見出し画像

自分を客観視する

新しい取り組みをすると、変化が生まれますので、刺激になります。
今まで考えなかったようなことを、やることになります。
そこから、派生していくものや、仮に途中で終わったとしても、後悔のないような生き方になると思います。

どこまでやるかも、大胆に、冷静に見極めながらやることになります。
そういうことを繰り返していくと充実していきます。
本筋のことはきちんとやりつつ、手を広げられないか、なども考えます。
あと、関係ないことを取り組むことで、新しいアイディアが生まれないかな、と思っています。

必ずと言っていいほど、結局、あれやればよかった、これやればよかったはでてきがちになるので、やらない公後悔より、やる後悔の方がいいなと思ってやっています。
思いついたことは全部取り組むくらいのスタンスでやっています。

充実はします。感情の起伏はあるけれども、あるなりに、楽しめています。
やってみて気づくこともたくさんありますし、やらなかったらわからなかったこともあります。
そういう小さなサイクルを回し続けることが、楽しいんだろうなという感じです。
そこから、伸びそうな分野は伸ばしていきたいと考えています。
何の分野でも、伸びていくと思える方が楽しいし、明るくなれますからね。
仮に、途中で方向転換したとしても学びになることも多いので、その時はその時です。

辞めたくなる時とか、明らかに体力がない時は、ゆっくり休んだり、ほどほどにしたり、息抜きしたりしています。
そういう生活のサイクルをきちんと回せるようになっていくこと、自分の足で立って生活していくことを目標としています。

こういうことを書くと、変な奴かもしれませんが、結局、イメージしたものは、その力が強ければ、具現化できると思っています。
松下幸之助だって、大谷さんだって、ユニクロの柳井社長だって、大体皆さん同じこと言っていますので、それらを参考にしています。

こういうことを書くと、やりすぎていないか、とか思われることもあるかもしれませんが、ある一定の突き抜けるためには、やり切る。或いは、異常値を出す時がないとやりきれないんだな、とも思います。

こういうことを書くと、ああそうだね、と思われるかもしれませんが、
僕の中には、大衆の心が潜んでいて、王道や、平均値、あるいは最大公約数をとっていこうとする、思考があります。
それを中庸というべきか、バランスを保とうとする姿勢というべきかは、ちょっとわかりませんが、そんなところです。

それと、今一つ、理解できていないのは、文章化することで、思考の整理になっているのか、或いは、それをすることによって、推進力が高まるのか、あるいは視野が広がるのか、という所です。
これも続けてみない、とわからないところであります。

そこまでわかっているのであれば、後は試し続けることです。
実務で学びを得ているのか、文章化で整理されて、話が繋がっているのか、ということです。
学びのサイクルとしては、文章化は良いことだと思いますが、そのサイクルがきちんと回しきれていくのか、あるいは、楽しんでいただくためのものになっていくのか、などは、今後の課題になっていくことでしょう、という感じです。

たくさん人や本に触れて、たくさん曲を作ったり、文章化していくことで、内容が充実していければと思います。

ここまで、やってきて、だいぶわかってきつつあるのですが、
自分という人間、人様の心理、社会情勢などを書いている事で整理をしようとしているということです。
ここからは、僧都や、仮定の話ですが、あるべき姿と現実を繋げるための問題を設定したのであれば、あとは、対策として、日々のサイクルを回すというので、この文章を書いているので、そこからやってみて、例えば、成長の速度があがったり、幅が広がったりしたので、謙虚にやるべきことをやっていくうちに見えてくるものがあるんだろうな、と思いました。

やってみているうちに気が付いたのですが、ここまで言語化できているということは、あとは、きちんと順を追ってやっていくだけという形になりそうです。あとは、そういうことを試しているうちに見えてきたことですが、やましいことがなければ、ある程度のことは書いていった方が自分のためにもなるんだろうな、ということです。
間違いがなければ、楽しいから、やっているのもありますし、どこまでも突き抜けていけそうな感触があります。
ここからも楽しみ続けていきたいと思います。
自分を客観視できる良い機会です。

スキ・フォロー・コメントが励みになります。
noteの会員じゃなくてもスキは押せます。
ここまでお読みいただき有難うございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?