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書くと心が軽くなる

書く内容が特に決まっているわけじゃない。
書いていて、楽しいから書いているという感覚にも近いです。

それが、有益になろうが、なかろうが、俺は関係ないんだ。突っ走るんだ、
と言えれば、それで良いのですが、自分の場合は、ある程度他人にも配慮をした上で、生活をする感覚が身に染みています。

一方で、この文章というのは、個人的なことを書きすぎると自分が恥ずかしくなって、苦しくなるし、技術的なことを書くと、なんか消費されている感覚にもなるし、音楽を仕事にしようとしているけど、文章やSNSの距離感は、どうしたものか。と試行錯誤をしている、真っただ中です。

だけど、何か書きたい欲もあります。あと、応援してくれる人を増やしたい。仲間を増やしたいとか、食っていきたい、とか、それにまとわりつく社会性を考えると、とたんにバランスが難しくなる気がしてます。

個人的な文章が社会性を帯びて、それが世に受け入れられて成立する、ってものすごいことなんじゃないかと思い始めてきました。

音楽の技術については、たまに書くこともあるけれど、できる範囲という形です。音楽自体はコンペ参加に、力を全振りしています。

課題に感じていることも、もちろんあるし、それに苛まれること、あったりして、暗くなることもありつつ、明るく楽しくやろうする姿勢は崩さないということです。

自分が自分であるために、書くことということを試しているのでしょうか。よくわかりません。もしかしたら一生わからないかも。
現実的には、書いた通りですが、こういうことを熱中してると呼ぶのでしょうか。

こういう文体が評価されるのかは、まだよくわかりませんが、心のどこかにある重みはスッと軽くなります。自分でできることをやっている、という喜びもあるかもしれません。

そういう中で、人様と関わる中で、こういうことが良いんだよ、と言える自分でありたい。もしかしたら、どこかで、社会に受け入れられて、かつ、自分が楽しくできるポイントを模索している、と言った方が適切かもしれません。

ここまでくれば、一旦はまとめたいと思います。
自分が、書く理由は
・自分の心を軽くしたい、応援してくれる人や、仲間を増やしたい。
・作曲技術を向上したい
・自分ができること、楽しくやれることで、社会に受け入れられる、喜んでいただける方法を模索している
・書いていることは、この文体であれば、楽しい。論理的思考を持って、組み立てていくと、多少仕事感を感じる。
やってみなくちゃわからない。

自分で体験できるのが、何よりもの強みになりますよね。
仕事=お金を得る手段もしくは喜んでいただく手段となると、
よくあるフォーマットとして、やりたいこと、もとめられること、できることの3つの円の中心点を探しましょうということです。

例え、少なくても読んでくださる方がいるのは、とても嬉しいことです。
励みになります。ありがとうございます。

こういうことを書くと、変な奴と思われるかもしれませんが、
だいたい、できることはわかってきた感覚もあります。し、なんとか、その中から伸ばせることはないのか、という思考にもなります。
例えばこれが、数年続けることができたら、また見える景色が変わるのか、とか、思いつくこと全部やってみようとする、姿勢があるのは、自分で自分をほめたいと思います。
そこで、成果が出ない苦しみや、受け入れられてないのか、とか、落ち込むこともありつつも、できるまでやり切るという感じですよね。
音楽にしろ、文章(SNS)にしろ。

難しいことなんも考えないで、多少は頭働かせつつ、打てる手を打っていこうとか、そういうスタンスでやろうとしています。
あとは、考えながら手を動かすということですよね。

noteをほぼ毎日書き始めて3か月。なんか書くネタはないのか、と頭を働かせることが多くなりました。
そういう変化です。
あとは、作曲上達にも繋がりますよ、というお話ももらったので、それを信じてやっている所もあります。
人生が、少し楽しくなった感覚はあります。これも続けていくなかで、無理なく続けていって、楽しめてかつ実用に繋がるのであれば、理想ですよね。

真面目な話をすると、音楽を通じて人様、社会、自分が豊かになっていく。
恩返しをしていいく、というテーマをつけることができましたので、それに向かって、精進していきます。

誘惑とか、もう嫌だとか、たまに思うときもあるけれど、それに向かっていっています。
新しい自分に気づき始めた、という感覚もあります。
ここから先は、結構、心の奥に眠っていた感情なのですが、
自分はもっとできると思っていたけど、結果が出てないから、自分はできない人間なんじゃないか、と思っていたけれど、成果を出すには、数年や、そこら、時間がかかるものに取り組もうとしているんだ、ということです。
もしかしたら、noteも似たようなことかもしれません。
数年続けてみて、初めて分かる景色がある、というのかもしれませんし、そういう世の中に対して、こちらはアクションしているんだという、攻めの姿勢を持てることが、ありがたいことなんだ、という感じですよね。
もちろん、撤退基準もなんとなくですが、描いています。
そういう中で、これを選んでいます。という感じですね。

難しいことを簡単に説明するには、やはりある程度の知識と経験が必要と考えます。ポップミュージックも僕は、シンプルにするものが良しと考えているので、そういう傾向があります。

何事もやってみなくちゃわからないし、やってみて、何も変化ないかもしれないけど、やらないよりはまし、という感じです。
苦しいけど、現実と適度に向き合いながら自分の理想とする方向に向かっていきたいと思います。
結局、うおっしゃ、やるか、と弾みをつけるために書いている部分もあります。なんか、よくわからないけど、やってやるぜ!自分、いいじゃん!というために、やっている節もあります。
何を隠そう、この誇りに思う自分だから、これと決めたことに対しては、きちんとやりきることができるぜ!なんて思う自分もあるわけです。
そんな、自信を持ったり、持たなかったりしている間で、自分が、存在しています。
波に揺られながら、上手く波乗りできるといいですね。
そういうことができると楽しいです。

だから、と言って目的を持った文章も書かないわけじゃないし、これからも試行錯誤していくのだろうけど、そういう自分の経験とか肌感覚を持っていきたいと思います。あとは人様や本など、様々に社会と触れながら、自分という人間をきちんと立つことができるようにしていきたいと思います。

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お読みいただきありがとうございました。

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