと、達成感を味わえるようになった。
ということですよね。
人生において、満足度がほんの少し、上がりました。
言葉についても、的確に捉えてみたいという気持ちにもなりました。
自分を好きになった感じがします。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
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